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【エッセイ】政治戦士の鬨がこだまする

※政治の話をします

関連note

「何故声を挙げぬ」
「今戦わなければ未来が」
「日本のことを考えろ」
「黙っていることは肯定と同じ」
「これだからノンポリは」


人によって戦わない理由は色々ある。自分は毎日ゴキゲンに生きることが家族の維持にとっての最大の貢献だからである。(ヒント:精神疾患+易怒性持ち)

自分は今「皇室典範」関連のニュースをめちゃくちゃキモいなと思って距離をとっている。私個人の考えとしては、愛子さまがよければ、是非天皇陛下になってほしい。私は血統に拘らない。昭和天皇から受け継がれている「日本国民への温かい眼差し」が継がれていってほしい。そう考えている。
ところがどすこい、政治家達はそうもいかない。
かといって私が「愛子さまに天皇陛下になってほしい~!」と主張するのもそれはそれで違うと思っている。私が真に尊重したいのは愛子さまの主権である。それは自認個人主義者としての矜持でもある。天皇陛下のお背中を見て、眼差しを見て、お言葉を聞いて、こうありたいと願ってくださったのなら、なってほしいと思う。そうじゃないなら、皇室を抜けて下さっても構わない。自らの幸せを優先してほしい。こういう考え方と捉え方をしている。

でも私の考え方って目立たないし下手したら喧嘩売ってるところがあって(皇室に無礼だとか伝統破壊者のレッテルを貼られる恐れがある)
そんな言葉がかけられるかもしれない所にのこのこ行って自分の考えを広めようかと思うかと言われたら、否である。
あと皇室典範に関する与党の議論が、なんかすごくキモいと感じるものなので、私は「これも時代の流れとして受け止めた方がいいのかな」と思うものがある。私はぶっちゃけ、時代の流れと倫理観で続かないものなら無理に続けなくても、と思ってしまうタイプである。そんくらいなら綺麗に締めようやって思ってしまう。だから怒られるリスクがある。だからわざわざ政治的な発信をしないんですよ(←してるやないか、今)

それから私は国旗損壊罪に反対している。何故ならインターネッツで大喜利を楽しんでしまうタイプだからである。趣味嗜好はさておき、現実的に考えて、国旗などただの共同体のシンボルに過ぎない。だからといって私は無下に扱ったりはしないが、国旗を破壊的な扱いをする人間には興味を持つ。ただの下品な人間か、それとも抱えきれない憎悪があるのか。あと、私個人もなんやこの国ィ!とブチギレた時に国旗をビリィ!!とする権利は持っておきたい。表現の自由と責任を行使する為である。

さて、ここまで書いたら「こいつは左翼寄りなんだろうか」と思われるかもしれないが、実際はそうではない。むしろ左翼と思われたくねえってタイプである。でもネトウヨとも思われたくなかった。どちらかというと……たぶん……保守にあたる?(実際どうなの)
9条改憲派である。但し1条改憲絶対反対派でもある。

何故自分が9条を改憲してほしいかを書いているのは以下のnoteにある。


インターネッツの政治戦士からまず「こいつは味方だろうか」という査定を受ける。その視線(比喩)が、気持ち悪い。
私には私の考えと線引きが細かく有り、時に衝突するのが当たり前である。
なんていうか、「振り切れないんだよなそこまで」という感覚がある。

私は今日も家でゴキゲンに過ごすことで、母に「娘は今日は元気そう」と思わせるという仕事兼自宅警備員をしている。
それをしながら遠くのお店に行って「物価高エグゥ~……」と愚痴を吐き
地元には無い銀色包装白黒ポテチを見つけて「あー!ネットで話題のやつ見つけた!」とキャッキャとして買って帰る。そんな生活をしている。
正直、こういう環境に適応するので精いっぱいである。
適応しながら戦うとは、土台無理な話である。

政治戦士の鬨が今日もネットで響き渡る。荒い言葉が、140字に凝縮された怒りと憎悪だけが拡散される。
私のタラタラとした思考よりも、感情だけが共感・消費されていく。
虚しすぎんだろ。
そんな世界で戦わないというのも、一つの戦いの形である。