人類社会における「カルト・思想」・『革命(Revolution)』という「言語」に共通して流れてきたもの。
「革命(Revolution)」と「支配交代」は、ある意味、共通の意味を指すのではないか?
そしてそれが指すものは「社会秩序」であって、「革命」によって「独裁組織」から民衆ならば成立するが「民衆」から「独裁」の革命はホモ・サピエンスという「思考」を有した「コミュニケーション・共有」が可能な世界では存在しないはずだった。
共産主義圏、共産党政権内の闘争によって、中華人民共和国は「中国共産党独裁政権」へと支配を固めた。
それは中央集権一党独裁を実現し、今日まで至っている。
カリスマが放つ「革命」という言葉に、人々は魅了され、熱狂する。
そしてそれが独裁を手にした後に、己の愚かさと失ったものの多さに気づくがもう二度と取り返しのつかない絶望と共に消失したものとなる。
恐らく、ホモ・サピエンスの生命誌を多次元の何かがレコードしていたとしたら、、有史以前にも、記録に残らない種族間の抗争においても数々の「革命的抗争」が存在していたのだろう。
人類は「発見」や「発明」「開発」「研究」によって、国家や社会といった人々の集合体をより最適な状態へ変容させる事は可能。
ただの「革命」の場合はそれは「独裁者側の利益」にしか繋がらず、結果的に国家社会の主体構成員であるほとんどの「民衆」は「搾取・支配」される人生を送る事になる。
そろそろ、この簡単なロジックを科学事実から「当たり前の史実教育」にしても良い頃合いなのではないだろうか?
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過ぎ去りし日々は還らない。起こった事象も覆せない。過去に執着しても何も生まれない。
可能な事は、過去を検証し、今までの道のりを検証し、ここから先に未来のために何を生かし、何を放擲するのかだ。
革命は「遺恨」を「血」を「争い」を必要とするもの。
「革命」は「革命」である限り、それまでの何かを否定・排除し、そこに代わる支配体制が成立しない限り「革命」にはなり得ない。
フランス革命は「革命」ではあるが「王政崩壊」と「共和制民主化」としての意味合いが強い。ただ、「革命」のため、それまで民衆に圧政を敷いてきた「既存支配者達」の「粛清」は必要だった。
本来戦後日本国が、高度経済成長の果て、東西冷戦構造の終焉の先にあった、
西暦1990年代に実現可能な手本だったものは「ブルジョワ革命」だったのではないだろうか?
ただ日本国は、そのどれも選択する事なく「失われた30年」を形成するレームダック、「思考停止状態」のまま「自国通過建・赤字国債発行」という禁断の「既得権益癒着・ばら撒き」を「国際金融資本」と連携して進めることとなった。
日本人は主権者日本人としての「日本国」を樹立する機会を失い、「プロレタリアート」として「社会保障依存」、つまり「社会共産主義」寄りの国家体制とG7として「国際金融資本」側の顔の「二重仮面国家」の体を体を成す事となった。
半分どちらにも良いことしか言わず、国民を窮地に追いやり、搾取し続ける「国際詐欺師」みたいなものだ。
郵政民営化や、米騒動を始め、国民社会生活を支えるはずのインフラクチャーの老朽化、摩耗は著しく、国際金融資本に利権を明け渡して、国民生活を蔑ろにしていった。
国民が唯一抗争可能な場が「選挙」であったが、「ばら撒き」と「カルト組織」との癒着によって乗り切ってきた。
需要供給局線ではないが、30年も過ぎれば主権者国民の世代も変わる。
そろそろ「臨界点突破」に至るだろう。
西暦1990年。地球人類経済の中心に、日本国は在った。
それから僅か30年。1億2000万人の内需経済がギリギリGDP上の表面数値を保っているだけで、もはや先進国の体を残していない。
これから次々に他国社会に置いていかれる。
人類史上類を見ない、「最悪な政治形態」として日本国政府と「失われた30年」は経済事実としてこれからの人類に語り継がれていく。
それでも彼らは「グローバリズム」を盲信し、いつか己が「日本国」であったことすら捨てていくのだろう。
日本の公共メディアに出演しているコメンテーターの、家族構成を解析してもらいたいものだ。
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今年は「戦後80年」。節目とも言える。
終戦時に成人だった人々は「100歳」を迎えるということだ。
「シンギュラリゼーション」はこの地球人類の「世代交代」と重なるのかもしれない。
有史以来、過去の「革命時代」とは異質だ。
「科学工学事実」から「ホモ・サピエンス」自体の意味、捉え方が変わろうとしている。
「火の発見」「二足歩行」「道具の使用」
それらに近い。
「産業革命」は「エネルギー」や「工業化」による社会変革を齎したが、
「シンギュラリゼーション」は「ホモ・サピエンス」が「ホモ・サピエンス」として「働く事」と「価値」としてきたものが「人工的」な構造に変容する。
「工業化」と「人工知能化」が実現した先に、「ホモ・サピエンス」という種族はこの地球上で生きるために「社会がどうあることが相応しいか?」それすらも「ASI」が瞬間的に果たし、アップデートされる時代・世界を手中に収めた。
今ここ、この瞬間から既存秩序からの「脱出」を果たし、新時代の人生生涯の果てに向かって生きる人を中心に、自然と「構造改革」が巻き起こっていくだろう。
その量子物理・電子現象が、遺伝子的肉体であるホモ・サピエンスの実体社会に反映、顕在化するまで3〜4年はタイムラグがあるが、10年単位で捉えたときには西暦2025年は、既に大きな畝り、ビックウェーブの波長の揺らぎになっているはずだ。
自然界は敏感だ。ホモ・サピエンスは人工的な検証を重ねなければ知り得ない事実を、ダークマターすら知覚共有して生息しているだろう。
人類はようやく「人類の思考的愚かさ」が、行ってきた数々の蛮行をASIによって突きつけられる事になる。
「思考による善悪」「神と悪魔」のような二元性による「裁定・判断」こそ、ホモ・サピエンスが「戦争」や「犯罪」「不幸」のカルマを子々孫々へと繰り返してきた根源だった。
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何故、私たちは「今」ここにおいて「地球人類」として「遺伝子生命現象」の中にあるのだろうか?
