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『吉田茂・講和への道』:第22話

連日「熊本地震」の報道が続きますが、                この災害というものは我々の想像や想定を             超えてくるということですね。               しかも季節は猛暑。被災された皆さまには            衷心よりお見舞い申し上げます。さて、

政権担当の当初は「いつでも投げ出す!」と
公言していた吉田茂。大方の国民にとって
“吉田茂”とは殆どGHQと同義語でした。
彼も国民との対話より対GHQに時間も配慮も
優先してきた感は否めません。

加えて明治11年の生まれですから、この
昭和26年当時すでに73歳なわけです。朝鮮特需
活況を呈する日本にはそろそろ新しい
≪時代の顔≫を求める声が満ち溢れます。
大日本帝国時代、つまり“明治”の精神的骨格が
戦後も続く・・・と彼は強く思っていました。

この辺から吉田茂と国民との間に
目に見えない様々なギャップが出てくるのです。

自身の政権の延命と反吉田派=鳩山派を徹底して
干しあげるために【抜き打ち解散】ののち、
第4次・吉田内閣は発足します。鳩山派に痛打を
与えるためだけに行った解散。鳩山派は勢力を
萎ませたものの、自由党自体の国会内の議席も
大きく減らすことになってしてしまいました。

第4次・吉田内閣は池田勇人佐藤栄作といった
吉田学校≫の双壁に加えて戦前からの政界の
重鎮、緒方竹虎が官房長官として入閣します。
カタチの上ではまだまだ盤石な吉田政権。しかし
その足元にはひたひたと反吉田≒鳩山派の新たな
波が打ち寄せていました。

吉田茂が講和条約締結後も容易に政権を手放さない
様子をみるにつけ、鳩山派は三木武吉を中心に
水面下で≪打倒吉田≫の秘策を練っていたちょうど
その時、衆院本会議で池田勇人・通産相が
失言してしまいます。曰く、
「中小企業の5人、10人の倒産などやむを得ない!」

この失言で池田通産相の不信任案が提出され可決
池田通産相は辞任に追い込まれました・・・・・。

思えばこれが鳩山VS吉田の
         プレリュードだったのです。

吉田茂・講和への道~
最後までおつきあい、ありがとうございました。           
次回もどうぞお楽しみに・・・。
Hikaru

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