見出し画像

写真する主体へ:撮る/撮られる/撮らされる/撮れちゃう――『平成写真小史』プロローグだけ読む(#23)

まず結論(このプロローグが言っていること)

このプロローグは、平成の入口(1989年前後)を「写真150年」と「写真の終焉」という二つの合図で特徴づけ、写真が“記録メディアの王者”から退きつつ、むしろ“多様な表現/制度/言説の場”として肥大していく転回点として描きます。さらに、その転回を受け止める読者側(とくに若い世代)のために、「現代写真を理解するための入門書/批評/展示制度」が整備されていく過程を、具体的な出来事と固有名で辿ります。


口上(シリーズ導入・推敲版)

「はじめに/序章だけ読む」シリーズを続けます。新しい本を買う前に、積読の山から“導入部だけ”拾い読みして、いまの自分の〈行為主体性〉=エージェンシーの地図を更新するためです。
ここまで、(1)モノ/技術が主体を動かす(ANT/STS)、(2)人間そのものが更新される(ポストヒューマン/存在論/身体)、(3)共同体と欲望(社会のなかの主体)を歩いてきました。
次はいよいよ IV. 写真する主体へ。撮る/撮られる/撮らされる/撮れちゃう――この“ズレ”のなかで、写真は「見たものの記録」以上の社会的装置になっている。
第7回(#23)は、鳥原学『平成写真小史』のプロローグ「平成のはじまりは『写真の終焉』」。ここで言われる“終焉”は、写真が消えるという意味ではなく、むしろ写真が別のかたちで増殖していく入口として立ち上がる。


書誌と作者紹介(未読者向け)

  • 書名:鳥原学『平成写真小史――「写真の終焉」から多様なる表現の地平へ』 (フォトコン)

  • 出版社:日本写真企画(フォトコン) (フォトコン)

  • 刊行:2021年(サイト掲載:2021年7月/奥付表記も同年) (フォトコン)

  • 判型・頁:四六判・150頁 (フォトコン)

  • 定価・ISBN:1,980円/978-4-86562-104-4 (フォトコン)

著者(鳥原学):写真評論家。日本の写真環境(教育・展示・制度・メディア)の変遷から、社会の変化を読むことをテーマに執筆・企画に携わる。 (フォトコン)


「プロローグ 平成のはじまりは『写真の終焉』」要約(本文優先)

プロローグは大きく、次の三つの束で組まれています。

1) 1989年前後:「写真150年」の祝祭と、「終焉」という違和感

  • 平成元年前後は「写真150年」という節目で、国内外で記念的な企画が相次ぐ。祝祭のムードがある一方で、語り手(=プロローグ)はそこで逆に、写真が“中心メディア”ではなくなりつつある感触を拾い上げます。

2) 多様化する表現:写真が“美術館/展示/批評”へ寄っていく

  • 80年代末〜90年代初頭にかけて、写真は「何を写したか」だけでなく、展示の形式、他メディアとの混淆、引用・加工、コンセプトなどを含むものとして前景化していく。

  • その変化は、個々の作家論だけでなく、**展覧会や制度(美術館・ギャラリー・出版)**の動きとして語られる。

3) 若者にとっての写真入門書:わからなさを受け止める“読み方”が整備される

  • 変化のスピードが速いほど、受け手は「これは写真なのか?」という戸惑いを持つ。そこで登場するのが、現代写真を“理解するための言葉”や“読み方”を与える入門的な出版・批評です。

  • プロローグは、若い読者が写真に入ってくる導線として、雑誌・ムック・批評家・ギャラリー周辺の知の形成を描きます。


どのように「写真の歴史」は語られているか(語り口の骨格)

このプロローグの歴史叙述は、年表的に作家を並べるよりも、次のような“環境史/制度史”の語りです。

  1. 節目(150年)=メディア史的な転換点から入る

  2. 作品そのものより、まず展示・出版・批評・美術館化といった「写真が成立する場」を追う

  3. 変化を「終焉」という強い言葉で示しつつ、それを“衰退”ではなく、表現領域の拡張として読む

  4. 最後に、読み手(とくに若い世代)がそこへ入るための入門書/言説の整備を描く

あなたのシリーズ軸(撮る/撮られる/撮らされる/撮れちゃう)に寄せて言えば、ここでの「歴史」とは、写真家の意図だけでなく、制度・言説・市場・テクノロジーが“撮らせ方/見せ方”を組み替える歴史として語られています。


