宇野書店、はじめます。
明日8月1日から新しく本屋を始めることになる。その名も宇野書店。大塚駅北口から歩いて5分のところにあるオフィスビルの2階にオープンする。床面積は150平米で、約6000冊が並ぶ。




きっかけはひょんなことで、僕が1年ほど前にふとFacebookに宇野書店をやりたいと書いたところ、このビルを所有する東邦レオ株式会社の吉川稔社長に「やりませんか」と声をかけてもらったのだ。一瞬何が起こっているのか全くわからなかったが、とりあえず「やります」と返事をした。あれからよく1年、ついに宇野書店が実際にオープンすることになる。
僕が前から本屋をやりたいと思っていたことには、もちろん理由がある。『庭の話』で書いたように、これからは「庭」的な、個人がプロデュースし、管理する場所が「勝手に」公的に開かれている場所が、町の公共空間として重要な役割を果たしていくと僕は考えているからだ。
そして同じく『庭の話』で書いたように、そこは共同体のための場所ではなく、もっと開かれた、バラバラの、「何者でもない」個人のための場でなくてはいけないと思ったのだ。だから他の人間ではなく、本という「物事」と出会える場所が良いと僕は考えたのだ。
日本ではあの震災以降、猫も杓子も「共同体」と口にするようになって、本や批評にまつわる場所でも、ずいぶんと「新しい共同体」を謳う場所が生まれたと思う。
けれど、僕は共同体というものはあまり信じることができない。そこにはやはり「中心と周辺」があり、カーストの上下があり、内側と外側があり、そして敵と味方がある。気がつけばその共同体のボスのためにヒラのメンバーが忖度して、ボスの嫌いなやつの悪口を言ってご機嫌を取る陰険な「飲み会」のための場所のようになってしまったところもたくさんある。こうした陰険な共同体がいくらあっても、社会をより不幸にするだけだと僕は思う。もちろん、そうではない共同体もたくさんある。しかし共同体はどこまでいっても、結局はどこかでカーストの上のほうにふんぞりかえる人たちのもので、誰もの優しいものではないし、あまり上下のない共同体であればあるほど、積極的に外部に敵を作ろうとすることは、歴史が既に証明していると思うのだ。
だから僕はそうではない場所を、つまり共同体のための場所ではなくあくまで多様な「物事」に出会うことができる場所を、事物の生態系の渦巻く場所を、世界にはこんなにたくさんの多様な物事があるのだということを実感できるような場所を、作りたいと思ったのだ。そして職業柄、それは僕にとっては、直感的に思いつくものとしては「本屋」だったのだ。
図書館ではなく本屋だったのは、多分、実際にその本を買って持って帰れることの充実感を大事にしたいからだと思う。
当たり前のことすぎて忘れてしまっているが、その場にあるものを買って持ち帰ることができるということは、その場所に対して人間がより肯定された気持ちを持ちやすくする。
それに物書きの一人として、あるいは小さな出版社のリーダーとして、もっとこれから出版にまつわる実験のようなことができる場所が望ましいと考えたのが、本屋にこだわっている理由だ。
広く知られているように、街の本屋というのは、ビジネスモデルとしてはなかなか厳しいものがあり、実質的に破綻している業態とすら言えるだろう。
だから僕たちはこの本屋を、街の本屋であると同時に、オフィスビルの共用施設として位置づけた。この本屋が入っていることによって、オフィスビルの価値が上昇する。引いてはエリアマネジメントとして大塚駅の北口が盛り上がる。そのことの経済効果でマネタイズしていくモデルを、僕らは採用した。
これは空間プロデュースを手がける東邦レオがオーナーだからこそ生まれた発想であり、なかなか出版業界の内部からは出てこない発想だと思う。
そもそもリモートワークが可能になった現在、オフィスの機能というものは、これまで通りではいられないと思う。経営者としては、部下をしっかり掌握するためにオフィスに出勤させたいという思いは当然あるだろう。そうすることで効率が上がる局面も当然あるだろう。しかし、それは雇われる側にとっては単純にストレスのかかることで、基本的に働く人を不幸にする効果が大きい。
残念ながらこの国には、まだまだ家庭では妻や子どもを、職場では部下や後輩を「所有」することで、つまり象徴的な「父」になることで自己肯定したがる卑しい父、さびしいおじさんが多すぎる。
そういったさびしいおじさんたちが、オフィスへの部下の出社を要求し続けているという側面は確実にある。しかし実際問題としてこれからのオフィスの価値とは、こういったさびしいおじさんを慰めることではなく、そこに働いている人たちにとって創造性を刺激されるような文化的に豊かな場所を提供することだと僕は思っている。
