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【ルミナール戦記】第1話 無力な心に宿る灯火|note連載小説|戦記ダークファンタジー|ライトノベル|ラノベ

第1話 無力な心に宿る灯火
――弱くても、あなたを守りたい――


帝都ルミナールの朝は、
残酷なほどに眩しい。

千の尖塔が朝日を受け、
黄金の光が街を塗り替える。
白亜の壁面は光を跳ね返し、
空気までもが、きらめいて見えた。
――この都が「神の庭」と謳われる所以だ。

だが、その祝福が、
公平に降り注ぐことはない。

大通りを滑る貴族の馬車。
磨き抜かれた石畳。
豪奢な窓の奥で揺れる、シャンデリア。
光は富める場所に集まり、
誇らしげに反射して、さらに眩くなる。

一方、旧市街の路地裏へ届くころ、
光はもう、薄い。

壁の黒ずみ。腐った木戸。
昨夜の喧嘩で飛び散った血の跡。
影の中にあるものは、
影のまま、放置される。

光と影。
その断層に、少年は立っていた。
ルーク・ヴァンスだ。

歪んだ窓枠から差し込む朝日を見上げる。
跳ねた茶色の髪が金色に縁取られ、
栗色の瞳が、一瞬だけ明るく透ける。

だが、その瞳の奥には澱(おり)がある。
昨日の市場で、魂に焼き付いた影だ。

「……今日も、いい天気だな」

ぽつりと落ちた声は、
誰に向けたものでもない。
自分をごまかすように、
ルークは短く息を吐いた。



狭い家の中では、母が朝食の支度をしていた。
弟は眠そうに目をこすり、
妹は母の腰にしがみついたまま、
小さな欠伸を噛み殺している。

ルークは硬いパンをちぎり、
弟の皿に自分の分を、そっと乗せた。
妹の乱れた髪を指で梳き、
安心させるように頭を撫でる。

その手つきは、十五歳の少年のものではない。
家族の命を背負う「小さな家長」のそれだった。

英雄と呼ばれた父は、もういない。
戦場で散り、帰ってきたのは、
煌びやかな勲章と名誉だけ。
名誉で腹は膨れない。
勲章は薪の代わりにはならない。

残された母と弟妹の明日を守れるのは、
自分しかいない。

それでも――胸の奥で、消えないものがある。
昨日の屈辱だ。

旧市街の市場で、下級の能力者が火球を弄び、
商人を脅した。
屋台の木枠が焦げ、煙が上がり、
誰も動けなかった。

止められる手は――頭の中にはあったのに、
体が言うことをきかなかった。
爪が皮膚に食い込むほど拳を握っても、
一歩も踏み出せなかった。

あの瞬間、世界は耳元で囁いたのだ。
――お前は無力だ、と。

「兄さん、今日は市場に行くの?」

弟が無邪気に顔を上げる。
ルークは仮面を貼るように笑って頷いた。

「ああ。母さんの手伝いをしてくるよ」

言葉は平穏でも、胃の底が鉛のように重い。
この平凡な朝を守れているのは、ただの幸運だ。
気まぐれな暴力に奪われないためには、牙が要る。

(力が欲しい)
(守るための力が)

誰かを焼き尽くすためではない。
二度と、大切なものを理不尽に焼かせないための力だ。   



市場へ向かう道すがら、ルークの足が止まった。
意識して避けようとしていた場所に、
体が先に反応したのだ。

焦げ跡が、まだ生々しく残っている。
黒く炭化した柱。
鼻を突く、焼けた木材の匂い。

人々は何事もなかったかのように通り過ぎ、
笑い、値切り、生活を続けている。

“慣れ”こそが、この旧市街で生きる唯一の処世術だ。
昨日の恐怖も、今日の空腹には勝てない。

ルークは視線を足元に落とし、
奥歯を噛みしめた。

父の声が、記憶の底から響く。

『力を持たぬからこそ、見えるものがある』
『正義とは、力の強さではない。
 心の在り方で決まるのだ』

父は無能力者だった。
それでも能力者たちを指揮し、
知略と剣技だけで戦場を駆け抜け、
大佐にまで登り詰めた。

――だからこそ、息子の自分には言い訳が許されない。

(見えていたのに、動けなかった)
(恐怖が、心を縫い付けた)

脳裏に家族の顔が浮かぶ。
母の痩せた肩。弟の小さな手。
妹の安らかな寝息。

もし次に焼かれるのが――
もし次に狙われるのが、家族だったら。

「……もう、嫌だ」

声にならない嗚咽が、
喉の奥で擦り切れた。
    



夕方、家に戻ると母は何も言わずに湯を置いた。
湯気が立ちのぼり、薄い部屋の空気を一瞬だけ柔らかくする。
母は一度だけルークの目を見て、視線を外した。
その沈黙が、問いかけより重い。

