第54回「野村萬斎×羽生結弦のラジオ放送後、脳裏によぎったミーティア」の記事について。

 みなさん、こんばんは。ライターの大木雄貴です。

 嬉しいお知らせが舞い込んできました。以前、羽生結弦選手がゲスト出演した「「野村萬斎のラジオで福袋」がテレビ特別編として、8月11日6:10からNHK総合で放送されるそうです。

 楽しみですね。そんな嬉しい知らせを受け、今日は久々に「記事の記事」シリーズを更新します。対象の記事は、2025年4月10日に公開した「野村萬斎×羽生結弦のラジオ放送後、脳裏によぎったミーティア」の記事です。全文はこちら

 お二人は3.11当時、「日本に居られなかった者」がゆえに感じた苦しさと、「日本に居て被災をした者」がゆえに感じた苦しさを語り合いました。

 リスナーの僕は「あれ? ここから、どう話を展開もしくは転換するんだろう」と思いました。

 萬斎さんは、「どん底に落とされたような気持ちの中で見上げた星空が?」と話を振りました。すごかったですね。僕の立場で言うのもおこがましいですが、アイスショー「notte stellata」の意義を芯まで理解している人の話の持って行き方のように感じました。

 以降、羽生選手は海外で見た星空と、避難所で見た星空について語りました。そこから、自身の状況、周囲の状況の難しさ、その中での“スケート”について話し始めました。ここから「3.11から、応援されてきた立場」と語り、覚悟を決めた様子が伝わってきました。

 これらを聞いて、僕の脳裡にはミーティアがよぎったのでした。

 既にミーティアの「記事の記事」は書きましたが、また明かせていない裏話も綴らせてください。実は、公開ボタンをクリックするまで、一部の表現についてギリギリまで悩みました。それが以下の※部分です。

<かつて、被災したのち、避難所で見た星空から希望を見出した青年(※)がいた>
<覚悟を決め、王者になるため茨の道を歩んだ青年を、我々は知っている>

 最初の段階では、※部分は少年でした。文章のストーリー上、ここを少年と記した方が、後に出てくる<茨の道を歩んだ青年>がより栄えるからです。精神的に成長した感じが出せるから。

 でも、僕はそれをやめて両方<青年>と書き直して、記事を公開しました。

 少年法だと……とか厚生労働省的には……とか、調べればそんな基準やら、具体的な年齢は出てきます。ただ、ここではそんな基準や物差しはさほど意味をなさない。実年齢より、もっと大事なことがある。

 彼は避難所にて星空を見た時点で、今まで育てた意志をより強固なものにしたのだろうなぁと僕は考えました。そして、拠点を変えながら周囲の支えや応援を受け、スケートを続けられたことにより、強固になった意志は覚悟へと変わっていったのだろうと思いました。

 ※部分の話に戻ります。歯をくいしばりながら、場合によっては苦虫を噛む思いをしながら意思を強固にした人物に対し、<少年>は失礼かな。もっと言えば、何かを成し遂げるために、既に考えて行動している人物に<少年>は失礼(僕より大人だ)。これらの思いと尊敬の念が、僕に※部分を<青年>と替えさせました。

 上に記したように、「ここを“少年”にした方が後に出てくる“青年”がより栄える」などとは、“こんなモン、オレのくだらんエゴでしかないわ!”と自分に喝を入れました。

 茶目っ気と美しさと癒え切っていない傷を抱えたまま駆けているような生々しさが、羽生選手の魅力でもある(大心配なところでもある)。自分にとっての面白さや都合のみを優先させるライターのくだらん欲で、取材対象者の魅力を曲げてはいけない。僕は、そう思って日々の活動に当たっています。

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