【核兵器のない世界へ向けての宣言】
もしも全面核戦争が起きたら、放射能汚染の脅威にとどまらず
世界各地で大規模な火災と火災旋風が発生し、大量の噴煙・粉塵が大気中に放出されます。
太陽光線が長期にわたり遮断され、地球全体が厚い雲に覆われることで
気温低下をはじめとする気候の激変、オゾン層の破壊、動植物の死滅、農業の壊滅、餓死者の続出……。
その他、未曽有の大惨事が地球環境や人類社会へ確実にもたらされます。
核戦争の結末は『核の冬』です。核戦争に勝者はいません。それは文明の終焉をも意味します。
『核の冬』と呼ばれる地球の変わり果てた姿を、いったい誰が見届けることになるのでしょうか?
1945年8月6日…。
たった1個の爆弾が瞬時に
1つの都市を壊滅させ14万人の尊い命を奪いました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、音速をはるかに超える秒速1㎞の『衝撃波』と『爆風』で
建物や人々の肉体を激しく切り裂きました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、『放射線』と呼ばれる
大量で強力な “見えざる毒牙”(ɤ線120㏉・中性子線34,5㏉)で
人々の肉体を骨の髄まで蝕(むしば)んでいきました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、数百万度から数千度に至る ”第2の太陽” ほどの『火球』と
おぞましき4000℃の『熱線』で
人々の肉体を、影も痕跡も残さずに蒸発させました。
1945年8月6日…。
その爆弾による蒸発をまぬがれた人々は、飲み水を求め地獄の苦しみの中で死んでいきました。 血みどろの黒々とただれた焼死体が
そこらじゅうで山のように積み上げられました。
1945年8月6日…。
その爆弾により、至る所で更なる大規模火災が多発しました。
燃え広がる火災はやがて猛烈な勢いで超高温の炎を巻き込みながら
秒速100ⅿ以上の『火災旋風』(=炎の竜巻)へと変貌し
無数の人々を焦熱地獄の中で焼き殺していきました。
1945年8月6日…。
その爆弾が落とされた20分後から、重油に似た粘り気のある
大粒の『黒い雨』(放射性降下物)が、憎しみと悲しみの涙のように
晴天の広島の爆心地から遠く離れた場所までも降り続きました。
1945年8月6日…。
その爆弾による黒い雨は、当初の調査(南北29㎞/東西15㎞)よりも
実際は4倍もの広範囲に及びました。 黒い雨を浴びた人々は
急性放射線障害(大量出血、急性白血病など)によって
万に一つ生かされても、その後の人生を台無しにされました。
1945年8月6日…。
この世に一瞬の存在も使用も許されない爆弾が
世界で初めて広島に投下されました。
その爆弾は閃光と轟音を伴いながら、数十万気圧の超高圧を生じさせ
急激な上昇気流が巨大な『きのこ雲』となって
上空16㎞の高さにまで到達していました。
しかし…
想像を絶する圧倒的戦力で惨殺された多数の民間人に
どれほどの罪があったのですか?
80年後の今もなお放射線の後遺症で苦しむ多数の被爆者に
どれほどの罪があったのですか?
80年後の今もなお悲しみに明け暮れる多数のご遺族に
どれほどの罪があったのですか?
悪魔の道具としか思えない『核兵器』という爆弾。
それは罪の無い民間人に過剰な苦痛を与え
無差別かつ大量に殺戮するだけの恐ろしい道具でしかありません。
なぜ人類社会は、このような悪魔の道具を
現在までに葬り去ることができなかったのでしょうか?
