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新・德川家康                   ~一敗塗地!三方ヶ原の巻~

「殿ッ、酒井どの、石川どのともに総崩れの由!
 疾く城へ、城へーッ!」
「何のこれしきのことッ!かかれッ怯むなーッ」

乱軍の中、家康も意地でも踏み留まろうとします。
頬はコケ顎は尖り、まなざしもいつもの
家康ではありません。

「殿、それがし御身代わりとならんッ!」と
声を嗄らしたのは夏目次郎左衛門吉信
「次郎左、なんでその方ひとり残せるものかッ。
 戦はこれからじゃッ・・・!」
「うるさいッ!殿は遠三の太守にござろうが?
 ここで命を落とす訳にはいかぬわいッ。ここは
 儂の命でたくさんじゃ。兜をよこせッ」と
いうやいなや、夏目吉信は追いすがる武田勢の
正面に立ちはだかり獅子吼して曰く、
「我こそは德川左京大夫家康なるぞ!
我と思わんものは、手柄とせよーッ・・・!」

どこをどうやって戻って来たのか、ともかく家康は
敗戦の大混乱のなか、本塁・浜松に帰城しました。

「予は・・・予は負けた・・・・」

家康は帰城できた安堵感で緊張の糸がプツンと
切れ、放心状態でした。
「大切な家の子、郎党をあのように失うた
 予はもはや敗軍の将。ああ、なんとしよう!」

傍らで聞くとも聞かぬともの本多作左衛門重次
つかつかと歩み寄って、パーンと家康の
頬桁を一発、張りました。

「この、たわけッ!我ら、いつ戦が怖いといった?
 いつ命が惜しいといった?敗軍の将ならば、
 真っ先に兵を語らいでなんとするッ!たしかに
 戦に勝てはせなんだ。が、負けた訳ではないぞ
 この通り殿はピンピンしておろうがッ・・・!」

口角泡を飛ばす本多作左の眼からは、熱い泪が
とめどなく流れていました・・・・。

「作左、そちの申す通りじゃ。敗軍の将こそ、
兵を語らねばならぬなあ。予にはこの通り、
まだ命が残ってあった・・・ぞ」と家康は
本多作左に微笑み返しました。
「数々のご無礼の段、平らに赦されたしッ」
本多作左衛門重次も泪を拭いて平伏しました。

「作左、裏門の篝を絶やさざること!しかと
申しつけたッ!」「ははーっ、畏まって候。」
「埒もない戦をしたッ、予は暫く横になるぞ!」
というやいなや、家康は大いびき。本多作左は
家康に帷子を掛けなおして、すぐさま城外へ
出てゆきました。

「鬼どの、殿のご様子やいかに?」と本多平八郎。
「埒もなき戦をしたわ!と湯づけを立ったまま、
 3杯召されてのう、あとは高鼾よ、平八郎。
「さすがは殿、さまでの敗戦もびくともせぬわ!」
「そうであったか鬼どの。高鼾か、あはっはッ!」
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三方ヶ原の戦い】德川家康にとっても得難い
“敗戦”だったと思います。曰く、“勝つことばかり
知りて、負けることを知らざれば害その身に至る
ということ。この時德川家康30歳。冒険もしたい、
何より自分の本当の実力が知りたい・・・、
そう思う年頃。德川勢の戦死者2千、惨敗でした。

三方ヶ原を戦った武田家の重臣・馬場美濃守信春
「越後の謙信公と三河の家康を除いて天下に
剛の大将、よも居るまじ・・・」と言わしめる
奮戦ぶり。実は大いに面目を施した德川家康と
その軍団。しかしこの屈辱を生涯忘れぬ為、
家康は当時の様子を画像に遺し、
          自身への戒めとしたのです。

三方ヶ原戦役画像、「顰像」とはこの時の事。

「Hikaru's réputation1」、
最後までおつきあい、ありがとうございました。
次回もどうぞお楽しみに!
Hikaru

 
 
 

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