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『吉田茂・講和への道』:第21話

容赦ない暑さの続く日本列島・・・                 高市総理のハードワークぶりも取りざた                されていますが、外野がグズグズいうこと              ではありません。その職掌と責任というのは            その立場にならなければ分かるはずがない             からです。これは家庭でも職場でも同様だと              思いますね。総理におかれてはくれぐれも               お大切に・・・ということで、始めましょう。

諸行無常・盛者必衰・・”日本の、いや古今東西の
大廈廟堂のありようです。この政権の魔力に青史も
幾たりの逸材、英雄を虚しくして
              来たことでしょう。

やがて同じ事が位人臣を極め畢生の
創業:独立講和を成し遂げた吉田茂にも訪れます。

時間軸は少し前後しますが、昭和25年から
公職追放の憂き目にあった鳩山一郎ら総勢1万人の
追放解除が始まります。鳩山はこの時、脳溢血を
患った後で半身不随の身の上。しかし、以前
自由党総裁だった鳩山一郎が公職追放となり、
吉田茂に政権を譲ったその時、吉田は去りゆく
鳩山に向かって、
「鳩山君が追放解除になれば、
          政権はいつでも返すさ!」と
こう語りました・・・・・。

この発言を根拠に三木武吉、河野一郎、石橋湛山
ポスト吉田、乃ち鳩山政権樹立のため、水面下で
行動を開始していました。


しかし講和条約締結、帰国後の吉田茂からは、
進退に関する発言は片言隻句も聞かれません。
吉田の奴、居座るつもりだな・・・!?
河野一郎はこう言い放ち、公然と吉田茂に
            反旗を翻し始めました。

かくして昭和26年12月24日、吉田茂は幹事長を
呼びつけ
「今すぐ内閣改造だ、急ぐのだッ・・・!」
功なり名遂げたワンマン宰相に誰も反論など
出来ません・・・。

この内閣改造で「吉田学校」を大挙閣僚に
加えたのは吉田体制を盤石にする狙いも
ありましたが、やはり要点は
【鳩山に政権は渡さない!】という吉田茂の
強い意思表示ということなのです。

はたして「抜き打ち解散」をしたこの時、
吉田茂は【石橋・河野両名は除名の事!
      但し、三木武吉はそのまま・・】
という処分を行います。


かつての第1次・吉田内閣当時の荒れた総務会での
“借り”を三木に返した吉田茂・・・・でした。

吉田茂・講和への道~
最後までおつきあい、ありがとうございました。           
次回もどうぞお楽しみに・・・。
Hikaru

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