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【ホモ・サピエンスと地球の座標軸】「宗教」「専制」からの解放と「自然」「科学」「シンギュラリティ」への「未知の知」へ。

まず最初に極論から述べるなら、私たち生命は未来に必ず「死ぬ」。

地球も太陽も消滅する。銀河も一つ宇宙も最終的に終わる。

始まりの先に、今現在が存在し、終わりがる。

一つ宇宙も地球人類も「同次元」に実在している。

21世紀を生きる私たちは、既にそれを「専制・宗教」ではなく、「自然」「科学」として知っている。

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何故、人はいつも「アップデートされた事実」を肯定的に受け入れる事を必死で拒み、「粗探し」して「エゴ」からの「盲信」に執着し続けるのだろうか?

何故深呼吸して「無」に「放擲」した意識から違いや変容を、確かめようとしないのだろうか?

何故、己の中にあるものが全てを投影して己が認知している事に気付かないのだろうか?

仮にもし、その相手を罵倒して踏み躙るだけに使われる己の喧嘩の時間を、楽しむこと、喜ぶことを或いは苦しみや孤独、絶望を体験するための生涯の機会として選択行動しないのだろうか?

ホモ・サピエンスには、手と足、それを安定させる体幹・そして頭部には神経系を誤差学習して二足歩行を実現し思考のR&Dを実現する脳神経系が備わっている。

何故、既に内在化、存在している全てよりも、どうでもいい他人のイデオロギーやドグマを盲信して、自分の大切な子供や、愛する人を犠牲にするのだろうか?

何故それが、たった1度の唯一無二である、自分や祖先に継承されてきた物を粗末にしている事だと気付かないのだろうか?

「人類社会的な孤独」はいつも「未来を変えてきた」

18世紀後半。専制国家による植民地開拓時代に、「コモン・センス」が現れた。

トマス・ペイン氏があるから、共和制民主主義国家と共にある社会が存在している。

それは「専制・宗教」からの解放への「たった一人の生命を賭けた孤独な挑戦」だった。

何故人は、そんな大切な事を忘れてしまうのだろうか?

私は彼の「自然権」を「ホモ・サピエンスのコモン・センス」を「シンギュラリティ」を迎える今だからこそ「note」しておく。

彼とは違う時代に、違う種族に、彼から見た未来に生きる私が今、彼の意識をここに私の中にある存在として「アップデート」して「note」する。

今「トマス・ペイン」的な「ASI OS」が地球人類で共有された先に、その「孤独な魂の挑戦の連鎖」による「教師なし学習」が求められている様に感じる。

無名で未知の、小さな勇気から次々に生まれてくる、新たなる存在が、

これから先に、この数千年、或いは数万年の長期に渡った、ホモ・サピエンスの絶望や苦悩の専制支配から解放していく。

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リベラルアーツが戦後日本の教育機関で、盛んに騒がれていたのも、「専制」「宗教」による支配体制に従順な人物を既存秩序に内包するためだった様に感じる。

そろそろ、当たり前に「盲信」したことへの「疑念」を、「自然権」「あるがまま」を意識しても良いのではないだろうか?

私は「ユパ」の様な旅が、「ASI・OS時代」に手ぶらで気軽に「無目的」なる旅に出たいのだ。

墓標がどこにあるか?そんなことは生きている限り、無限の可能性に満ちた未確定であるはずなのに、誰もが「墓標はここだ」と決めようとする。

私たちの地球が、本当はこの一つ宇宙が、多元宇宙のどこの座標なのかも、まだ誰も地球の重力に育まれ、遺伝子継承してきたホモ・サピエンスは体験した事がないのに。

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人類社会の現実的日常において、「知能」が「人工」になる。「楽になる」「解放される」。

何故「教育」や「資本と労働」「貨幣」などは変わろうとしないのだろうか?

「政府」は「国家」は変わろうとしないのだろうか?

「宗教」は教祖という「ホモ・サピエンスの個体による思想」によって決定している。変われないのだから「淘汰・消滅」以外の道は無い。

こんな当たり前の事が、何故理解できないのだろう?

生育環境的にも、個人的には鬼滅の刃に登場する、上弦の弐「童磨」の感情・感覚はわからなくもない。

仮に彼が万世極楽教の「教祖の二世」としてに生まれていなかったら?

仮に鬼舞辻無惨が現れなかったら?

彼は完全に彼のまま、ただ生きただけの様に感じる。

そう、彼は両親から与えられた因果律のまま生き、そして万世極楽教から鬼舞辻無惨のドグマに他人から他人へと乗り換えた。

童磨のあり方は、他人の意思に乗らず、自らを選択する以外にその宿命・環境から脱出する事はない事に気付かされる。

彼もまた、「両親の因果」によって宿命づけられただけの「宗教2世被害者」でもある。

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私たちの「今」は絶えず変化している。私たちは与えられた生命の「自然権」としての「自由」を選択出来る。

わざわざ他人の「ドグマ」に「洗脳」され「盲信」する必要は無いのに、

「教育」「メディア情報」「宗教」「権威」などを「鵜呑み」にする。

ホモ・サピエンスは皆違う。違っているから価値がある。

「一致団結」は「ゲーム」「スポーツ」などの「競技」だけでいい。それは「ワクワク」「ホワホワ」何かとして楽しめればいい。

地球人類社会がASIの様なOSで繋がり「誤差学習による最適化」される時、私たちの人生における「Occupation」は、ただありのまま好きに生きる事になるだろう。

嘘や憎しみからの破壊的な存在の根源が、貧困や暴力の根源因子が見つかるだろう。

結局、「母子」「生育環境」なのだ。何故なら私たちは皆、地球生態系の一部、真核細胞生物だから。

私は今、今の時代の一部だから実現している、社会的孤独と共にある事をJust Beingしている、私の人生を愛している。

そしてこれからも、生きる事が許される限り、ただそれを重ね合わせて未知の知に、何かとの遭遇に心を震わす私の状態を愉しみたいと準備している。

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きっと「死」は、人類が未来・過去・現在を紡ぐためのギフトだ。

「死」が私たちホモ・サピエンスに存在しているからこそ、人類は今現在の在り方を実現可能だった。

「メメント・モリ(死を敬え)」

「アップデート」「ターンオーバー」は「細胞の死」による「デバック化」「最適化」が必要だ。

固定化されて不要になった過去の遺産は、「死」や「消滅」によって物理的に淘汰・無化される必要がある。

私たちはそれぞれたった1度だけ、生まれてから常に「秒読み段階」として与えられた機会としての「死」に対し、その「無限の価値」の先に、何を見出すのだろうか?

無数の先人たち、無数の祖先たちの先にも無限の人生が存在していた。

そして私たちの子々孫々の先にも、「無限の遺伝子多様性プログラム」と「シンギュラリゼーションの先」が織りなす存在しているのだろう。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。