ある国は、核兵器をみずから保有することで仕返しを恐れる敵対勢力からの核攻撃を抑止できると考えました。
またある国は、核保有国の核の傘によって
安全保障が確保されると考えました。『核抑止論』という考え方です。
しかし人類社会全体の現実的な未来像に対し
私たちは憂慮しないではいられません。
もしも核抑止論が罷(まか)り通るのなら
世界のすべての国々が核兵器を保有するか
核の傘下に従属せざるを得ない理屈になってしまいます。
核抑止の名目のもとで東西各国が核開発や核武装に執着し
全地球的な “核の拡散” へ行き着くとしたら
安全保障の確保どころではありませんね。なおいっそうの不安定化要因に
世界じゅうが覆い尽くされてしまうだけです。
恐怖と威嚇の均衡によってのみ
保たれてきたに過ぎない、それぞれの安全保障。
お互いの喉元に凶器を突きつけながら
片方の手で偽りの握手を交わす姿を想像してみてください。
打算や裏切りによって “綱渡りのような均衡” が
いつ壊れたとしても全く不思議ではないのです。
ましてや特定の核保有国に政変が起きたとき
その後継指導者が理性的に行動する保証など何もありません。
誤算・誤認・誤作動・偶発的事件等のリスクに加え
自爆を厭(いと)わぬテロリストたちに核兵器や核技術が
無断使用や盗難にあったなら、誰がその責任をとれますか?
最近に至ってはAIの発展がめざましく
人工知能などの新技術が核兵器システムに組み込まれた場合も
想定外な核リスクが高まるのは、火を見るよりも明らか。
昨年8月6日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式で
湯崎広島県知事は宣言しました。
『人類が発明して、かつて使われなかった兵器はない』
『それが存在する限り、必ずいつか再び使われることになる』——と。
まったくその通り…。
この世に核兵器が存在する限り
人類破滅への悪夢がいずれ現実のものとなる恐怖。
この底知れぬ恐怖の牢獄から、人類はいつ解放されるのでしょうか?
それとも解放されないまま、終わりの日を迎えるつもりでしょうか?
無策のまま核兵器に依存しているだけなら
世界終末時計の非情な針は加速されるいっぽう。
人類破滅に向かうための準備を
急いでいるのと何も変わりませんね。
そもそも核抑止とは、『相互確証破壊』つまり
核使用を前提とした考えに基づく理論。 現実はしかし
核抑止論の登場以降も世界各地でこれまで以上の戦争が頻発しています。
米ソ冷戦時代に遡(さかのぼ)るまでもなく
世界は核戦争の一発触発の危機に何度も直面しました。
2022年2/24より始まったロシアによるウクライナへの侵略戦争では
ロシアが核使用をチラつかせながら、恫喝(どうかつ)の手段として
核兵器所有の立場を繰り返し悪用しています。
今年2025年6/13には核開発を巡り
イスラエルがイランの核開発施設を先制攻撃しました。6/22に米国もまた
きわめて高額な14発のバンカーバスター(地中貫通爆弾)を使い
3カ所のイラン核施設への空爆を行いました。
現実的に核の存在が、抑止どころか国際社会に新たな混乱をもたらす
元凶以外の何物でもない事実を如実に露呈していますね。
一時しのぎ的な核抑止論では、核兵器を永久に廃絶できないばかりか
むしろ核兵器廃絶の国際世論に対する最大の妨げになっているのが現状。
そのうえ核抑止論を、核保有正当化の根拠に崇め奉(たてまつ)る始末。