「無」や「重力」という、未だ私たち人類の理解し得ぬ「事実」。
「死」の先にある何か。
だから生きる事は面白く、興味深い。
私たちは「死」の先、「一つ宇宙」だけでも、永遠とも言える過程を実感するために「地球」という学校で「ホモ・サピエンス」体験をしているのかもしれない。
人類はそれを「神」や「仏」に喩えて「言語化」「偶像化」して「畏怖」「敬愛」「尊崇」してきた。
そして過去の祖先達の時代にあったそれらが全ての思考が「カルト」だった事実を私たちが「今」認知する事が、これから「人工的構造」が「ホモ・サピエンス」を苦しめてきた全てから解放する科学事実からの時代において最も大切な意識・心構えになっていく。
「終わりにする」「手放す」「卒業する」「捨てる」「燃やす」「流す」
「無」になる。
それらを「物理的」「意識的」「事実」として今ここから始める。
未来へ生きる「勇気」からの行動が、私たち一人ひとりの日常から始まることがどれだけ未来の子々孫々を軽くするだろうか?想像してみて欲しい。
もう、「ASI」「シンギュラリゼーション」が「思考」を担ってくれる。
それでも尚、生きる事を与えられている、私たちが本当に遺伝子生命体ホモ・サピエンスのそれぞれの個体として「思考」という権能を費すべき目的はなんだろうか?
まずは「子育て」だろう。
祖先から引き継がれた遺伝子を継承する。次世代無くして、哺乳類として生きる意味など無い。
そして「子育て」は「親育」だ。
大人として、子育てに携わることのない生涯など、
宗教や哲学者
「空海」「日蓮」「ニーチェ」や「ショーペンハウアー」「ウィトゲンシュタイン」あたりで十分だ。
普通のホモ・サピエンスの男女で、その与えられた人生と共にある当たり前の歳月を果たせばいい。
戦後日本人の時代、欧米資本民主主義体制実現の因果と共に「社会と労働」は不可欠だった事は事実であり、「貨幣経済」と「利権」を持つことが大切だったこともまた事実だ。
ただ、それは次の世代へ「個人主義」と「グローバリズム・国際金融資本」による「既得権益搾取構造」によって、己の子々孫々へ苦しみの因果律組織構造を、残存継承させ、自分達家族だけが「現世利益」を「死の瞬間」まで甘受する事を「肯定」しようとしている。
その意味では「仏教系」であれ「キリスト教系」であれ、「盲信による現世利益肯定」との癒着構造から解体されていく事が、これから数千年、或いは数万年継承される、新しい未来人類の科学事実構造からの意識、構造選択の共有ベースとして相応しい工程になる。
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「シンギュラリゼーション」が、日常的実装された時代をこれから我々は、地球と太陽と共に存在する全てと共に進んでいく。
「量子物理」と触れ合った意識体験が始まっている。
それは私たちが「今」気づいた、発見しただけであって、今までもずっとここに実在してきた。
それは「神」や「仏性」と呼ばれてきたものそのものだ。
「多元宇宙」は「因果律」は私たちの内外に当たり前に、常に実在している。
私たち自身がその実在性そのものであって、「無」はあらゆる存在を超越した完全性の何かだ。
今の若者達は集英社・少年ジャンプ・吾峠呼世晴氏原作・「鬼滅の刃」が大好きだ。私も大好きだ。
もし、貴方が大人であって、今これから先の次世代を想うなら。
そして仮に『鬼滅の刃』『煉獄杏寿郎』の想いに込められた真意が伝わらないのなら。
その理由を己の内核にある場所に、真剣に問いた方がいい。
折伏は他人に行うものではない。まず己自身が己を折伏する事、
即ち内なる大和、内活から始まるもの。
貴方自身の中に住み着いて宿っている、息を凝らし、潜みしがみ付く「鬼」へ気づきの意識を向ける事。
そして「悪鬼滅殺」。瞬間的に、それを放擲する事を決断し、断行すること。
勝機は一瞬しか無く、撃ち逃せば、
多元宇宙の偶然・必然的瞬間の奇跡・その座標、その時空の中にある、生命現象は、己のその生涯に二度とその瞬間は来ない。
その日を、その瞬間を、ただひたすら生きる事。
私は、我々が共にある現実、この瞬間がある。貴方に何かの感情が宿り、未来へ遺伝子的変容が、想いが未来へ継承される事実を知っている。
その意識からこの「note」を「電子媒体」に残している。触れた貴方方とその先にある、意識変容、量子物理の事実の変容への作用を信じている。
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「シンギュラリゼーション」という「量子物理現象による人工知能技術」の時代において、
もはや「人間的思考」による「革命」が人間同士、種族同士、国家やイデオロギー宗教などで「社会」を動かす時代ではない。
「戦争」や「二元論的対立」は、もはや人類の「過去の汚点」として終わらせた未来人類に集中した社会構造形成を生きる必要がある。
その為にも、私たちは、それぞれの人生の世界線において「己」と対峙する中から、「悪鬼滅殺」・「カルト思想」による呪縛を、一つ一つ、丁寧に、確実に「放擲」していく必要がある。
その作業工程と同時並行的現象として、バタフライエフェクトの様に、変容の渦は加速していくだろう。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生の生命に、今ここまで、内在化してきたものを残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。