見出し画像

桜井駅跡・島本町立歴史文化資料館に行ってきました!

前回と同じ日の話↓

9月18日

おっさんと続いては大阪府三島郡島本町にある桜井駅跡に来ました。


桜井駅とは

桜井駅の駅とは鉄道の駅ではなく、奈良時代に平城宮と各地を結ぶ交通路を整備する事を目的として置かれた駅(駅家)が由来です。

京から西国へ向かう道筋に設置された駅の1つとして『続日本紀』に摂津国嶋上郡大原駅が記されていて、これが桜井駅のことではないかと考えられています。

桜井駅跡について

明治9年(1876年)西国街道沿いに「なん公訣児之處」碑が建てられた後、敷地の拡張が始まり、大正2年(1913年)「楠公父子訣別之所」碑の建碑式が行われ、

大正5年(1916年)には個人が敷地約3.972㎡を島本村に寄付し整備がなされ境内地が島本村公園に指定。

昭和に入ると更に拡張が進み、昭和3年(1928年)には「楠公会」の事務所が建てられ昭和6年(1931年)「明治天皇御製」碑が建てられました

また旧三和銀行元取締役の一瀬粂吉氏ら京阪地方の匿名有志による拡張も行われた上、麗天館(現島本町立歴史文化資料館)が建てられました。

鳩が多い。汗

案内図。

①楠公父子訣児之處 碑。

②忠義貫乾坤 碑

③の苑内壱千貳百坪碑は撮り忘れました。

④櫻井驛址 碑

手水舎。

屋根瓦には菊水紋。

⑤明治天皇御製 碑

⑥旗立松(旗掛松・子別れ松)

西国街道の端にあった老松のもとに馬を止め、楠木正成と正行親子が訣別したと伝えられています。

老松は明治30年(1897年)に枯死し、一部を切り取りこの小屋へと保存されました。

⑦手水鉢

今はもう取り壊された大阪府青年の家にあった屋形と手水鉢らしいです。

⑧~⑩まで写真に撮り忘れたので、気になる方は見に行って欲しいです。

⑪楠公父子訣別之所 碑

⑫史蹟 櫻井驛阯 碑

⑬楠公父子別れの石像

「滅私奉公」の題字は、近衛文麿による書らしいです。

この2人の石像、滋賀県の馬見岡綿向神社でも見かけたなと思って調べたら、あちこちの神社に置かれているみたいですね。

⑭楠公六百年祭記念 石碑

敷地の外で、こんなものを発見。

島本町と西国街道についての説明が書かれていました。

島本町立歴史文化資料館

そして、近くの島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)にも行ってみることになりました。

昭和16年(1941年)に史跡桜井駅跡の記念館として建てられ、昭和44年(1969年)には西側に大阪府立青年の家が開設され講堂として使用されていたこともあるそうです。

平成16年(2004年)に外観はそのままに改修工事が行われ島本町立歴史文化資料館として生まれ変わりました。

利用案内。

地面に菊水の紋の瓦が置かれています。

建物の周りにも瓦がありました。

鬼瓦

建物の屋根瓦には亀さん。

パンフレット

館内では、近衛文麿の書による扁額を見る事が出来ます。

その他、写真を撮っておけば良かったなと思ったのですが後鳥羽上皇と手印比べが出来るので是非試してみてください。

当たり前ですが、私より大きかったです。笑

こちらの資料館のマスコットの「かん太くん」

館内は空調設備が無く扇風機のみが回っていて、9月というのにまだまだ暑い日だったので足早に展示を見て外に出ました。

車に戻り、おやつにサクレ。

晩御飯は松のや。




いいなと思ったら応援しよう!

ゆり 65歳のおっさんと1泊2日の旅行に行きます!!