国民の命と財産を守るため…と、勘違いをなされたままの苦肉の策では
いずれ甚大なしっぺ返しを食らうこととなります。
国際社会において、非核派と核保有派との間には
決定的な分断が生じてしまいました。
この現象そのものも悪魔によって仕組まれた罠(わな)であるかのように…。
1945年のアメリカによる日本への原爆投下の目的は
アジアでの勢力拡大を狙う旧ソ連の対日参戦を阻止するためのものでした。
原爆を投下せずとも日本の降伏はすでに秒読み段階にあったので
『原爆投下が戦争を終わらせた』とする考え方は事実と異なります。
戦後80年の経過を待っても、一部のわずかなアメリカ国民しか
この許しがたい事実をご存知でない。
現在進行形の核抑止論がやがて独り歩きをして
自国有利な解釈への差し替えが容易に許されるようになれば
大戦当時と変わらない轍(てつ)を踏むこととなります。
ところで私は、正義感に燃える一部の国だけに
核兵器と今すぐに決別しなさいと進言しているわけではありません。それは敵対国の眼前に自国民を丸裸にして差し出すような行為と同じだからです。核抑止論者は、しばしばこの点を切り取って持論を展開していますね。
はたして霊長類である私たち人類の思考空間は、そこまで単純でしょうか?閉鎖的空間よりも開放的空間であることのほうが
多くの物的交流が可能なように、幅広い叡知を結集しつつ
最善の道を選択してこその聡明さを、人類は持ち合わせているはずです。
最善の道とは、平和的話し合いと不屈の外交努力によって
核兵器を世界同時進行の形で全廃に持ち込むこと。
そのために何百回でも何千回でも話し合おうではありませんか。
敵も味方もなく、いかなる国の人々も同じ地球で運命を共にする地球人。
世界の恒久平和を本気で実現したいのなら
そして愛する家族の命を本気で守りたいのなら
ロシアや中国や北朝鮮の指導者たちにも食い下がって
誠意と熱意と根性で、とことん交渉する。 お互いの喉元に
核兵器という凶器を突きつけて威嚇しあうのは、もうやめましょう。
核兵器の廃絶なくして、わが人類が末永く生き残れる可能性はゼロです。
人道主義の見地からも、人類と核兵器が共存してはいけない。
人類自身の一致団結と、たゆまない努力で核兵器や戦争のない世界を
築いていくのでなければ、一体誰が未來を切り開いてくれるのでしょうか?
日本から遠く離れた多くの国々では、≪非核兵器地帯≫ を構築しています。
人の住まない南極をも含め、議定書付の6つの地域ごとの条約によって
ラテンアメリカ・南太平洋・東南アジア・アフリカ・中央アジア・モンゴルの各地域116カ国、とりわけ南半球では陸地のほぼすべてが
非核兵器地帯として国際社会で容認されるに至りました。
地域内の国々に対し、核兵器での攻撃や威嚇はもちろん、核配備の強要や
製造も許されない。核兵器が存在しない地帯であることを維持するための
検証や協議の機能を持った ≪地域機構≫ が設置され
構成各国は自国での核兵器開発や、核保有国の核の傘に頼ることなく
愛する祖国を ≪国際法≫ の力で守り抜こうと努力しているのです。
ごらんください!
ここに暮らす人々は人道に反する『核の傘』ではなく
『非核の傘』によって正々堂々と難題に立ち向かっている。
人としての “正義” を重視する可能な限りの姿勢…。
この姿勢こそ称賛されるべき戦後史の新しい潮流であり、安全保障への
きわめて現実的で有効な取り組みと言えるのではないでしょうか?
