【1話読切】見えない花火と一本のイカ焼き『ピンボケの幸福論3』
Eテレ&note「#一言で表せない感動」受賞作『ピンボケの幸福論』のアナザーストーリーです。受賞作の裏側にある、幼少時代の記憶を綴りました。
父は、根っからの「お祭り男」だった。
季節外れの十一月末、凍てつく寒さの中で行われる長野のえびす講煙火大会。
普通ならコタツで丸くなっていたいこの時期に、この男だけは「花火だ、花火だ」と子どものように浮き足立つ。
一方、母はこの行事を親の仇のように嫌っていた。
寒空の下で人混みに揉まれるなど、彼女に言わせれば狂気の沙汰なのだ。
若い頃にお祭りで転んでケガをした苦い記憶が、冷えた風と一緒に蘇るらしい。
家庭内には、きな臭い空気が流れた。
父の目は、この頃すでに夜の闇をまともに歩けないほど悪くなっていた。
昔は父の部屋に現像した写真が溢れていた。夏の花火も、その鮮やかな一瞬も、フィルムの上では永遠に残るはずだった。けれど今や、ピントを合わせることさえままならない。
母の運転と手引きがなければ、愛する花火にはたどり着けない。
素行が悪く母とケンカしたばかりの父は私と妹に「花火、行きたいよな?」と唆し、母は「あんな寒い中、行きたくないわよね?」と不機嫌丸出しで牽制する。
私と妹は気まずい沈黙の中で顔を見合わせた。
均衡を破ったのは、幼い妹の一言だった。
「花火、見たい」
その無邪気な一撃に、母は大きなため息と共に車のキーを手に取った。
会場近くで車を降りたのは父と私、そして妹の三人。
母は頑として車から降りようとしなかった。
私と妹は父の両手を左右にそれぞれ引き、まるで手のかかる大きな子どもを連れているようだった。
人波に押され、誰かの肩がぶつかるたび、父はよろめく。
それでも顔はニヤニヤと緩みっぱなしだった。
ドーン。
腹に響く音と共に冬の夜空に大輪の花が咲く。
「おい、上がったな。今のはデカいな」
父は見えていないはずだったが、見えているような振る舞いで
顔を虚空に上げ語る。
「お父さんそっちじゃないよ」と妹は手を引っ張る。
かつて執着したレンズのピントが合わなくなったように、瞳もまた鮮やかな色彩を捉えることができなくなっていた。
「この音と匂いがいいんだよなぁ。
今年はこれで満足だ!」
父はそう私たちに言い、私の手を強く握り返してきた。
「カネはねえから何も買わんけど、花火は無料で見られるんだから、最高じゃないか」
私は言葉を失っていた。
その“無料”にすがる父の姿が、いつも以上に不安で情けなくもあり、どうしようもなく愛おしくもあった。
帰りの混雑は地獄だった。母の車が見つからない。
寒さに震えながら三人でウロウロしていると、妹が「あった!」と声を上げた。
逃げ込むように乗り込んだ車内には、場違いなほど香ばしい醤油の焦げた匂いが満ちていた。
「ひとつだけ、買っておいたわよ」
不機嫌そうに母が差し出したのは一本のイカ焼き。
冷え切った車内で、四人でその一本をかじった。
父の素行も、母の不機嫌も、その時ばかり私は許した。
あれから随分と時間が経った。
父の心に、あの夜の花火はどう映っていたのだろう。
おそらく、今の私の記憶のように、輪郭のない光の滲みだったに違いない。
けれど、四人で分け合ったあのイカ焼きの、冷えた甘く苦い味だけは、今も鮮明なピントで私の心に焼き付いている。
父は光を失いつつあったけれど、あの夜、私には確かに家族の光が見えていた。
不器用な家族の、
ピントのずれた、でも確かにあった幸福の味だ。
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