この本はどのような本か(未読者向けオーバービュー)

出版社の紹介文と目次から見ると、本書は「平成」を一本の軸にして、写真表現が社会変動(とくに3.11)をくぐりながらどう変わったかを、批評家の視点で通史的に振り返る構成です。 (フォトコン)

  • プロローグ:平成の入口=「写真の終焉」 (フォトコン)

  • 以降の章立て:近未来写真/私写真、ジェンダー表象の変化、展示志向、インディペンデント・シーン、そして〈3・11〉後の問い直し、という流れ。 (フォトコン)

  • エピローグでは「終焉」の“完結”と“はじまり”が示される(=終わりではなく、次の地平の開始)。 (フォトコン)


用語解説(プロローグを読むための最小セット)

  • 写真の終焉:写真が消滅するという宣告というより、(情報伝達の中心としての)写真の地位が相対化し、同時に表現や制度の側で別のかたちに増殖していく転換を指す言い回し(プロローグのキーフレーズ)。

  • 多様化する表現:撮影行為だけでなく、引用・加工・展示形式・他メディアとの混交など、写真が“作品”として成立する条件が複線化すること。

  • 入門書(読み方の整備):作品を「好き/嫌い」だけで処理せず、批評語彙・参照枠・制度知によって“わからなさ”を扱えるようにする装置。


批判分析(よい点/引っかかる点/こちら側の問い)

よい点

  • 「平成写真」を、作家列伝ではなく、環境(展示・出版・批評・美術館化)から語る導入として強い。写真を“社会的装置”として捉える入口になる。

  • 「終焉」をネガティブに閉じず、多様化=別様のはじまりとして置くので、以後の章立て(展示志向・インディシーン・3.11)へ自然に接続する。 (フォトコン)

引っかかる点(反証可能な読み)

  • 「終焉」という言葉は便利な反面、“何が終わったのか”の範囲が曖昧になりやすい。

    • 例:報道・家庭・商業・アートのどの領域の話かで、終焉の意味は変わる。プロローグは主に“表現/制度”側に寄るため、生活写真や大量生産的写真文化の連続性は薄くなりがち。

  • “入門書の整備”が語られる一方で、**入門書が作る規範(=何が現代写真として価値があるか)**への自己批判は、導入部ではまだ控えめ。これは本編でどう回収されるかが見どころ。

令和(生成AI時代)側からの問い(あなたのシリーズ軸へ接続)

  • 平成入口で「写真の終焉」が語られたように、令和入口では「写真/画像の終焉(≒生成による現実参照のゆらぎ)」が語られている。

  • では、いま私たちは **“撮る/撮られる/撮らされる/撮れちゃう”**のどこで主体性を回復するのか?

    • 写真が中心メディアでなくなるほど、主体は「撮影」そのものより、編集・選別・提示・共同体化の局面で立ち上がる――プロローグの環境史的視点は、この問いに効きます。


参考文献

  • 鳥原学『平成写真小史――「写真の終焉」から多様なる表現の地平へ』日本写真企画、2021年。 (フォトコン)

  • 「平成写真小史 – 日本写真企画 フォトコン」(書誌・目次・内容紹介・著者略歴掲載)。 (フォトコン)

  • birdsinc.jp「鳥原学 – Works」(著者活動・関連著作情報)。 (BirdsInc)


ハッシュタグ(検索用・20個)

#平成写真小史 #鳥原学 #日本写真史 #平成写真 #写真の終焉 #現代写真 #写真批評 #写真展 #写真美術館 #展示論 #写真と社会 #写真の制度 #写真表現 #メディア史 #ポストモダン写真 #日本写真 #写真入門 #行為主体性 #撮る撮られる #令和人文主義

いいなと思ったら応援しよう!