都市のような雑誌から、雑誌のような都市へ
先日『庭プロジェクト』の研究会に馬場正尊さんをゲストスピーカーにお呼びした。
後日、詳しいレポートが公開されると思うのだが、今日は久しぶりに馬場さんと話して考えたことを書いておきたい。論点はたくさんあったのだが、ここでとりあえず書いておきたいのは「場所」の問題だ。
単純に考えて、検索性能の上昇は人間が既に自覚している強い欲望の追求コストを激減させる。これで人間は基本的に……とは言い過ぎだが、以前に比べて相対的に変わらなくなる。偶然出会うものを通じて、「変身」する機会を喪失するからだ。「雑誌」が望まれなくなっているのもまさにそれで、「雑」味は事後的に「あれはよかった」と思われることはあっても、効率面を考えたら基本的に好まれない。僕なりにいろいろ工夫して「雑誌的な」メディアを続けることでどうにかこの流れに抵抗しようとしたが、少なくとも自分が望むほどにはうまくいかなかった。たとえばもっとえげつないマーケティングをして、「本が好きな私」が好きな層のセルフブランディングに使える路線とか、批評に憧れているけど知力が足りない層に向けたバカでも分かるメタ的な状況論(批評そのものよりも難易度が低い)路線とか、まあそういう選択もあったのかもしれないけれど、それってやっぱり「雑」であることを捨てることになると思ったのだ。やっぱり頭と心の弱い人を騙して囲い込み、飲み会で裸の王様をやるような路線に舵を切ることをビジネスと割り切って実行することができなかったのだ。
で、たくさん失敗をして考えたのが「本屋」だった。つまり実空間なら、まだ戦えると思ったのだ。もちろん、僕のSNSを通じて宇野書店の存在を知って出かける人も多いと思う。このアプローチだとやはり「雑」味はそれほど強く機能しない。しかし足を運んだ人はわかると思うけれど、「宇野書店」は駅前の、たぶん沢山の人が通勤や通学や買い物や通院に使う交差点の正面にある。この「宇野書店」は大塚のエリアマネジメントの一環として展開するのだ、街には「本屋」が、それもいろいろな個性のあるものが必要なのだ、と僕らは考えた。しかしそれは同時に、僕にとっては「雑誌」の機能低下に対する対応というか、一種の復讐戦だった。メディアにできないことが、実空間ならまだできると思ったのだ。通勤の、通学の、買い物の、通院の「ついで」に人々の目に入る「雑」なものになれると思ったのだ。
この「ついで」は「庭プロジェクト」メンバーの小川さやかさんの言葉だ。何か必要なことの「ついで」こそが、偶然性への最大の回路であり「雑」味を与えるものなのだ。
ただ、この回路はどんなポストをしたら自分が知的に見えるかを一生懸命考えているような、自分を「何者」かとして承認してくれるような人間関係や「界隈」や共同体を求めるようなアクションが全面化すると機能を停止してしまう。だから、僕は「宇野書店」の中に座って本が読める場所や、ひとりで作業できるテーブルはたっぷりと用意したけれど、複数の人間が一緒に座れる場所は絶対に用意しなかった。一応断っておくと、僕は人間が人間と関わることを否定するつもりは全くない。しかしそうではない場所「も」必要だと、強く考えたのだ。
僕と馬場さんのアプローチに違いがあるとしたら、多分この辺なのかもしれないと思った。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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