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盗みをしたことはないが、泥棒の格好は、よくする。

この文章は、新作小説の「第1話」です。

前作のエッセイ「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くからなぁ。あなたは。」に登場する、「どんな感情も住んでいいアパート」の住人たちの物語。



盗みをしたことはないが、泥棒の格好は、よくする。

それは、例えばこんな時。



1、パチコの部屋



ひとりの日。なんにもしたくない日。夫も息子も、いない時。だれかのためにご飯を作らなくていい時。お腹が空いているような、そこまででもないような。

天井が見える。顔を動かさなくても、ぐるりと四角い天井の終わりが見渡せる。

聞こえた。
どこかから、『ヒュウー』って音が。
ヒュルヒュル揺れながら、その音はだんだん大きくなる。

ついに最大音量になった時、お湯が沸いた、と知る。私は重い顔を動かさず、目の玉だけを右に動かす。焦茶色の、木目の壁。

の、向こう。


ごはんの時間だ。


音がシュンとおさまった。壁の向こうが、静かになった。お隣さんは、たぶん、ずいぶん古いタイプのやかんを使っている。お湯が沸くと、注ぎ口から音が鳴るタイプの。

どんな人なんだろ。
何食べるんだろ。



 朝でもなく昼でもない今。
昨晩は、思いがけず、夫と息子がおばあちゃんの家に泊まりに行った。野球観戦に行くそうだ。
ひとり時間ができた私は、夜、ママ友とスタバに行った。コーヒーが飲めないので、私は、ほうじ茶ラテを飲んだ。
それだ、原因は。


 ほうじ茶ラテに潜むカフェインは、十分すぎるほど働いた。眠れなかった。目も頭も冴えていた。体に優しいものを飲んだつもりだったのに。くぅ。布団の中で、足をもぞもぞ。いつもなら、二十四時を超えたあたりで、夜更かししている罪悪感がみぞおちに沁み始める。でも、寝坊したっていいんだから。明日の朝は、誰かのために朝ごはんを作る必要がないのだから。友人が言ってた「夜更かしもお昼寝も、”できてよかったねー”って思えばいいのにね」という言葉を思い出した。


 『できてよかったねー!』
脳内で言ってみた。お、いいかも。気分いいかも。スマホでバラエティを観た。結局寝たのは、たしか三時だったと思う。


 ちゃんと寝坊した。お隣さんのやかんの音は、何か食べた方がいいよと教えてくれる。でも、正直なところ、何もしたくないんだ。お腹はそこまで空いていない。でも、美味しい刺激は欲しい気がする。


 そんな時、私は、泥棒の格好をする。




 部屋着のスエットは、お尻がだるんとだらしなく見えることを知っている。でも、このまま行く。

グレーのジャンパーを着る。チャックは顎まで上げる。
できるだけ顔が隠れるように、フードを広げて立体感を出す。
髪がボサボサなことに気づく。でも結ばない。結んだら、バイトしている時の私に似るから。似てはいけない。玄関の外の世界にいる人々に、「私」だと悟られてはいけないのだ。黒いキャップを深々と被り、薄い眉が隠れたことを鏡で確かめる。マスクをする。


完成だ。

鏡に映る自分が「泥棒みたいだ」といつも思う。
これでこそ、手に入れられるのだ。
インスタントラーメンを。


体に悪いものを買いに行くところを見られたくない。でも、今は何も作りたくない。おかゆですら。

美味しい刺激を「三分」で確実に手に入れられると知っている、それを、今欲しいのだ。



 家から遠めのコンビニまで、車を走らせる。
知り合いが働いていないコンビニに行く必要がある。

 駐車場に着くと、停まっていた二台の隙間に、私も停めた。
エンジンを切って、右隣の車の、運転席を見る。こわもての男だ。目が合う前に、ぐるっと向き直し、今度は、左隣の車の、運転席を見る。ヤンチャな青年だ。どちらも私の苦手なタイプだ。なんとなく暗い気持ちで、車を降りる。
降りる時、自分の姿が窓に映った。
そうだった。私が一番、怪しい格好をしている。


コンビニ内で、そろりと目当ての棚へ行く。コンビニのBGMとしてふさわしくない、ピンクパンサーの曲が、私の体に漂う。やましいものは、たいてい、棚の低いところにある。しゃがみこんで、袋麺をカゴに入れる。店内のお客、誰とも目を合わさず、レジへ向かう。レジを打つ店員さんの問いかけに、ありったけの明るい声で、清潔感をアピールする。

即座に車に乗り込む。

やった。買った。



ラジオを聴きながら帰路を運転する。

パーソナリティーは、賞をとって急に莫大な金額が口座に入ってきた話をしている。

私は泥棒の格好をして、百四十六円の袋麺を買った。



なんとも良い天気だ。やっと春めいてきた。

アパートにつき、車を降りる。
空気があたたかい。

階段を登る。タン、タン…と、いつもの乾いた音がする。
レジ袋が揺れる。

今度はもうひとつ、上の方から、タン、タン、と音が降ってきた。


顔を上げるとそこには、目の覚めるような黄色が居た。

黄色い花柄のシャツワンピを着た女の人が。

階段を降りてくるその人は、風を受けて、最大限に膨らんでいた。

視界を黄色で覆われた私は、口が開いていたと思う。

黄色い人は、まあるい目で、口角だけキュッと笑った。私があまりにも動かないので、黄色はちょっと会釈して、膨らんだ服を手で押さえながら、私の脇を降りて行った。


タン、タン、と音は離れていく。

私は、咄嗟に会釈を返した顔の角度のまま、音の遠ざかる方を見下ろした。

私が上に居るのに、
下を歩く黄色は、
私より高いところにいるように見えた。


この文章は、新作小説の「第1話」です。

前作のエッセイ「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くからなぁ。あなたは。」に登場する、「どんな感情も住んでいいアパート」の住人たちの物語。

第2話をお楽しみに!

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