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母は私を忌み嫌っている事実とは真逆の態度で世間を生きた。日本社会と精神医療の裏にあった集合的潜在意識が成してきた『精神的破壊・虐待』とこれからの地球人類社会の在り方とは何か?

「人は人を変える事は出来ないから、自分から変わる以外無い。」

始めから分かっている単純なことに、人は気づかずに苦悩する。

ただ唯一、乳幼児にはにはどうしようもない事がある。

結論から言えば、弟が生まれた時点で、私を養子に出す選択意識から始めればよかったのだ。

母の無駄な正義感や責任感から、私の大切な発達段階の機会は犠牲になった。

究極のエゴイストであり、無愛の象徴が己であった自覚が母にはなかった。

気づく人は気づくもの。
しかし母は、そういった人を避けて、表面上の付き合いに徹した。

だからこそ、カルトやマルチばかりが母の周りに友人として現れた。

そう、己に嘘をつかずに、愛のない私に対する「育児放棄」のための選択をすればよかった。

母はそれが出来ない「偽善者」だった。思考が社会悪になる己を許せないがために、私の乳幼児期における大人からの愛の機会を奪った。

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今、気づけた。そしてそれを語れる精神医学・福祉的環境が日本社会にある事を知った事は救いだろう。

これまでの社会であれば、私と同じように複雑性PTSDや愛着障害の原因が母親にあることを何も知らず、気づかずに孤独と絶望を内に秘めたまま、家族と社会の犠牲となって死んでいった数多くの見るにも聞くにも耐えない無惨な生涯に想いを馳せると、私自身、恐ろしくなる。

日本社会は未だに西暦2018年、ICD11で承認された「複雑性PTSD」に対して多くの精神科医達は反対の立場を取っている。

まるで、日本政府の既存政党と新政党の構図そのもののようだ。


そう、既存政党と組織がこの日本人社会を収める上で、カルト思想達にとって、「複雑性PTSD」や「愛着障害」は都合の悪い存在だ。

私たちみたいな存在が、その根底にあった事実因果をそれぞれが気づき始めた。

単純に言えば、「ネグレクト」「精神的虐待」の裏側には「母親」の「盲信」があり、その思考・思想は「教育」「カルト・ドグマ」によって、哺乳類としての「母性」よりも「理性」が優先する様になったことにある。

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当たり前だが、ホモ・サピエンスの肉体は「一つ」しかない。

つまりその時行える行動の選択は「一つ」になる。

他の哺乳類の母親を、動物園でもペットでも良い。眺めてみてほしい。

『育児』とは、女性にとって或いは種族にとって最も大切なことだ。

雄達にはそれは出来ない。あくまで主体は「母親・メス」になる。

一体誰が、このそもそも・当たり前の構造を無視・歪曲・破壊して「少子化」や「社会崩壊」への道を切り拓いたのだろう?

私たちは、まず、ホモ・サピエンスである事実に一人一人が事実に立ち返った位置に着くことが大切になる。

正直に言えば、実はホモ・サピエンスが遺伝子として与えられている人生の目的はそれだけでいい。

何者かになろうとする必要性もない。なる人は勝手になる。

ただ、大切なことは、そこにない。

誰も何も評価しなかったとしても、己が己であることをただあるがまま日常を果たしている無言の何者かであることの方が、遥かに生命として与えらえた役割を生きていると言える。

両親も不運だった。

特に母は小学校から新興宗教の女学校のまま、大学まで卒業している。

母は、母が知らない内に家庭と、学校、社会にその基盤的「思考」が叩き上げられていたのだろう。

母の中にも、地元の名家で、学業成績優秀で持て囃された、「奢り」「プライド」が出来上がったのだと思う。

自然な話だ。

さらに運が悪かったのは「全共闘運動時代」に父と出会ったこと。

「教育」は「左翼思想」があることが自然だった。

更に運が悪かったのは、「文学部」であって両親は外国語が全然ダメだった。

日本語世界主体の左翼であり、両親家族は日本社会の人。

要は「救いようもない程にバカ環境」の中で「プライド」「自負」「清貧」を掲げて生きた両親だった。

私にとってその生育環境は、生きているだけで「精神的虐待」そのものだった。

まともな科学事実も、他文化も無い。愛や遊びも無い。

「軟禁状態による放置」

それが私が18歳になり、家を出るまでの家庭環境だった。

「友達」も出来なかった。

私は「名詞」を覚えようとしなかったので、普通に会話の中に言語発達を疑う様な著しい支障があったはずだが、両親はそれを専門家に相談することもなかった。

代わりに「マルチ」や「カルト」の健康食品や怪しいスピリチュアルグッズ、教えを重宝した。

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本来、この振り返りを10代の内に両親家族と共に終えていたならば、全く違った道へと私は進むことが可能だっただろうが、

