時代考察#3|時代のうねりと立役者(壊れる時代編)

はじめに

三つの時代をおさらいする

 本題に入る前に、これまで分析をしてきた三つの時代について整理しておきます。

 これまで私は、時代の移り変わりを、壊れる時代・建てる時代・溶ける時代と三つに分けて描いてきました。前の時代で抑圧されたものが次の時代に押し寄せ、それに対応することになる、と。ただ、それでは不十分でした。今回はまず、時代の移り変わりについての考え方を修正するところから始めます。

 20年スパンの一つの時代で起きていることは、盛りを迎えたものが徐々に死に、同時に次のものがゆっくりと芽吹く、という栄枯盛衰です。古いものの葬儀と、新しいものの出産が、同じ時代に起きていとも言えます。

 つまり各時代を、前の時代の死と次の時代の誕生が重なっている期間として考えてみたいとして考えてみたいと思います。この見方でほどくと、三つの時代はこうなります。

  • 壊れる時代(2000–2020頃)
    ヒエラルキーの腐敗と、ネットワークの整備

  • 建てる時代(2020–2040頃)
    ネットワークの暴走と、やさしさの芽吹き

  • 溶ける時代(2040–2060頃)
    やさしさの堕落と、自我の誕生

 大事なことは、生まれた新しいものがすぐには主役にならないということです。テクノロジーを駆使したネットワークは、壊れる時代を通して20年かけて育ち、その時代の終わり=今、ようやく頂点へと昇りつめています。

 そして次の時代に入ると、今度は盛りを迎えたネットワークが暴走を始め、入れ替わるように人間のやさしさが生まれ始める、というのが私の見方です。



それぞれの時代に求められる人

 さて、時代のそれぞれにおいて、どんな人が活躍するのでしょうか。この記事で扱うのは、時代が変わりつつあるなかで、誰が時代の立役者となり、そしてどんな人がひっそりと先駆者になるのか、という問いです。

 今回は壊れる時代(2000-2020頃)の破壊と再生、つまりヒエラルキーが死に、ネットワークが生まれていった時代を見ていきます。


「立役者」と「先駆者」は別人である

 その前に、各時代において活躍する人物を分析する前に確認しておかなければいけないことがあります。それは、「その時代にもてはやされる人」と「次の時代を先取りした人」は別人であるということです。

 たとえば、ダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来』を書いたのは2001年でした。個人が組織から離れ、自由に働く時代が来るというビジョンとアメリカでの実例が書かれた本です。

 けれど、それが書かれた当時、その考えはまだ傍流で、ノマド的なフリーランスは世の中の中心ではありませんでした。ピンクの描いた未来が、個人が仕事を請けるギグエコノミーとして現実になったのは、プラットフォームが整備された、そこから10年以上も後のことです。

 つまり、先駆者は、先駆けであるがゆえに、当の時代の中心にはいないということです。一つ前の時代に種を蒔いていて、当の時代の前半ではまだ隠れている。先駆者は、時代の後半に徐々に「先駆者」としての頭角を表し始めます。

 たとえば、落合陽一は、2018年にはデジタルネイチャーについての書籍を出版していました。しかし、彼が描いた未来像は、当時は早すぎて理解できた人はごく少数だったはずです。私も2017年に講義を聞いたとき、ぽかんと聞いていたのを覚えています。


時代にいる二種類の寵児

 落合陽一がいま時代のトップランナーとして最前線を走っているのは、時代が切り替わったからです。先駆者とは、時代が切り替わるタイミングで報われる人と言えます。

 では、当の時代でリアルタイムに報われるのは誰か。それは、その時代がまっただ中で直面している、時代自身の課題に取り組む人です。つまり、破壊と再生でいえば、破壊の側、前の時代が死にゆく側に向き合う人です。

 そこでこれから、「当の時代の課題をこなす人」を時代の立役者、「次の時代を先取りした人」を時代の先駆者と呼んで、見ていきましょう。一旦整理しておきます。

  • 立役者
    当の時代の課題をこなす人。リアルタイムで脚光を浴び、社会からも必要とされる。

  • 先駆者
    次の時代を先取りする人。時代の前半は種をまいてひっそりと待ち、後半から「先駆者」であるとして認知され始める。


壊れる時代の立役者・先駆者

 では、壊れる時代の「立役者」と「先駆者」について見ていきます。

 壊れる時代とは、国家・制度・ヒエラルキー・伝統といった、私たちを「父」のように支配し、また守ってもいたものの権威が腐り、崩れていく時代です。

 そして、古い死にゆく側が伝統的なヒエラルキー、あたらしい生まれる側が水平的なネットワークです。立役者がヒエラルキーを解体することを担い、先駆者がネットワークの整備を扱います。

