鉄道と衝動が交錯する世界。|ジャン・ルノワール監督『獣人』(原作:エミール・ゾラ)
エミール・ゾラ『獣人』を読む。
1. あらすじの概要
主人公ジャック・ランティエは、ゾラが描く「偏執者」に分類される人物で、抑えがたい殺人衝動を持つ青年。犠牲者はほとんどが女性であり、その欲望は祖先から受け継がれたものとして描かれる。
その他登場人物の描写
• Roubaud (ルブルー)夫人:鍵穴に耳を押し当てる、ディケンズ的な風刺的人物
• Flore(フロール):戦士のような少女
• Séverine (セヴリーヌ):善悪の区別が曖昧で、欲望に忠実な女性
他、40ポンドの蓄えを守ろうと陰険な争いを繰り広げるファジーおばさんや、フランス刑事制度の非道さを象徴する予審判事など。
物語構造
各章が独立した劇のように展開し、殺人や鉄道事故、列車内の死闘など事件に満ちている。社会的背景や司法制度の不正、個々の人物の欲望が絡み合うことで、19世紀フランス社会の暗部が浮かび上がる。
2. 鉄道描写の意匠
鉄道は物語の舞台であり、登場人物の行動や事件の進行に不可欠な存在。駅や列車の描写は、社会構造や人物心理の象徴として機能している。
具体的描写の特徴
列車や駅構造の精密な描写(本線、入換線、トンネル、駅舎、鉄骨橋)
• 機関車や客車の動作、蒸気、警笛、轟音の臨場感
• 駅舎や橋の揺れ、列車通過による建物の反応
• 職員や家族の生活が鉄道と一体化して描かれる(副駅長と姉妹の生活など)
鉄道と人物の関係性
• 列車は事件や殺人の舞台として機能
• 鉄道の機械的精密さや力強さが、ジャック・ランティエの衝動や社会の秩序・混乱と呼応
• 駅や列車の描写により、社会の機械的・制度的側面を視覚化している
3. 芸術的・文学的意図
• ゾラは鉄道描写を通じて、産業化・都市化が人間の欲望や社会制度と交錯する様子を示す。
• 鉄道の精密で機械的な描写は、登場人物の心理や社会的条件を映す「舞台装置」として機能している。
• 庶民の生活を観察する視点に通じるリアリズムの系譜が見て取れる。
つまり『獣人』では殺人衝動と社会制度を描く物語の中心に鉄道を配置し、その機械的・力学的描写を通して人間心理や社会構造の象徴化を行っている、と言える。
これをジャン・ルノワールがアダプテーションした1938年の映画を見てみよう。ランティエ演じるは、いつもはタフガイのジャン・ギャバン。今回は抑えがたい殺人衝動を持つ青年(?)を演じる。
0. 鉄道映画としての見応え
単純に鉄道映画として見応えパリとル・アーヴルの実景を列車・駅描写に使用し、スタジオで内景を再現することで、鉄道を舞台にした緊張感あるドラマ空間を構築。当時セット撮影が主流のフランス映画において、Gare Saint-Lazare(サン=ラザール駅、パリ)で列車や駅のシーンを撮影、ランティエの鉄道勤務や列車運行の描写を割いていることは特筆に値する。広軌の機関車が轟音を上げて通過する、その一部始終をカメラが捉えているだけでうっとりしてしまう。
1. Lantier(ランティエ)のキャラクター描写
ランティエは鉄道機関士として、列車への執着が描かれる。「列車の仕事が頭痛や暴力的衝動からの逃避になる」という心理描写が明確化されている。鉄道への依存をランティエの心理的救済手段として前面に押し出している。
2. Flore(フロール)との関係
ランティエが幼少期から知るフロールとの再会場面で、暴力衝動が列車の轟音によって阻止される描写がある。フロールに対する衝動は遺伝・自然主義的観察に基づくが、列車の音による「偶然の抑止」は映画オリジナルの演出。鉄道の存在を象徴的・劇的に使い、ランティエの内面の抑制を可視化している。

3. ランティエと Séverine の三角関係
雨の中の秘密の逢瀬、溢れる雨桶で情熱を象徴する描写など、視覚的・象徴的演出が追加。セヴェリーヌとの関係は心理的観察中心で、象徴的演出は少ない原作に対して、映像化に伴うドラマ性・視覚的象徴の強化。

4. ラストの結末
ランティエが衝動の発作でセヴェリーヌを殺害し、列車に戻った後、火夫に告白し、絶望の末に列車から飛び降り自死。
心理的結末を視覚的・劇的に強調し、鉄道を物語のクライマックスの象徴的舞台として活用。
まとめ
1. 鉄道をランティエの心理的救済・象徴装置として強調
2. 偶然や衝動の抑止に列車の轟音を利用
3. 雨桶など視覚的象徴を用いて心理描写を強化
4. 鉄道上での死をクライマックス化
つまり、映画版は鉄道空間を単なる舞台以上の象徴として活用し、ランティエの衝動・悲劇性・心理的葛藤を視覚的に際立たせる方向に翻案されている。
ゾラ原作の『獣人』は人間の動物的本能と社会構造の交錯を描く自然主義的実験であり、鉄道はその象徴的舞台として、人間心理と社会制度の関係をリアルに伝える装置。ゾラにとって「獣人」は観察と分析の対象である人間そのものであり、鉄道はその観察を立体化する手段。
文章でしか伝わりづらい醍醐味を見事に翻案したジャン・ルノワールの手腕のひかる映画と言って良いだろう。
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