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いつでもあの日になる

高校2年生からずっと付き合いが続いている友達グループがある。
私達は ずっと「202会」と呼んでいる。

LINEグループ名も「202会」


そう、私は「エヒメノモトニ」なのだ。


高校2年のクラス替え。
数人しか知り合いもいない中、さっそく修学旅行の班決めが始まる。
6名の班。二人組を作って、×3で班を作った気がする。

私の班ははじめ5人だった。
ともり&(確か出席番号が前後で友達になった)M代、
同じ部活のCちゃんとKちゃん、
そしてY子だった。

Y子は言う。
「今入院している子がいて、修学旅行までには退院するからその子も一緒でいい?」

Y子は優しい雰囲気の子だった。
進級早々入院して出遅れるとは、さぞグループに入り辛かろう。大丈夫かな……なんて思っていた。

退院したUやんは、柔道で怪我をして入院しており、帰ってきた途端クラスの中心に居るような子で何の心配もいらなかったのだが。

そんなこんなで6名が揃い、いざ東京へ修学旅行。
私達はウキウキしながら計画を立てる。
オシャレに余念がない田舎の女子高生。
憧れのTOKYO!
目指すはSHIBUYA!
自由時間はダサい制服を脱ぎ捨て、私服に着替えてSANSAKU~❤

ちなみに
我が母校は愛媛県下でも有数の進学校。まわりは真面目な生徒ばかり。でも私達は揃いも揃った「生粋のアホ」だった。
クラスメイトからはいつも不審な目で見られ、先生からも思いっきり目を付けられていた。そうはいっても、悪い事をするわけではなく、ただの「アホ」なだけだった。


自由行動の決まりごとはただ一つ。
都内にある大学を1校以上訪問して、写真を撮ってくること。
私達は遊びまくった後、大慌てで「慶応大学」の前で写真を撮り、急いで集合場所のホテルへ向かう。乗った駅からホテルまで数駅。間に合ったー。

誰もが疲労困憊だった。
慣れない都会。電車。人。
あろうことか私達は電車に乗ると……
全員眠った・・・。

ふと誰かが目を覚ます。

「ここどこ?」

次々とみんな目を覚ます。

「ここどこ?」

時計を見ると、とっくに集合時間を過ぎている。当時、携帯電話などない。

電車の中でオロオロしているオシャレに余念のない、明らかに田舎から出てきた女子高生集団に親切な女性が声を掛けてくれた。

「どうしたの?」

「〇〇駅に行きたいのに、ここがどこかわからなくて」

「〇〇駅? それだと一度降りて逆回りした方が早いわよ! 一周してたら1時間近くかかるから」

なぬーーー。
あわてて次の駅で降りる。

一先ず、公衆電話で、ホテル?先生?に電話。

ついさっきまで超絶楽しかった時間から一転。みんなどよん顔。
そしてホテルに着いたときはとっぷり日は暮れ、楽しそうにホテル内を散策している他生徒にチラチラ見られながら、ロビーで先生にこっぴどく叱られた。

そして、夜の自由時間はナシで、自宅謹慎ならぬ、二人部屋×3のそれぞれの部屋で自室謹慎させられた。

そんな私とM代(同部屋)を、元気づけようとクラスの男子二人が「トランプしようぜ~」と遊びに来たが、これ以上怒られることをしたくない私達は冷たく追い返した。

そんな修学旅行の思い出。
まぁ、今となってはいい思い出だけれどね♪

話が脱線しすぎた。
この修学旅行をキッカケに?私達の絆は確かのものになった。旅行後、S、M子、Sちゃん、Hちゃんが加わり、10人で遊びに行くこともあれば、その中の2人だったり、4人だったり、6人だったりでつるんでいた。

3年生になり、クラス替えでバラバラになっても変わらない関係だった。体育祭で別のチームになっても、みんな各チームの幹部になって交流もあったし、試験の打ち上げなど、定期的に集まっていた。

卒業後、関東、関西、愛媛の大学にそれぞれ進学したが、県外組が愛媛に帰省すると必ず集まって近況報告をした。
就職しても同じだった。
結婚しても同じだった。
母になっても同じだった。

