ずっと大変な道を選んできた私が、これからは“楽な道”を選ぶ理由。
こんばんは。
20回以上の転職をくぐり抜けてきた、みちです。
今日は、ちょっとだけブラックな私が顔を出しているかもしれない。
でも、まあ……たまには許してほしい。 人間、ずっと善人でいられるほど強くないから。
そんな私のキャッチフレーズはこれだ。
「人生は、もっと“楽に”生きていい」
あなたは今、
「私、いつも頑張りすぎているな」
と感じていないだろうか。
周りの期待に応えようと、無意識のうちに自分を追い詰めていないだろうか。
私もそうだった。
20回以上の転職を繰り返す中で、悩んだときはいつだって「正しい道」「大変な道」を選んできた。それこそが成長のきっかけであり、美徳だと信じて疑わなかったから。
しかし、ある出来事をきっかけに、私はその価値観を手放すことにした。
いや――正確に言えば、心の奥で眠っていた“黒い私”が目を覚まし、そっと背中を押したのだ。
「優しいあなた」が背負い込んでいるもの
私はこれまで、周囲に気を配り、他部署の業務が滞らないよう、負担にならないよう、いくつもの対応案を用意し、協力できることは全てしてきた。
それがチームのため、会社のためだと信じていた。
ある日、私は業務過多で身動きが取れなくなっている状況をどうにかしようと、改善策を提案した。 他部署との連携がスムーズになれば、全体の業務効率も上がる――そんな思いで、私なりにできる限りの配慮を込めたつもりだった。
なぜ私が改善策まで考えたのか。 理由は単純で、そして残酷だ。
他部署はすでに崩壊していて、依頼しても仕事が回らない状態だったからだ。 そして、そんな状況だからか、彼らはよくこう言ってきた。
「そんなにやってほしいなら、改善策を出してくれ」
だから私は出した。
現場を見て、問題点を洗い出し、どうすれば負担が減るかを考え、
“これなら回るはずだ”という案を、丁寧に、誠実にまとめて。
それが、あの日の私の精一杯だった。
しかし、その努力は全く報われなかった。
送ったメールの返事には、私の心を踏みにじるような言葉が書かれていた。
「あなたは判断もせず、結局他人任せだね」
「改善なんてしないから。現状維持のままで良いってことでしょ?」
……いや、どこをどう読んでその結論に至った?!
現状維持でいいなんて、一言も言っていない。
私は明確に判断した結論を伝え、そのうえで改善策を提示した。
さらに、業務が完了するなら私の提案以外の方法でも構わない、と“選択肢”まで示した。
それを―― 「判断してない」 「無責任」 そんな言葉で切り捨ててくるなんて、どの口が言うんだ。
崩壊しているのはそっちの部署で、
改善策を出せと言ったのもそっちで、
だから私は出しただけだ。
それなのに、返ってきたのは理不尽なレッテル貼りだった。
私の心は怒りと悲しみでいっぱいになった。
これまでの配慮や相手を思う気持ちを踏みにじられた気がした。
「自己反省」という名の自己攻撃
この出来事は意外にも周囲の人たちの怒りの導火線に火をつけた。
私を擁護してくれる言葉を沢山いただいた。
心配してもらえるのは、本当にありがたい。
しかし、当時の私は、そんな温かい言葉すら素直に受け止められなかった。私の頭の中を支配していたのは、ただ一つの考えだった。
「私の伝え方が悪かったのか…?」
そう、私はまたしても自己反省のループに陥っていた。
悲しみの気持ちはあるが、それ以上に
「自分の言葉が足りなかったのか」
「表現が悪かったのか」
「もっと違う言い方があったのではないか」
延々と自分を責め続けた。
そんな私を見て、同僚が静かにつぶやいた。
「それって、DV被害者の考え方だよ」
その言葉を聞いた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた。
そうかもしれない。
私は「私のどこが悪かったか」と、すべて100%自分に対して反省会をするのが癖になっていた。まるで、自分を攻撃することでしか、状況を整理できないかのように。
――思えば、この瞬間だったのかもしれない。誠実さを無礼で踏みにじる相手には、迷いなく交流を断つ“黒い私”が静かに目を覚ましたのは。
黒い私は、相手に否定されつづけてきた行動のひとつひとつを、 ずっと黙って見ていた。忘れたことなど、一度もなかった。
その記憶が浮かび上がったとき、私は気づいた。私はずっと“自分をすり減らす道”ばかり選んできたのだと。
「大変な道を選べ」という呪縛からの解放
世の中には、「楽な道と大変な道で迷ったら、大変な方を選べ」というアドバイスがある。
確かに、それも大事なことだ。困難を乗り越えることで成長できる場面もたくさんあるだろう。
でも私は、疑問に思う。
毎回毎回、大変な道ばかり選んで自分をすり減らしているなら、 たまには“逆”を選んでもいいんじゃないか?と。
大変な道ばかり選んで、自分をすり減らして、 心を削って、睡眠を削って、尊厳まで削って―― その先に、一体何の成長があるというのだろう。
私は何を鍛えているのか
忍耐?
我慢?
理不尽に耐える筋力?
そんなもの、強くしたいわけじゃない。 むしろ、強くなればなるほど、さらに理不尽を背負わされるだけだ。
苦しみに耐えることと、成長することは、まったく別物だ。
ただ痛みに慣れていくだけの人生なんて、 そんなの、誰が望んだだろう。
今回の件で、私はいつもと違う選択をした。
文章のどこが悪かったか、 どうすれば伝わったか―― 長い反省会を開くのは私にとっての「大変な道」だった。
だから、やめた。
相手のために私が我慢や妥協をするのはやめた。
ただ、必要な業務を依頼するだけの「楽な道」を選んだ。
心なんてこもっていない謝罪文と、業務依頼の文章だけを添えて返信した。 でも、それでいい。
必要以上にへりくだらない。
相手の責任まで背負わない。
私はただ、“対等な大人として”返しただけだ。
小さなことかもしれない。 ほんの一通のメールのやり取りにすぎない。
でも、確かにあの瞬間、私はこれまでとは“逆の道”を選んだ。
ずっと「大変な道」を選ぶことが正しいと信じていた私が、 初めて“楽な方”に舵を切った。
「楽な道」は無礼な人からの贈り物
私のメールに対し、結局相手からの返事はなかった。 でも、それで業務が遅れたとしても、それはもう向こうの責任だ。
私はこれまで、他人の責任まで勝手に背負い込んで、
“自分が何とかしなきゃ”と無意識に頑張りすぎていた。
そのことに、ようやく気づいた。
そして驚くべきことに―― あの無礼なメールが、私をその呪縛から解放してくれたのだ。
「ありがとう」
心の中で、つぶやいた。
皮肉なことに、相手の無神経さが、 まるで私に“楽な道を選べ”と伝えてくれていたかのようだ。
自分の人生を、もっと“楽に”生きよう
私はこれから“逆”で行く。
楽な道を選んで楽しく生きる。
もし、あなたが今、進む方向に迷っているなら
「楽な道」を選んでみてはどうか。
大変な道が好きなら、その道を行けばいい。
ただ、それが苦しくて、生きづらさばかりが積み重なっているのなら、 たまには違う風景を見てもいいじゃないか。
自分に許可を出せるのは、結局のところ自分だけなのだから。
楽な道と大変な道
どちらの先に、自分の笑顔があるか。それだけでいい。
私は、あの時、楽な道を選んで本当に……スカッとした。