さらに2017年7/7の国連交渉会議にて ≪核兵器禁止条約(TPNW)≫ が
賛成122カ国の圧倒的多数で採択されました。その後、基準となる50カ国の批准を満たし2021年1/22にようやく念願の “条約発効” がかなったのです。
当条約により核兵器は国際法違反として『悪の烙印』を押されました。
非核地帯の構築が戦後史の新しい潮流なら
核兵器禁止条約はまさに戦後史を塗り替える歴史的転換点と言えます。
そして皆さんは、ご存知でしょう。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年のノーベル平和賞を
受賞したのに続き、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が
2024年のノーベル平和賞を受賞しました。広島と長崎の被爆者の立場から
核兵器の廃絶を長年にわたり訴え続けてきた被爆者への支援や
核兵器禁止条約の採択に向けた活動においても、約300万人の著名を
集めるなど国際的な運動を推進してきた功績はあまりにも偉大です。
同じ日本人として、とても誇らしく、とても力強い励みとなりました。
つづいて本年2025年3/3から3/7まで国連本部にて開催されたのが
核兵器禁止条約の ≪第三回締結国会議(3MSP)≫。ところが
すべての核保有国と核の傘下にある国々は、いまだ条約に不参加のまま。
核軍拡競争や核戦争に巻き込まれる、または巻き込ませるリスクに対し
何故かはっきりとノーが言えない。
世界で唯一の戦争被爆国である我が国日本が、核廃絶の悲願のために
率先してリーダーシップを発揮せずして、どうして国際社会への真の貢献を果たせるのでしょうか? 会議へのせめてもの『オブザーバー参加』を
国の内外から強く求められて当然のことなのに。
そう言えば、核兵器禁止条約採択前の交渉会議の段階から
日本政府は不参加を表明し、会議をボイコットしてきました。
空席となった日本代表団の席には、切望を意味する『wish you were hear』(あなたがここにいてくれたら)と書かれた1羽の大きな折り鶴。
参加者(ミエルスタッドさんら)の手によって置かれ
私たち日本人は、忸怩(じくじ)たる思いを噛みしめたものです。
『折り鶴』はもともと、被爆が原因の白血病により12歳で亡くなった
佐々木禎子ちゃんを偲ぶもので、核廃絶や平和に対する大きな希望の象徴。 広島平和記念公園には、同級生や、世界中の市民らの支援によって
禎子ちゃんと折り鶴をモチーフとした ≪原爆の子の像≫ が
1958年に建てられており、多くの市民から慕われています。
『なんとしても核兵器をなくしたい!』——。
涙ぐましいこの思いこそが、圧倒的大多数の市民感情というもの。
にもかかわらず、日本政府もNATO諸国もロシアや中国も
拒否の姿勢を貫くばかりでした。
『核抑止論』という狂気が、核兵器登場から80年を経過した現在までも
世界全体に暗い影を落としています。みずから国際社会の分断を生み
平和的解決や外交の努力を、悪玉の親分のごとく
妨げる側にまわって来た残念な事実を否定できません。それが証拠に
全人類の世界平和実現のための『核兵器禁止条約』を、核保有国と
核の傘下にある国々だけが真っ向から否定してきたではありませんか。
核兵器をコストパフォーマンスの悪さからも考えてみてください。
核兵器は研究開発の段階からすでに数千億から数兆円規模の
莫大な予算が要求されます。加えて製造費、性能維持管理費、運搬費
施設費、発射手段の整備費、テロ等への安全対策費、専門人材の確保費
さらに高額な核物質の入手費用。
2024年のアメリカ一国での年間核兵器関連支出額は前年比11%増の
568億ドル(8兆1500億円)に登りました。一般市民の血税をどこまでも
浪費する巨大な化け物、それが核兵器の正体なのかも知れません。
過去のデータによれば、核兵器最大クラス一個分で広島型原爆の1500倍。
あるいは全人類を170回も全滅できるほどの過剰過大な
核兵器全体としての破壊力。
国家財政を破綻させかねない天文学的数字の予算を捻出してまでも
核兵器にしがみつく必要性があったのかどうか?