居心地が良くて、知らなかったけれど面白そうな本にたくさん出会える場所がオフィスにあること。そこが共用施設としてワークスペース的に利用できること。そして気に入った本はその場で買って持ち帰ることができること。こういった回路を備えることが、これからのオフィスには必要だと思ったのだ。
加えて人間には、そもそも「何者かになりたい」という欲望と同じくらい、「何者でもない自分を許容してほしい」という欲望があるのだと思う。
僕はコワーキングスペースに全部で3つぐらい登録しているが、一番仕事をしたいと思えるのはそのどれでもなくチェーン店のカフェだ。なぜならば、そこは僕を「何者でもない人間」として扱ってくれるからだ。僕がどこの誰だろうが、どのような共同体のメンバーシップを持っていようが関係なく、受け入れてもらえることの安心感が、いちばん仕事に集中させてくれるのだ。
人間が市場から評価されたり、共同体から承認されることによって「何者かになりたい」と思う気持ちが、今、情報技術によって必要以上に刺激されているように思う。だからこそ僕は実空間では、人間を「何者か」にする「共同体」ではなく、「何者でもない」まま肯定する「公共空間」を作っていくべきだと思っているのだ。そういった場所としても、この「仕事もできる本屋」は有効な回路になるはずだ。
オフィスに出社してしまうと、あなたは否応なく「何者か」になってしまう。しかし、本屋のデスクでは違うはずなのだ。
そう、街には「本屋という公共空間」が必要であり、これからのオフィスには「本屋という従業員に刺激を与えてくれる場所」が必要なのだ。「宇野書店」はそんな確信から生まれた本屋だ。
僕の思いばかり語っていても仕方がないので、もう少し本屋自体の紹介をしよう。
宇野書店には約6000冊の本が並んでいるが、その選書はすべて僕が一人でやった。本当に辛い作業で、何度も投げ出したくなった。
ジャンルは人文社会科学とサブカルチャー。そして地理や都市開発に特化している。つまり僕の得意分野の本が集まっている。「宇野書店」なので、無理してまんべんなくいろんな分野のものを手厚く扱う必要はないと思っていたし、そんなことをやったとしても、紀伊國屋書店やジュンク堂書店の大型店には太刀打ちできない。それよりも、Amazonのランキングやタイムラインで話題になっている本や、既に他の個人独立系書店にありそうな本のトレンドもまったく無視して、僕の好きな本と僕がこれから読みたい本だけを並べることが、一番の差別化になると考えたわけだ。
(ただ、本当に一人で6000冊選ぶのは地獄のような作業だった。ピックアップ自体はおそらく1万冊くらいしてると思う。正直言って、もう二度とやりたくない。)
オープン当初は『庭の話』関連本のフェアを行っているが、9月は安宅和人さんの『風の谷という希望』とその関連書のフェアをやろうと思っている。今のところ、月替わりで約100冊単位の超大型フェアをやる予定だ。いつ来ても「知らなかったけれど面白そうな本」に出会える本屋。それが宇野書店のコンセプトで、それを支えるのが毎月の大型フェアだ。
トークイベントのたぐいは、月に2回から3回を目安に行おうと思っている。明日8月1日のオープニングイベントは、僕が司会で、内沼晋太郎さん、篠田真貴子さん、三宅香帆さんの3人をお招きし、これからの読書文化について議論する。
8月15日には國分功一郎さんを招いて、僕の新刊『ラーメンと瞑想』についての議論を行う。
どちらも既にチケットは完売しているのだけど、少し間を置いて、プラネッツYouTubeチャンネルの方で動画を配信したいと考えている。
9月以降もトークイベントは継続していく予定だが、いかにも書店でやっていそうなトークイベントではなくて、食や音楽、あるいはアートのイベントなども考えている。何かの「ついで」に本に出会うという回路が、僕はとても大事だと思っているから、本に関係ないイベントも積極的に仕掛けていきたい。
それにしても今まで僕は、本を書くことや編集することは散々やってきたが、本屋を作って本を売るということに今初めてチャレンジしていて、これは本当に偉大な仕事だと思う。改めて、いままで僕が書いたり作ったりしてきた本を売ってくれた本屋さんには感謝したいと思う。そして同時に、物理的な場所を自分で持つということの楽しさも日々感じている。
SNSやそれに連動した動画チャンネルでは、不必要に対立を煽るTVバラエティ的な討論ごっこや、いじめの快楽を読者や視聴者に提供して、課金させるような悪質なものも多いが、なんというか、この「宇野書店」は、基本的に肯定的なことを語る楽しい場所にしようと思っている。
大塚駅北口から歩いて5分。買い物のついで、通勤通学のついでに、ぜひとも覗いてみてほしい。
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