 結論から言って、壊れる時代の立役者と先駆者は以下のようになります。

  • 立役者
    腐敗して壊れゆく「父」なる制度を解体する者=構造的な不正を告発する者

  • 先駆者
    「伝統的な制度」に頼らずに「みんなのネットワーク」へ移行しようと構想・設計する人


立役者

 壊れる時代に求められたのは、すでに腐敗してしまっている構造を暴く告発者でした。

 たとえば、アメリカのスノーデンが、2013年に政府が国家的な通信の監視を行っていたことを内部告発し、スウェーデンのグレタは2018年に議会の前で15歳にして「気候のための学校ストライキ」を始めました。

 彼らは、構造に隠された不正を明るみに出した人物です。2013年にアメリカで始まった人種差別への抗議運動である#BlackLivesMatterや、2017年にハリウッドで起きた性暴力の告発をきっかけに始まった#MeToo運動を数えても良いだろうと思います。その波は日本では、フジテレビ問題やジャニーズ問題に波及しています。

 抗議の運動はどれも、悪い個人への告発で終わっていません。告発しているのは、不正を生む仕組みそのものです。

  • スノーデン:一人の悪役ではなく、国家の監視装置そのものを告発。

  • グレタ:特定の企業ではなく、物質的限界を見ないふりで加速し続ける経済構造への抗議。

  • #BlackLivesMatter :一人の警官の暴走ではなく、司法・警察に組み込まれた人種差別への抗議。

  • #MeToo :元映画プロデューサー個人ではなく、彼を長年守ってきたヒエラルキー構造への抗議。

 告発の対象になったのはどれも、私たちを守り、長くにわたって生活を安定させていた、権威ある「父」なる制度です。市民を守るはずの政府が市民を監視し、未来を保証するはずの大人たちが環境を破壊し、市民を守るはずの警察が人を殺し、才能を育てるはずのスタジオが女性を食い物にしていた。


先駆者

 そんななか、次の時代の先駆者が周縁でひっそりと芽を出していきました。彼らは、ネットワークの形成による脱中心化を担った人たちです。かつての「偉い人や上」を信じるあり方ではなく、「みんな」を信じる方へと舵を切っていきました。

1.ビットコイン
 たとえば、ビットコインは、イギリスがリーマンショックで潰れかけた銀行を二度も公的資金で救おうとしていることを横目に、2008年に始まりました。

 ビットコインが革新的だったのは、金融から伝統的な制度のお墨付き(銀行・中央銀行)を排除することにありました。信頼を、銀行や中央銀行ではなく、管理者のいない分散ネットワークで機能させた。制度の壁の内に閉じず、「上」にもはや頼らず、ネットワークを開き、「みんな」を頼る方向へと彼らは踏み出したのです。


2.プラットフォーム
 私たちにもっと身近な分散ネットワークは、プラットフォームでしょう Facebook、X、Instagramといったソーシャル・ネットワーキング・サービスは、2004年から2006年に生まれました。

 その普及で、私たちは放送局・出版社・レコード会社といった「門番」を素通りして発信できるようになりました。そうして、SNSによって、「許された者だけ」が声を持つ世界から、「みんな」が声を持てる世界へと変わっていきました。

 つまり、SNS創業者は、ビットコインと同じように、「制度のヒエラルキー」から「みんなのネットワーク」への移行を担ったからこそ、後に時代の寵児となっていったと言えます。

 そして興味深いのは、上に挙げた気候変動デモ、#BlackLivesMatter、#MeTooはSNSなしには世界規模で拡散されることはなかったということです。どの活動も、中心や指導者はおらず、ハッシュタグを旗に水平に展開していきました。

 つまり、2000年代に現れた、次の時代よ先駆者たちは、新しいネットワークを取り上げる「時代の産婆」を行うと同時に、古くなったヒエラルキーを解体する「時代の葬儀」の手助けもしていたということです。


おわりに

 壊れる時代を眺めると、そこには二人の主役がいました。腐った制度を暴く告発者、そして新たなネットワークを生んだプラットフォーム創業者です。

 告発者は死にゆく制度を扱って当の時代の立役者となり、プラットフォーム創業者はあたらしく生まれるネットワークを整備して、次の時代の先駆者となりました。

 時代の移り変わりの面白いところは、どんなに栄華を築いたものも枯れていくということです。満開は、花が散っていくはじまりでもあります。つまり、今まさに満開を迎えているテクノロジーとネットワークによるシステムは、これから20年かけて、ゆっくりと死にゆく側へと回るはずです。

 今もなお、企業体や政府は残り続けているように、システムが文字通り破壊される訳ではないでしょう。ただ、じわじわと私たちはシステムの効率と最適化の理想を捨て、システムは力を削がれていくはずです。

 次回はいよいよ、私たちがいま生きている、建てる時代に入っていきます。

 「みんな」を信じたはずのネットワークが、なぜ新しい監視と専制の中心になっていくのか。誰がシステムの冷たい暴走を食い止め、誰が新たな意味や慈悲といった、人間のあたたかさを芽吹かせるのかについて見ていきます。



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