2025年4月時点で、世界には1億2200万人の
難民(国内避難民を含む)がいます。しかし難民の総数以上に
世界には貧困や飢餓や疫病に苦しむ人々が何十億もいます。
すぐにでも救済の必要な何十億の人々を最優先にせず
核武装に現(うつつ)を抜かしている各国指導者の傲慢ぶりに
私は強い違和感と失望を抱かずにはいられません。
核兵器は罪の無い人々に過剰な苦痛を与え無差別かつ大量に殺戮するだけの恐ろしい悪魔の道具。人類が所有することは絶対に許されない。
核兵器の存在を私たちの世代で終わりにしなければ
それは取り返しのつかない破滅の未来を容認することとなります。
そしてそれは私たちの次の世代に対する大罪である事を自覚してください。世界平和は暴力や威嚇によって築かれるものであってはならないからです。
どうか世界中のみなさん、心をひとつに繋ぎましょう。
恐ろしい核兵器や、あらゆる戦争を廃絶するための
粘り強い信念と努力が今こそ必要です。
あなたの生まれ育った故郷や家族のために。
そして、これからの時代を生きる私たちのかけがえのない子孫のために…。
もしも全面核戦争が起きたら、放射能汚染の脅威にとどまらず
世界各地で大規模な火災と火災旋風が発生し大量の噴煙・粉塵が
大気中に放出されます。太陽光線が長期にわたり遮断され
地球全体が厚い雲に覆われることで
気温低下をはじめとする気候の激変、オゾン層の破壊、動植物の死滅
農業の壊滅、餓死者の続出…。
その他、未曽有の大惨事が地球環境や人類社会へ確実にもたらされます。
核戦争の結末は『核の冬』です。核戦争に勝者はいません。
それは文明の終焉をも意味します。
『核の冬』と呼ばれる地球の変わり果てた姿を
いったい誰が見届けることになるのでしょうか?
1945年8月6日…。
たった1個の爆弾が瞬時に
1つの都市を壊滅させ14万人の尊い命を奪いました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、音速をはるかに超える秒速1㎞の『衝撃波』と『爆風』で
建物や人々の肉体を激しく切り裂きました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、『放射線』と呼ばれる
大量で強力な “見えざる毒牙” (ɤ線120㏉・中性子線34,5㏉) で
人々の肉体を骨の髄まで蝕(むしば)んでいきました。
1945年8月6日…。
その爆弾は、数百万度から数千度に至る ”第2の太陽” ほどの『火球』と
おぞましき4000℃の『熱線』で
人々の肉体を、影も痕跡も残さずに蒸発させました。
1945年8月6日…。
その爆弾による蒸発をまぬがれた人々は、飲み水を求め地獄の苦しみの中で死んでいきました。 血みどろの黒々とただれた焼死体が
そこらじゅうで山のように積み上げられました。
1945年8月6日…。
その爆弾により、至る所で更なる大規模火災が多発しました。
燃え広がる火災はやがて猛烈な勢いで超高温の炎を巻き込みながら
秒速100ⅿ以上の『火災旋風』(=炎の竜巻)へと変貌し
無数の人々を焦熱地獄の中で焼き殺していきました。
1945年8月6日…。
その爆弾が落とされた20分後から、重油に似た粘り気のある
大粒の『黒い雨』(放射性降下物)が、憎しみと悲しみの涙のように
晴天の広島の爆心地から遠く離れた場所までも降り続きました。
1945年8月6日…。
その爆弾による黒い雨は、当初の調査(南北29㎞/東西15㎞)よりも
実際は4倍もの広範囲に及びました。 黒い雨を浴びた人々は
急性放射線障害(大量出血、急性白血病など)によって
万に一つ生かされても、その後の人生を台無しにされました。
1945年8月6日 午前8時15分…。
この世に一瞬の存在も使用も許されない爆弾が
世界で初めて広島に投下されました。
その爆弾は閃光と轟音を伴いながら、数十万気圧の超高圧を生じさせ
急激な上昇気流が巨大な『きのこ雲』となって
上空16㎞の高さにまで到達していました。
1945年8月9日、午前11時02分…。
”原子爆弾” と呼ばれるその爆弾は、3日後に長崎の街にも投下されました。
長崎では当時の人口24万人のうち、7万4909人の負傷者に加え
7万3884人の尊い命が奪い取られました。
長崎に投下されたプルトニウム239の原子爆弾『ファットマン』は
広島に投下されたウラン235の原子爆弾『リトルボーイ』の
1.5 倍(TNT火薬換算)もの威力を持つものでした。
しかし…
想像を絶する圧倒的戦力で惨殺された多数の民間人に
どれほどの罪があったのですか?
