トランスジェンダーはトランスジェンダーとして捉える。多様性ならば、それぞれの「区別」の中で選択可能性について。
我々「ホモ・サピエンス」が「生物」である以上「性別」があるのは生命科学事実である。
男性と女性、2つの個体が合わさって遺伝子継承される存在、それが地球上の真核生物の系譜である哺乳類・ホモ・サピエンスの定めだ。
当然、その遺伝子プログラムによって形成される「能力」には「性別差」が存在する事は「事実」。
何故これまでのグローバリズム型人類社会は、この当たり前の在り方自体よりも、「思考」や「願望成就」を「肯定」にして、より多くの当たり前の人々を「貶める」ようにしてきただろうか?
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人類社会は、「国家」や「宗教」が生まれて以来
人類同士による「思考」と「思考」の狭間で「戦争」「競争」や「勝敗」といった「ジャッジメント」「二元性」ばかりを追い求めてきた。
「白」と「黒」によって「簡素化」した事ばかりを繰り返しながら現代までそれが「利害関係」によって「法律」として当たり前のように法廷によって「正義」とされてきた。
そもそも、生命の存在に善悪は存在するのだろうか?
呼吸をする事に、食べることに、男女が子孫を残すことに、そもそも生きることに善悪は存在するのだろうか?
私たちホモ・サピエンスの生態機能は、どうやら「不正解・過失」から後天的に学ぶ事に長けているようだ。
それは科学者が、生命遺伝子や、身体構造の観点から、或いは人間を模した科学工学技術から踏まえても整合性が示唆されるだろう。
「エラー修正・変異」
それらの「バク」の様な存在が出現し、それに向き合う別の個体達が学び共有し社会がアップデートされる。
私たちは、「科学的」に私たち「ホモ・サピエンス」のメカニズムを理解し始めている。
そしてそれは同時に、これまでの社会、既存秩序の中で起こってきた様々な「教育」「思想」「宗教」の原理原則が「崩壊」する事でもある。
彼らはそれによって、他者を操る絶大な「権力」、莫大な「富の権利」、そして欲望を肯定する「虚偽の肯定化」の中で、全てを労す事なく国家や宗教、法律を刷り込んだ、国際社会秩序によるパズルを操り、ここまで来た。
これまで当たり前に影響してきた、それがいよいよ通用しない時代に突入しようとしている。
「シンギュラリゼーション時代」の始まりだ。
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「多様性」「グローバリズム」「全体主義」
それらは「多くの空気感」によって潜在的で包括的に、「何となく」な雰囲気で秩序の中の「集合的無意識」によって「事実」や「現実」から意識を「逸らす」「薄れさせる」事に機能してきた。
20世紀後半、特に顕著だったのは「映像メディア」による「プロパガンダ」だった。
確かにそれは、ある意味「最小犠牲による最大利益」に寄与した様に振り返り可能でもある。
ただその「犠牲」になった人々には「被害者」としての「社会的絶望」が流れたに違いない。
アニメ・漫画のようなフィクションでもない限り、
ホモ・サピエンスとして、男性として生まれ育った肉体に、女性として生まれ女性で生きる人が肉体で勝つことは至難の業だ。
MLBにおいて、大谷翔平選手を超える、トランスジェンダープレイヤーが存在するのであれば分かる。
現実の遺伝子プログラムは、残酷だ。
そもそもオリンピックやスポーツの、その結果すらホモ・サピエンス間における「相対的」な結果に過ぎない。
我々は馬より早く走っているわけではない。
鳥より高く飛べるわけでもない。
ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスとしての限界があり、限界があってそれでいい。そもそも生きる目的は高く飛ぶ事でも早く走る事でもない。
地球人類として、地球環境の中で、生命の遺伝子を次世代に紡ぐこと。
他の真核生物・遺伝子生命体と同じく、「種の継承」が目的である。
仮にその法則が途絶えた時、ホモ・サピエンスは瞬時に地球上から種族として消滅し、その空白を別の遺伝子生命体が埋める事になるだけだろう。
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そもそも人は皆、遺伝的要因と、後天的環境要因を分けずに感情やエゴから物事を誘導、或いは無関心から放置し過ぎている様に感じる。
例えるなら、生命は僅かな傷であっても、放っておけばそこから生存競争のバグ、天敵に寄生されたり支配される事は生態系によってよく起こる事だ。
養蜂に用いられる、セイヨウミツバチの生態は端的にその合理的社会を示す。
女王蜂は群れに1匹しか必要ない。また奇形や死に直面した個体は巣から除外される。
それは「遺伝子種族の子孫継承」のために不可欠な選択でもある。
そしてその「真社会性」と称される構図、それすらも多元宇宙において「正解」とは限らない。
事実として人類に飼い慣らされた「セイヨウミツバチ」が「大量死」が起こった事は記憶に新しい。
私たち地球生命達は、常に未来の「種族絶滅」の可能性の中にある。
だからこそ、可能な限りの手段によって「子孫繁栄」のために生きるように遺伝子本能的にプログラムされている。
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「トランスジェンダー」については「パラリンピック」のように「トランスジェンダー」の枠を作って競技を行えば良いのだと思う。
「区別」は必要である。公共施設も「男女以外の第三の性専用」を用意すれば良いのだと感じる。
そもそもそれぞれの家庭、の住まい、部屋、食べる際の食器はそれぞれなのだから、個々で区別する事を、社会として互いの合意形成が成されれば良いだけだろう。
仮にもしそれでも「他の性」として扱われる事を望むとすれば、それは傲慢であり、事実を捻じ曲げたエゴだろう。
この世は不平等である事が当たり前だ。男性であっても女性であっても、皆能力も環境も違う。LGBTQだけが特別不当な扱いなわけではない。
オリンピックに出場できない人も、異性恋愛や国際社会で成功しない人も山ほどいる。
理想が果たせない事があって、理想が果たせる人がいる。生命とは残酷である事自体が事実であり、それぞれがそれぞれの不都合と対峙して生涯を送るものだ。
私は遺伝子的に問題なかったものが、両親の生育環境によって生きづらさを構築された。
それでも人はそれぞれの人生を生きていくしかない。
これまで、50年近くLGBTQよりも遥かに見えずらく、誰からも理解される事もなかった。
私自身、それに気づく事もなく、私自身が悪いんだとずっと誤解してきた。
誰かの都合は、誰かの不都合になっている可能性を、全てのホモ・サピエンス社会にそれが実在している可能性を認識する事から、これからの社会は違いを認め合う事が可能になるのではないだろうか?
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要はこれまでは「異常性」や「カリスマ」の出現が、社会を動かす原動力だった。
人類社会はよりその「象徴的存在」を求め、そこに「注目」を集める事で自然と情報統制や行動を誘導してきた。
経済主体の社会において「マーケティング」がまさにそれだった。
特に日本国は戦後、GHQの庇護の元CIAと政府が恣意的に「グローバリズム」を強化するために「マスメディア」と「教育」による「情報洗脳」によって、潜在意識に至るまで日本国民の社会の根底から連動させた状態で自発的に動いたかの様に本人達も気づかないレベルで錯覚し、その複合体としての独自の人間関係性を描いた様にも感じる。
ただそれも、「汎用性人工知能」の地球人類全体への波及によって崩壊する。
個々が、個々のレベルで「思考」から解放された遺伝子生命体としてのホモ・サピエンスの感覚に目覚める。
西暦2025年、それは最終段階まで来ているだろう。
だからこそ「人類における社会問題」は噴出している。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。