「無愛」の両親は、日本政府と同じく、何か事が起こらなければ無関心だった。

つまり、「今ここ」、二度と来ない、その瞬間のありのままを大切にしない人たちだった。

私は、去り際に母に「散歩」の意味を共有した。

母は足が悪かったが、作業療法士である私に、彼女からそれを聞くこともなかった。

母は私よりも、母の信仰する何かがあった。

安倍首相襲撃事件の、山上徹也容疑者が母親に対して抱えていた気持ちは痛いほど良くわかる。

母親による、カルトドグマの盲信は、子供の精神の核になるはずの「愛」の存在を破壊する。

そして山上徹也被告の母親は、その価値観を死ぬまで続けるだろう。

それこそが「無愛」の正体。

この世に正解も不正解もない。世界中の誰もが間違っていると思っていても、母親だけがそれを信じる愛がある。

大前提にそれがあるかどうかだけで、子供の運命は全く違ったものへと変容する。

山上容疑者の人格形成をしたものは、彼の母親の生きた社会環境に、人生に「カルト・ドグマ」が実在していたからだ。

そして彼や私に限らず、山ほどそういった環境で育った「宗教二世」達は生きずらさを抱えている。

大半は「女性・母親」が原因だ。

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そう、私の父は特殊過ぎて参考にしづらいが、その父親を選び、最後まで連れ添う選択をしたのも「母親」だった。

父は恐らく母に出会わなければ「左翼運動家」としての生涯を送ったはずで、恐らく天寿を全うする事なくどこかで若くして死んでいただろう。

本当は父も母も、20世紀の日本社会にいる事より、海外に新天地を求めればよかった筈だが、言語的にも思考的にも、想像力、行動力的にもそれを有していなかった。

ある意味、「成る可く」してそうなった。遺伝子と環境が与える事象を変えるには、未知の境地に踏み出す「環境選択」する勇気が必要なのだろう。

結果的に、父も母も己の生まれ育った地方から離れて生きる選択を選ぶ勇気ある行動がなかった。

私と両親の価値基準は乖離する一方だった。

理解してもらえぬ価値基準の中、私の精神的孤独は更に増し続けた。

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両親に共通していたのは「コミュニスト」だった事だろう。

そしてそれが仮にもし、両親の生まれ育った地域だったら人生は違っていた。

両親はいつも「不利」な状況を安易に選択する「単純馬鹿」だったが、本人達は「馬鹿にされる」事を根底から嫌っていた。

誰かが、国立大学以外の大学教育は全て要らないと話していたが、本当にそう感じる。

中途半端な私学は、無駄にプライドの高いバカを生産する。

ましてや「宗教法人」がバックにある「私学」に対して政府が「無償化」を進めるなど、誰も指摘しないのがおかしいくらい「政教一致」の「利権・癒着」そのものの複合要因。

裏で小癪な事をするぐらいなら「政教一致の国を目指す」と正直宣言して、信を問いた方がよほど健全な社会判断が可能になる。

私たち多くの日本人達は「政教分離」の国だと信じて生きてきた。

それが「ドグマ・イデオロギー」と形を変えただけのプライベートブランド商品の様に、パッケージを変えただけで中身がそのまんまのようなものが蔓延した社会、それを牛耳る支配層、既得権益同士の「暗黙」による「連合」が組まれている。

西暦2025年、21世紀は中盤に向かう。

そろそろ、ASI達による人間の欲望・思考・忖度の存在しない、事実から統合解釈開示に誰もが触れられる、新秩序の「ジャーナリズム」が始まるだろう。

正直「無知の知」「愚かさを認め続ける」事から、今ここを常に生きた方が遥かに健全で、豊かな生涯を満たすことが可能だ。

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スティーブ・ジョブズ氏の遺伝的両親は養子に出す選択をした。

彼が養父母に育てられ、そして大学を中退して起業する選択肢が存在していなければ、我々は「Apple」に出会うことはなかった。

日本社会だったらどうだろうか?