80年後の今もなお放射線の後遺症で苦しむ多数の被爆者に
どれほどの罪があったのですか?
80年後の今もなお悲しみに明け暮れる多数のご遺族に
どれほどの罪があったのですか?
2025年8月6日、建礼門 葵
ー【核兵器のない世界へ向けての宣言】ー
✨お願いです❕
✨この宣言を全世界へ発信&拡散してください ❕❕
✨平和を願う全人類の未来のために。
✨そして、この地球に暮らす全ての生き物たちのために……。
**********************************
✨核兵器廃絶に関する質疑応答✨
幾つかのNOTE記事で発見した核廃絶反対論者(少数派)の意見を ≪Q≫
それに対する私なりの意見を ≪A≫として、質疑応答のごとく
以下に示しました。皆さんも一緒に考えてください。
**********************************
Q1、もしも西側諸国が一方的に核兵器を廃絶するなら、民主主義社会は
更なる後退を迫られるかも知れない。核を放棄することは国家の
価値そのものを放棄し他国に譲り渡すことを意味するのではないか?
A1、一方的な核廃絶を提唱しているわけではありません。
敵対国の眼前に自国民を丸裸にして差し出す行為と変わらないからです。
粘り強い外交努力の交渉に基づく世界同時進行の形であることが大前提。
そして核廃絶の確固たる姿勢は国家の価値を下げるどころか、むしろ
矜持ある(=誇り高い)存在として国の内外で尊敬を集めることでしょう。
**********************************Q2、これまで核保有国どうしが全面戦争に発展したことはなく、さらに
核保有によって、他国からの侵略を予防する手段ともなっていたが…。
A2、双方が核保有国となったインド(1974年)とパキスタン(1998年)は
1998年以降も たびたび武力衝突(1999・2001・2002年・2019年等)を
繰り返していますね。
核の非武装を理由に、他国からの侵略攻撃を呼び込むとされた方程式は
成り立っておらず、むしろ核保有国であっても、ロシアに対する
ウクライナや、イスラエルに対する反イスラエル勢力のように
核の脅しにも関わらず、終わりの見えない戦闘が続けられています。
これらの現状を鑑みれば、必ずしも核兵器による脅しや抑止効果に
実効性があるとは言い難いですね。
確率論まがいの単純発想のみで、 こじつけられる問題ではないのです。
**********************************Q3、日本が核武装をせずとも実質的に同盟国のアメリカが核戦力を肩代わりしてきたのだから、核の傘は有意義な防衛手段と言えまいか?
A3、現実的に核の傘下にある国は少数派。世界全体では
国連加盟国(193)の半数以上にのぼる116の国々が、核兵器とはいっさい
関係のない安全保障政策を国際法の力によって築き上げています。
核の傘ではなく、『非核の傘』こそが安全保障の名に最もふさわしい。
**********************************Q4、つねに古い技術が新しい技術に取って代わるように
核兵器よりも優れた兵器が開発された時にのみ、核なき世界が実現する。
核兵器の廃絶を望むなら軍事予算を大幅に増額し
核を上回る有力な兵器を作り出せばよい。
A4、軍拡競争をやみくもに煽るだけの無責任発言…。耳を疑います。
そこからは人間としての良心や向上心を聊かも汲み取ることができません。私たちの社会を構成しているのは生身の人間です。人道に反する技術は
古いものであっても新しいものであっても、ダメなものはダメ。
人類を破滅に向かわせたい悪意があっての発言なら
即刻、糾弾されるべきですね。
**********************************Q5、2017年の核禁条約に賛成したのは、国際社会における
マイナー・リーグのメンバーたちで、メジャー・リーグのプレイヤーは
参加を拒否した。自国と同盟国と国際社会に責任を持つ国が、禁止条約に
賛成しえないのは当然。マイナー・リーグの諸国が平和を満喫できるのは、メジャー・リーガーの軍事力の秩序の下に、とりわけ「アメリカによる平和」の下にあるからです。今後も責任国家は禁止条約に参加しないでしょうし、参加をすれば条約の終わりが早まるだけです。
A5、そもそも国際社会においては、マイナーもメジャーも無い。
人命の尊さに区別があってはならないのと同様に、いかなる地域の
国家も国民も皆、平等であって然るべき。他のグループとの比較化において
『責任国家』との表現を用いるに至っては思い上がりも甚だしいのでは?
