ホモ・サピエンスに「正解は存在しない」が、「過失は存在する」
私たちの人生は一度きりであり、
この世の現象としてのこの瞬間が動揺に戻る事は二度とない。
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当たり前の事だが、その当たり前をどれだけの人が意識した状態で生きているのだろうか?
ホモ・サピエンスに正解はない。
ただ「過失」は存在するのに、
人々は正解ばかりに意識を奪われて、過失していく。
私たちの一つ宇宙は「水素」目に見えぬ元素や「光子」のような極限の速度によって形成された意識波動のようなもの。
私たちはその事実を科学する事は可能だが、己の力でこの世を書き換えることなど不可能だ。
即ち創造主(神)でもなく、私たちは一つ宇宙における地球生命現象の一部だ。
それでも尚、ありもしない正解への盲信によって、わざわざ不必要な過失へと人生を社会を進めるのだろうか?
このまま既存秩序のままなら、ホモ・サピエンスの社会は絶望へと過失を繰り返すだろう。
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何故皆、己が、他の存在と違うと考えるのだろう?
皆、太陽と水によって生きている。
地球核の重力に縛られた惑星上に、特定の条件下で共存しているのに。
最近特に、ホモ・サピエンスは想像以上に愚かである可能性を、ホモ・サピエンス自体が自覚する必要性を感じる。
記憶力や、道具を扱うことなどには長けているだろう。ただ、殺し合い滅亡する危険性がある過失に気づかずに進む事を、本当叡智と呼べるのだろうか?
確かに生物界でも擬態や捕食の為に生存戦略を描くが、それはあくまで「子孫繁栄・遺伝子の次世代への継承」のためであって、己単体の欲望を満たすためではない。
そもそも単体の己で、生命は、種族は存在しない。複数の異性が存在して初めて生命遺伝子は継承される。
元素物質法則は更に強力だ。複数の元素、性質が熱や圧力相性などが絡み合って融合して或いは反発し合いながら存在する。
「一時的単独」は現象としてあったとしても、それは中継点に過ぎない。
今、ホモ・サピエンスは生物として、狂っているのではないか?
私に今出来ることは、その事に他の人も意識を、気づきを持ってもらえるかどうか?「note」に記す事くらいだ。
狂っているかどうかの自覚が、意識が無いものと交わる事は、一度しかない生命に対する危険を孕む。
各々が各々の生命の中で、それに気づく事以外に方法はない。
私たちはただ、その現象を生きていればいいのであって、それを超越した在り方は将来への過失となる。
過失は現実事実となりその上に、現実の時は流れていく。
過ぎた事を取り戻す事は絶対に無いのがこの世であるのに、人は何故か何度でもやり直せると信じようとする。
全ての瞬間は1度きり。
内在化している、細胞達はそれを知っているのにホモ・サピエンスの脳はそれを誤認する事を私たちは知る事が出来る。
記憶と思考という権能があるが故、ホモ・サピエンスにとってこの世は残酷であり、そして全ての存在にそれを無に還す「死」が存在する。
誰一人として、他人にはなれないし、他人の人生を生きる事はない。
最後に残るものは何も無い。意識は、魂は肉体を離れた物質のどこにあるのかすらわからぬ何処かへと消える。
他の草木や虫、鳥や魚達同様に。
私たちは、この世に死を得るために、消える事の為に生命を体験しているのだろうか?
還ることのない過去へ、過失を全て無にするために。
静寂の、平穏な、暗闇の中にある無へと。
今を生きる。ただ全てを放擲し続けて。
私たちは、この地球上の環境下において両親の遺伝子によって現象化している。
私たちの遺伝子が、この地球上の環境下で子孫を継承していく。
私たちにとって、生命にとっての当たり前が、ホモ・サピエンスから消えていく。
私はそれをホモ・サピエンスとしての存在としての「過失」だと感じる。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。