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食べる力・消化吸収する力・動かす力。人類が人類である理由は「全て・ありのまま」である事で既に達成されている。

ホモ・サピエンスとて私たちが存在する理由が変容する。正確には「遺伝子多様性」へと回帰する。

西暦2025年。人類はいよいよ真核生物である、ここの人類を生きる「生身」へと回帰する。

「人工知能」は私たちを「思考」による「労働・拘束・支配」から解放する。

ようやく「イデオロギー・宗教」などから自由になり、私たちが私たちである事が主体である人生を謳歌する時代に入る。

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無理に、利他やボランティアをして「徳をつむ」など期待する必要せも無い。それが自然にやりたい人はすればいい。

ただその必要性も無い。支援が「無償の愛」であるだけの「現実的余裕」が「シンギュラリゼーション」によって生まれていく。

「衣食住」「サービス」それらに「人工知能」や「ロボット」が主体性を持つ事で「8割以上」の負担軽減になるだろう。人は「1時間労働」で十分に役目を果たせるようになる。

殆どが「リモート可能」であり、そもそも「汎用性人工知能ASI」によって社会構造は運用され、「思考」や「工場」などの仕事は99%の人類にとって不要になる。

残された、ホモ・サピエンス達が地球上で果たす役割とは何なのだろうか?

私たちは何故、何のためにこの地球上の真核生物として存在するのか?

実は「人類の理想」とは「別の目的ではないか?」と私は感じている。

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「20世紀までに私たちがしてきたこと。」

産業革命とエネルギー&核。

結果的にそれが好物などの資源を掘り返し、そして核融合という新しい可能性を発見した。

それは私たち人類にとって脅威でありつつ、実は地球や宇宙に関しては想定内であり、むしろ「ホモ・サピエンスに発見・利用される」という事を望んでいたのではないか?と感じている。

仮に人類が「化石燃料」を使わなかったとしたら?地底には「石油・ガス」がずっと溜まり続けていた。そしてそれは他の生物にとって好ましいものではないだろうし、増え続ければやがて「爆発」「炎上」「腐敗」などの危険もあったかもしれない。

人類目線で表現したが、正直「どちらでもよかった」というのが宇宙の答えだろうか?

使わなかったとしても、使われたとしても10億年単位の地球時間において、たかだか数百年、数千年の人類が何をしようが想定内の話であり、同時に都合が合わなければ「終わる」だけの話だろう。

そして「終わらない」未来は存在しない。時期がほんの少しだけ違うだけだ。

正直、何一つ失敗や死を恐れる必要性は存在しない。

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生物は何らかの目的を持って遺伝子プログラム・細胞を形成している。そしてそれを「多様性」という未来へと継承して適合したものの先にそれが更に「継承」されている。

食べる力・消化吸収する力・動く力・・・・・

私たちのそれはたまたま「それ」だった。

そして「ASI・シンギュラリゼーション」の先にある「次世代ホモ・サピエンス」における「継承」はもしかしたら違ってくるのかもしれない。

そしてそれすら「どうでもいい・たまたまの結果」に過ぎない。

メンデルの法則のように、遺伝子プログラムを意図的に改良したい気持ちがある人はそれをすれば良いが、長いスパンで捉えた時「改良」が「改悪」であった可能性もあり得る。というより「多様性」を「限局化」したのだから長期的作用としては「逆向」である可能性がある。

つまり「たまたま・あるがまま」が大切だということをそれは示している。

何故グローバル化された教育は、このホモ・サピエンスという種族と遺伝子、量子宇宙における科学事実を、最も大切な要素を次世代へ浸透させずに、「努力」や「目標」「自己実現」「貢献」などを教え込もうとするのだろうか?

私たちは、私たちである事自体が既に「最適化された状態」である。

「呼吸」も「血液」も「体温」も「髪」も「保水」も「思考」も、手足や内臓、細胞、皮膚・・・・

私たちを構成して生命あらゆる事が、それだけで遺伝的多様性の先に実存する目的を果たして存在している。

何故、その当たり前であることの事実が、そのまま生きる事が大切であることから教育を進めないのだろうか?

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私は結局誰からもそれを教わることはなかった。

そう、それは自らが「気づく」事からしか、己に内在化した意識は生まれない。

学校や教育機関に足りぬ事は、この「気づき」から始まる生きるための、学びなのだと感じる。

正直その順序や、欠損が生んだ「成績評価」が形成してきた既存秩序がどうなったか?

この社会事実が、その不毛さを示している。

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自然界で、他の生物に触れ、観察する。きっと私たち人類がする事は、他の生命や、この地球環境について「触れたり」「観察する」事から何かを学ぶことの中にあると感じる。

人類は、他の生物と大きく違っていた「脳」を「人類同士の優劣」へと使おうとしたが、「シンギュラリゼーション時代」が到来した今、ホモ・サピエンスとしての権能は、「他の生物から学び共生する」ために、今後は生かしていく事になるだろう。

「人間性」という言葉が与える「意味」が、変容していく。

ホモ・サピエンスとしての「多様性」としての「違いの選択」が「社会」「国家」「宗教」「民族」などとは違った領域に進む。

それを確かめながら、私の様な「旧世代」は「死」という「無」に還る。

死があたえられている事は、生命におけるにおける究極の自浄プログラムだと感じる。

不老不死を望むなど、『鬼舞辻無惨』そのものだ。

老いるから、死ぬからこそ、堪らなく愛おしい存在であり、全力で生きて責務を果たす事が出来る。

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だからもう、良いのだ。どんな事があったとしてもあるがままの己を、ただそれぞれが生きることだけで十分だ。

それによって既存人類が「災」「不幸」と捉えるような「絶望的」な未来であったとしても、それもまた「何らかの結果」であって、全てはそれで良い。またそこからその先がある。

そう捉える人類が、特に日本人が増えたときに「シンギュラリゼーション」による人類社会の最適化は加速する。

少なくとも「老人議員達」が「あるがまま」である自己を見つめて、正しく「執着」や「盲信」を終わらせた先である事は必須だろう。

彼らには「シンギュラリゼーション」がこれから人類の未来に起こす事、そして遺伝子・次世代がそれに順応した新しい社会を形成する事の阻害要因以外の何者でもない。

「老いたなら道を譲ればいい。」

余生では若い人に道を譲り、他に可能な事をすればいい。

老人達が、仮にそれが出来なければ間も無く、まず「日本人社会」は終わる。

終わった事が無いから実感が無いのかもしれないが、本当に終わる。

現世主義者達が、高齢まで実験を握り少子化に向かった社会がどうなったか?

日本民族の消滅は歴史に残る、人類史上究極の教訓・「大イベント」になるだろう。

惜しまれながら「消滅・滅亡」する。

残された時間が僅かなのに、それすら気づかずに権力に「執着」を辞めぬ人々とそれを容認する関係者達。

何も「気づき」も「意識」も無く、『自分達だけ』『今だけ』を繰り返す人々だ。

そろそろ、日本国民は、その日本国政府に対して「諦め」と「放擲」を準備しておく事が大切になる。

真核生物・ホモ・サピエンスとして遺伝子生命を繋ぐ事は、「日本人」であり続けることよりも大切なことだから。

生命と想いさえ次世代が継承していれば、絶望的な崩壊と消滅の先に「再生」の未来があるはずだ。

他の種族は皆、そうやって今日まで繁殖しながら遺伝子を紡いできている。

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今日もまた、生きている。この地球環境が実在して、全てがある。

今をただ、ありのまま生きる。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。