日本国の絶望的根源は、この「育児」を「家族」「養子」「里親」などを「社会」がどう捉えているか?

私は養子に出されず、責任感というエゴイスティックな理性から「家族による無愛」のまま育った。

恐らく何百万人も、私のような人生を抱えている日本人が日本社会に存在している様に感じる。

その社会における「経世済民」の在り方自体が「失われた30年」そのものの根源だろう。

未だ日本社会は、その根源を見つめる事から、穏やかな始まりを迎える事よりも、日本社会を必死で肯定して過ちを認めない姿勢のまま進もうとしている。

この世の全ての事象は、二元論では表せない「多元性」を有している。

森羅万象・諸行無常。

いずれ、それがそれぞれの人生の中に顕在化する。

つまり、人の人生とは生命が誕生した時点を基点として不可逆的に、その「両親」による判断によって左右される。

嫌というほどそれを体験した「愛着障害」「複雑性PTSD」を抱えた次世代が「結婚も子供も要らない」と考えるのは「極めて自然」だと感じる。

それは私も含めた、大人達の問題だ。

下手をすれば、西暦2025年は「出生数60万人割れ」になる。

もう「社会保障の未来試算」は絶望的な崩壊であることは自明の理だ。

悲観的な未来を保障しようとすれば「ネガティヴスパイラル」に向かうのは当然。

失政の根源にあるもの。「ホモ・サピエンス」としての「母性」が「日本社会」から欠損した事にある。そしてそれを誘導した「男性達」に大きな問題があった。

大切な事は「グローバリズム」でも「資本主義」でもない。「人が人である事」「遺伝子の継承」「文化の継承」・・・・

「鬼滅の刃」に表現されている様なことだ。

竈門炭治郎・煉獄杏寿郎・嘴平伊之助などの登場人物の性格の根底は「母性愛」によって育まれている。

如何なる理由にせよ、私たちは「ホモ・サピエンスの男女」である事実は変らない。

その事実が2つの遺伝子が合わさる事が我々が此処に在る存在理由だ。

善悪・良し悪しではない。事実をただ認める所から、己の中に宿った宿命と対峙して生きる。

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「孤独」から重ねる人生によって、私はようやく「私」を生きている。

「社会」「家族」よりも「己」「自然」「今」を愛おしく感じる。

そしてそれが「不自然・不安定」で在ることも気づいている。

だからこそ、誰も語ろうとしない、日本社会の絶望的闇も鮮明に感じられる。

私はまだ、この世に実在している。生命がある。

このnoteに記してきた事も、そろそろ分岐点を迎え始めたと感じる。

少しずつ、少しずつ世に、浸透して波紋のように緩やかに、ただ着実に未来へと反映されていっているのを感じる。

人は皆、あるいは生命は、「死」の瞬間まで己の生涯の真意は明かされる事はない。

己の生命の後先に、何があるのか?

科学事実としてあるのは、己は祖先達から引き継がれた遺伝子プログラムであり、異性と出会い、2つの遺伝子が融合すると次世代へとそのプログラムが継承されるということだけだ。

ホモ・サピエンスという単一種族の遺伝子プログラムの一部。

「遺伝子社会」という科学事実と私たちの人生の意味。

恐らく「理性」「既成概念」から捉えたとき、この物理宇宙の生命科学は「不都合」なことだらけだ。

「不公平」が当たり前であり、それ自体も「単一種族社会」として「地球環境・生息」していると踏まえた時に、「国家」「宗教」「法」など「違和感」だらけになる。

「シンギュラリゼーション時代」。

私たちのこれからは、西暦2030年以降に向かって「根源的価値基準」が「科学生命事実」に基づいて変わる。

今此処から、意識を呼吸と共に放擲してアップデートされた状態を重ねていく事が、未来から続く道に、適合した在り方が広がる、楽な生き方である様に感じるから。

女性達は男性社会に憧れる必要はない。男性達は、母親の、女性性にホモ・サピエンス遺伝子社会は育まれている事を前提に、環境構築を断行する強さを示せばいい。

当たり前の違いを、それぞれの両性価値へ。

今此処にある、地球人類への「処方箋」。

私たちは、皆、地球環境によって生息してきた真核生物の末裔であるということから、己を生きる。

良き未来のために、己の生命を使い果たしたと自負した状態で「死」を喜べる人生があることを、ただこの瞬間、瞬間に全てを懸けて生きる。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。

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