重苦しい間を破ったのは、ルークだった。

「母さん」
「……なに?」
「俺……士官学校に行く」

母の手が止まる。
そのまま数秒、音が消えた。

「どうして……」

ルークは拳をほどき、掌を見た。
爪の跡が、まだ薄く残っている。

「強くなりたいんだ」
「父さんみたいに――誰かを守れるようになりたい」

言葉を飾れば、逃げ道になる気がした。
だから、ただ言った。

「俺、昨日……動けなかった。
 止められるって分かったのに、体が動かなかった」

母はゆっくりと、息子の手に触れた。
冷たい指先が、固まった関節をほどくように添えられる。

「……でも、学費は……暮らしは……」

ルークは一度、息を吐いた。
怖さも、焦りも、そこに混ぜないように。

「家のことは……大丈夫だ」
「軍は、人を飢えさせない。
 寝床も、飯も、用意される」
「その代わり――命と時間を差し出す」

ルークは母から目を逸らさずに言った。

「だからこそ、俺が行く」

母の瞳が揺れる。
沈黙が、深くなる。

そして――母は言った。

「弱い子はね」
母の声は静かだった。
けれど、逃げ道を塞ぐ強さがあった。
「守りたい、なんて思わないのよ」

ルークの喉が詰まる。
目の奥が熱い。

母は続けて、少しだけ笑おうとした。

「あなたは……あの人の子よ」
「怖くても、逃げ出したくても、
 それでも前を見る。
 そういう不器用なところまで、そっくり」

そして、頷いた。

「……行きなさい」
「ただし、約束して。必ず、生きて帰ってくること」

ルークは深く頷いた。
返事をすれば崩れそうで、ただ息を吐いた。

母の指先の冷たさが、まだ掌に残っている。
――命と時間を差し出す。
言葉にした途端、その重みが遅れて胸を締め付けた。 
   



その夜、ルークは眠れなかった。
屋根に上がり、帝都を見渡す。

王宮の尖塔は星を凌ぐほど眩く、
貴族街は光の海に浮いている。
対して旧市街は黒い海に沈み、
消え入りそうな灯火が頼りなく揺れているだけだ。

光と闇。豊かさと貧困。力と無力。
同じ空の下にありながら、
誰かの都合で隔てられている。

ルークは小さく、けれど確かな意志を込めて拳を握った。
昨日の痛みが、掌の中で熱く脈打つ。
握り込むほどに、さっき口にした“代価”が現実になる。
――逃げ道は、もうない。

「弱くても……心だけは、絶対に負けない」

震える声は夜風に溶け、誰に届くわけでもない。
だが、その宣誓は自分の芯に深く刻まれた。

屋根から降り、部屋に戻ると、机の上に見慣れない封筒が置かれていた。
質素だが、封蝋だけが不自然に赤い。
そして封の上には、押印のように刻まれた紋章がある。

――軍務省の封。
紙一枚のはずなのに、帝国の制度そのものが、
そこに重みとして乗っていた。

その横に母が立ち尽くしていた。

「……それ、昼に届いたの」

母の声が震えている。

「本当は、燃やしてしまおうと思った。
 こんなものを見たら、あなたが遠くへ行ってしまう気がして」

しかし母は、それを捨てられなかったのだ。
息子の「守りたい」という言葉を聞くまでは。

差出人の名はない。
あるのは、宛名だけだ。丁寧な筆致で記されている。

――ルーク・ヴァンス殿。

封を切ると、中には一枚の通知。
帝国軍士官学校の入学選抜に関する案内だった。

受験資格:特例
選抜日程:三日後
集合場所:帝都第二軍務庁舎

息が、止まった。

「特例……?」

あり得ない。自分は無能力者だ。
軍が目をかける理由など、何一つないはずだ。
罠か。人違いか。
それとも、誰かの悪戯か。

だが、封は本物だ。
軍務省の封が、それを否定させない。
扉は開いている。

十五歳の少年は、封筒を強く握りしめた。

偶然でも、罠でも構わない。
英雄の父を超えるためではない。
――ただ、守るために。
理不尽な炎に、二度と何も焼かせないために。
無力なままの自分を、終わらせるために。

その一通の手紙が、やがて帝都を、
そして帝国の歴史そのものを揺るがす引鉄となることを――
まだ、誰も知らなかった。


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