いつも会っているわけではない。
年を取る毎に、1年に2回が、1回になり、2年に1回になり、3年に1回になった。

SNSで繋がっている者同士は、何となく近況を知る。それを知っている者が、知らない者に会った時に伝える。

ローカル紙に仲間が掲載されているのを見つければ、グループLINEに流す。
テレビに映っているのを見つければ、グループLINEに流す。

数年話してなくても、そのLINEがきっかけで、そのグループLINEが動き出す。ちょっと離脱して戻ると「未読200」。

どうかしてるとしか。

あいかわらず「アホ」である。

私達の思い出話は尽きない。
「高校生クイズに出ようと校内の予選1回戦で敗戦するあほっぷり」

「Sが隣の(先に進んでいる)特進クラスのノートを借りて、板書したら先生に『おまえに解けるわけがない。隣から(ノート)借りて来たやろ』と断言された話」

やばい・・・漫画にハマってメンバーで回し読みして、周りからヤベー奴ら認定されてた話」

「誰にでも優しいおっとりしたY子が、(我校ではチャラ男)しつこいD君を公衆の面前でこっぴどく振った話」

「酔っぱらったUやんが、駐車中で細いSを背負い投げした話」

話は尽きない。

LINEの動画通話サービスが始まり、グループ通話ができるようになった時、私達は、いの一番で「オンライン飲み会」を開催した。

もちろん「オンライン飲み会」なんて言葉もない時だ。

後にコロナ禍となり、Zoomでオンライン会議、オンライン飲み会が主流となった時、「私らがオンライン飲み会の先駆者だよね」なんて話したものだ。

高校生の時はアホな話をし、
大学生になれば「恋と進路」について話し、
社会人になれば「仕事と結婚観」について話し、
結婚すれば「夫や生活」について話し、
出産すれば「育児」について話し、
育児が落ち着けば「老化と美容」について話し、
アラフォーになれば「健康」について話し、
アラフィフになれば「親の介護」について話すのだろう。

そうやって、共に年を重ねてきた。
共に同じ世代の、同じ悩みを共有してきた。

本音でぶつかり一触即発(主にUやんと私)も
好きな人がかぶった(M代とS)ことも
辛い経験をした仲間と一緒に涙を流したことも
親を亡くした悲しさも
それぞれの子ども達の成長の喜びも
共に語り、共に成長し、共に年を取ってきた。

きっとこの先も色々なことがあるだろう。
でも私達の関係性はきっと変わらない。
あの日から一日一日が繋がっている。
いつの日かこの命が尽きるまではずっと続く。

202会のコアメンバーは5名となった。
数日前、そのうちの4名で集まった。
会うのは数年振りだった。

「久し振り~。変わらないね~」
「いやいやいや~」
「そっちこそ全然、変わらんや~ん」
「いやいやいや~」
芸人のように手をブンブンと降って「いやいやいや~」とするのが鉄板のネタである。

高校生やで?
約30年前やで?
変わってないわけあるかぁ笑。

でも・・・
私たちは何年 時を隔てていても、

会えばあの日に戻る。


あの教室、あの制服、
あのバカみたいな笑い声。
一瞬にして時を戻す。
体の節々は痛いけれどね。

みんなが悲しい時は一緒に俯く。
みんなが辛い時は一緒に泣く。
そしてみんなが幸せだと心から嬉しい。

会った時は、泣いたり笑ったり、私たちは大忙しだ。


≪近況報告≫
・結婚も子どももいらないと言ってキャリアウーマンを目指していたUやんは、今や一番の子煩悩で、キャリアを重ねながら柔道に海外旅行に子どもの進学に忙しそうだ。
・子どもが県外の大学に進学したY子は、第二のライフステージにたつ準備をしていた。
・大人しいが芯のあるKちゃんは、不登校だった息子氏が県内トップの高校に進学し、今は大学受験の勉強とオシャレにいそしんでいると嬉しそうだ。
・私は3年前に起業した事業を細々とやっていることと、こどもが全く勉強しなくて困っているとボヤいておいた。

小説を書いていること・・・。
迷った挙句報告しない・・・・・ことにした。

いつの日か―― 
何か受賞した時、報告するんだ。

きっと目を丸くしてみんな驚くに違いない。
そしてみんな心から祝福してくれるんだ。
そして自慢の友人だと言ってくれるんだ。
私も同じだからわかる。

あっという間の楽しい時間を終え、名残惜しんで帰宅する。
そしたらその夜、またLINEグループの通知が止まらなくなるんだ。

高校時代に履いていた靴の話になる。
Uやんは、NBのスニーカー履いてなかった?
Y子はアシックスやなかった?
Sはローファーやったよね?

そんなん覚えてるんかい笑
そうすると、誰かが懐かしい写真を添付し始める。
「ほんとやー。アシックス正解!」
「あれこの写真、Kちゃん写ってないね?」
「こっちのには写ってるよ」
別のメンバーが同じ日の別アングルの写真を添付する。
写真を繋げると、見えなかったものまで見えてくる。
時代は絶賛「写ルンです」世代。
※また若者の間で流行ってるらしい「写ルンです」。

添付された青春な写真のごく一部。
みんなめちゃ送ってくるやん😆
私は実家にあるから送れない🥹
勝手にスクショごめんやで。
誰もnoteやってないやろうけど。

次、会うのはいつだろう。
すぐかもしれないし、
数年後かもしれない。


でもまた会った時は瞬時に

あの日に戻るんだ。


#なんのはなしですか
#モトニのはなしです



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