条約反対派のグループは、かつて奴隷貿易・植民地支配・侵略戦争等で
他国を長年に渡って苦しめてきた、言うなれば『いじめっ子』のグループ。
各々が狡猾なやり方で他国を踏み台に富を蓄積してきた経緯があり
指導者的な存在と位置付けるには不適切。世界平和をもたらすどころか
国際秩序を好き勝手に掻き乱してきた張本人たちのグループですよね。
従って核依存から脱却できないだけの “いじめっ子たち” のみが
責任国家と呼ばれる所以などありませんね。
国際社会を構成するすべての国が、責任国家でなければならないのです。
**********************************Q6、核保有国が核兵器を手放せないのは
最も効果的に国家を防衛できる兵器として位置づけているからで
今さら核兵器廃絶なんて実現不可能なのでは?
A6、人間としての根源的な問題に立ち返ってほしい。
罪の無い他国の民間人に過剰の苦痛を与え大量殺戮してまでも
守らなければならない国家など、この世に存在しても良いのでしょうか?
同じ過ちを二度と繰り返さない為にも、私たちは
目標を見失ってはいけないのです。希望を諦めてはならないのです。
世界中の圧倒的大多数の人々が、核兵器の廃絶と平和を願ってきました。
未來を信じて、その願いをかなえようではありませんか!
**********************************
Q7、核の使用について大型の戦略核(数百キロトン~メガトン級)でなく
小型の戦術核(地域核)なら使用可能ではないか?
A7、いいえ。むしろ戦術核は全面核戦争への入り口になりかねません。
誤解されがちですが、小型の戦術核(数キロトン~数十キロトン級)でさえ
広島型原爆(約15キロトン)並みの破壊力があります。
たとえ『限定使用』のつもりでも、ひとたび使用されれば
報復攻撃は避けられず、戦術核の使用が全面核戦争を呼び込む
『最初の一歩』であることに疑いの余地はないでしょう。
ハードルが低いと考えるのは、きわめて危険な妄想です。
**********************************
Q8、核兵器廃絶という声がいくら正しくても
現実の核保有国が動くことはない。平和を求めるのなら理想論ではなく
タブーなき現実論でなければならないのでは?
A8、現実と向き合えていないのは、はたしてどちらの側でしょう?
その場しのぎの虚構でなく、私たちは人類の持続可能な未来を
着実に見据えなければなりません。
そもそも核抑止の目的で核を保有することは
国家が自国民の命を『人質』にとっていることを意味します。
なおかつ相手国の民間人を大量に殺戮することを大前提としています。
自国が核兵器を保有すれば、相手国は核攻撃をしないという想定は
『虚構』であって現実の世界では通用しません。
なぜなら歴史の教訓からも明らかなように、敗戦濃厚となった場合の
為政者は冷静な判断を失います。自暴自棄な行動をとることが常でした。
核保有論者は虚構に躍らされず、しっかりと現実を直視すべきですね。
人道に反する核兵器に頼らず、あらゆる方策を導くことこそが
現実に沿った道筋ではないでしょうか。
**********************************
いいなと思ったら応援しよう!
幼い頃からの夢は貧困や差別のない ≪あたたかい社会≫ の実現。どんな時でも
生きづらさを抱えるすべての人々を擁護し、不屈の代弁者であり続けたい…。地域社会の発展と世界の恒久平和に少しでも貢献できれば本望です。葵と共に未来を切り開いていきましょう。