ChatGPT と跳ねる|『現代写真の系譜 写真家たちの肉声から辿る』第二章「東松照明と森山大道」を読む
読書ノート:第二章「東松照明と森山大道」
Ⅰ. 論点整理
1. 東松照明と報道写真の変容──名取-東松論争
1960年代の日本写真界で大きなテーマとなったのは、**「報道写真とは何か?」**という問いです。
名取洋之助(日本の報道写真の先駆者)と東松照明(既存の枠を超えた写真表現を模索した若手)の間で、「写真は“事実”を伝えるだけか?それとも“作家の表現”を含むべきか?」という激しい論争が展開されました。
この名取-東松論争は、報道写真の役割をめぐる価値観の世代交代とも言えます。
• 名取は「事実の正確な記録」「客観報道」を重んじ、
• 東松は「主観的解釈」「時代や社会の空気を伝える表現」としての写真を主張しました。
2. 名取・東松論争の内実
この論争は写真評論家・渡辺勉の視点も絡み、多角的に展開されました。
• 渡辺は「両者の間に折衷の余地がある」とした一方、
• 名取は「報道写真家は社会の“証人”であり、作家性はむしろ邪魔だ」と譲らず、
• 東松は「写真家は時代の証人であると同時に、自己の思想・感覚を投影する芸術家だ」と応戦しました。
こうした議論を経て、東松は「報道写真」を広義に再解釈し、社会的事実だけでなく「時代の雰囲気」や「無意識的な空気」まで写し取る写真を志向しました。
3. 森山大道の登場と「非-報道写真」への展開
1960年代後半、森山大道はウィリアム・クラインや東松照明の影響を受け、「非-報道写真」=既存のジャーナリズムとは異なる、新しい写真観に向かいます。
• 森山は「写真は現実の再現や記録ではなく、“現実の断片”を主観的に切り出す行為」だと考えました。
• 『LIFE』誌やロバート・フランクの『アメリカ人』といった海外のフォトエッセイも強い影響を与えました。
4. 「組写真」と「群写真」の問い
• 名取式「組写真」は、編集的にストーリー性を持たせた複数の写真で“事実”を構成する方法。
• 東松式「群写真」は、ストーリー性よりも「並置された写真の集合」が生む“雰囲気”や“複数の視点”を重視します。
• この違いは、写真が「物語を語るメディア」から「世界を体験するメディア」へと変化したことを象徴しています。
5. 東松と森山、その後
• 東松は「来たるべき言葉のために」という抽象度の高い作品へ。
• 森山は〈にっぽん劇場〉など、雑多で不確かな現実を“スナップショット”でとらえ続けました。
• 「スナップ」にこだわる森山は、写真と言葉(テキスト)の関係にも独自の見解を持ち、「写真とは常に“現実”の外側を写すものだ」としました。
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Ⅱ. 用語解説
• 報道写真
社会の現実や事件・事象を「記録」として伝える写真。名取洋之助は事実重視の立場。
• 名取-東松論争
報道写真をめぐる世代・思想の衝突。記録性(名取)vs. 表現性(東松)の対立。
• 東松照明
1930年生。沖縄・広島・長崎など日本の“記憶”をテーマに、「現実の空気」を写そうとした作家。
• 森山大道
1938年生。ウィリアム・クラインの影響下で、「ブレ・ボケ・ザラつき」など前衛的手法を多用し、“都市の不確かさ”を体現した。
• 非-報道写真
ニュースやドキュメント性に回収されない、個人の視点・主観・実験的手法による写真。
• 組写真/群写真
組写真はストーリーを意識した編集型、群写真は並列的な集合体による雰囲気・世界観の提示。
• スナップショット
街の中で瞬間的に撮られる写真。森山の「スナップ」は“無意識と偶然性”の賛美。
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Ⅲ. 批判分析
1. 「報道写真」の哲学的変容
名取の「客観報道」主義は近代的リアリズム(事実・客観性)の思想に由来しますが、東松以降は現実の多層性や“空気”といった目に見えないものまで写すことが意識されるようになりました。
これは、「写真=現実の鏡」という旧来的なデカルト的二元論を揺るがすものであり、写真は“事実”と“解釈”の狭間で常に揺れるメディアだというメディア論的・記号論的な視座を強調しています。
2. 「作家性」とメディア論
東松や森山が志向したのは、写真家の「個人性」や「意識下の感覚」をも現れる写真です。
これはバルト、ベンヤミン、バッチェンらが語る**「写真の痕跡性・物質性」や「見ることと見られることの倒錯」**にも通じ、
「報道写真=社会の証人」という公的責務から、「写真家=時代の媒介者・自己表現者」という新しい地平への転換でした。
3. 「スナップ」とリアリズムの再考
森山大道が徹底した「スナップショット」主義は、「リアル=現実の断片を偶然として引き寄せる」ものであり、
アメリカ現代哲学(プラグマティズムや現象学)とも重なります。
**写真とは“操作された現実”ではなく、“流動的な現実の偶然的な切り取り”**であり、「リアリティとはそもそも“絶対”ではなく、相対的・流動的なもの」だという現代的リアリズム思想です。
4. 作家主義・言葉と写真
圓井氏の語りは、土門や植田と同様に「写真家の意図」や「個人史」に重点を置いていますが、
東松・森山はむしろ**「写真そのものが言葉に先立つメディア」「写真と言葉のズレ・余白」**に注目しています。
ここに現代のメディア論(ハロルド・インニス、バッチェンら)が語る「写真=意味の不安定なメディア」という本質が示されます。
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まとめ
• 名取-東松論争は、「写真=事実か、写真=表現か」という問いの転換点だった。
• 東松・森山以降、写真は“個人の無意識や社会の空気”をも写し取る「自己表現」へとシフトした。
• “組写真”から“群写真”へ、スナップという“偶然の哲学”へと、写真観は大きく拡張された。
• 現代写真は、「現実と虚構」「記録と解釈」「言葉とイメージ」の狭間を生きる、開かれたメディアである。
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