フランスへの旅🇫🇷 2024 年末年始、体力勝負の八日間〜前編〜MetzからParis、そしてルーブル美術館へ
「年越しはフランスでどう?」と夫に訊かれたのは10月頃だっただろうか。
イタリアに行きたいと思いつつ、冬にスイスの山越えをするのは雪の不安もある。雪の不安というより、夫の運転が不安なのだ。さほどの長さでもない渋滞を黙って乗り越えられない人は、自然が生み出すトラブルに遭遇した場合、対応が困難を極めるのは間違いない。
お隣の国フランス。ストラスブール辺りであれば行くのも気楽で、さほど時間もかからず到着できる。
今回は最終目的地までの距離があるので、ストラスブールよりもう少し先まで行った街で、途中の一泊をすることに。
▪️メスの街
1日目はMetz(メス或いはメッス)の街へ一泊する。ここはフランス北東部にある中世の面影を留めた街。モゼール川が流れる。
中世末期に貨幣鋳造と金融業の中心地として繁栄し、モゼール川流域唯一の大都市であったという。

街の中心にあるサンテチエンヌ大聖堂は、その発展の歴史を想像させる荘厳な建築である。 ここはヨーロッパのゴシック建築のなかでも最も高い建築物のひとつで、身廊は実に42m。天蓋も美しい。 ステンドグラスが入り口から奥まで続く。高さがあることもあって、その面積はとにかく広い。大聖堂に注ぎ込む日の光を受け、内部空間に圧倒的な美しさを生み出していた(ステンドグラスの一部はシャガールによる制作)。





この日の宿泊先は、窓からこのサンテチエンヌ大聖堂が眺められる部屋であった。
毎度、目的地や旅の日程などは、何から何まで夫が決定し、宿泊場所やチケットの予約など、まるで仕事のように取り組んでいる。それが趣味のようなものなので、私は口を出さないものの、夫の計画には常にある一点が欠落している。
それは[私や犬たちは生身であるので疲れる]ということであり、大変重要な部分であると長年主張し続けているが、まるで考慮に加えられない。
なお、夫も生身ではあるけれども、疲れにくい上に、滅多に具合が悪くならないので、この問題には含まれない。
その日メスに着くまでにも、450キロほど運転しているのだ。なのに荷物を置いたらすぐ外に出ようと言う。
誰かに会う為の集合時間が決められているのでもなく、どこかに入場する受付時間が迫っているわけでもない。夫自らが己を急かす。
車の運転も、眠くなれば窓を開けて、ミントガムを噛む、「コーヒーくれる?」と手を伸ばす。それだけ。
休憩の為にパーキングエリアに寄れば、先程まであれだけ追越車線で追い抜いてきたというのに、休んだことによりそれらが全て無駄になる、くらいの感覚がある。
これに関して、自動車免許の試験の問いが思い出される。
[運転中に眠くなったので、窓を開けた]という問題が出題されたことを夫に話す。
「これに○と回答すると間違いなの!」
毎回夫に伝えるが聞いていない。
これは安易な引っ掛け問題で、正解は×。理由は、
[眠気を感じたら、車を停車させて、休憩を取らなければならない]のである。
そして、夫が眠くなるくらい運転しているということは、同乗者である我々だって疲れているのだ。それがわからない人が旅の日程を計画している、ということを嘆かざるを得ない。
まぁメスまでは初日であるし、さほどの疲労感はなかった。到着して、宿泊場所に荷物を置き、クリスマスマーケットに向かう。宿泊場所は街の中心地であり、歩き回るのに丁度良い位置にある。
ドイツのクリスマスマーケットは12月24日まで。すぐにさっぱりと片付けられてしまうけれども、フランスはその後も広場で飲食店を中心に開催している。
夫は普通のホテルも予約するけれど、貴族の屋敷や城、またアパートを改造してホテルにした部屋などをよく見つけて予約している。値段は一般のホテルと変わらなくても、そちらの方が断然楽しい部屋が多い。
昨年ヴェネツィアで滞在した屋敷は、廊下の幅が7〜8メートルあり、廊下というよりは、かつてはそこが人が集う部屋としての使われ方であったことがわかる様々な調度が置かれていた。
宿泊した部屋は天井が高く、軽く20畳を超える広さがあった。荷物を置ける小部屋まで付いていて、浴室も広い。
犬も一緒に泊まるという条件で申し込むと、大抵一番奥の広い部屋が当てがわれる(我が家の犬は小型犬であるけれども)。他の泊まり客に考慮して少し離れた部屋を選んでくれる為に、結局一番良い部屋となる。
(他の普通のホテルでも、「考えた末にスイートにしておきました。」と言われたこともある。)
夫は部屋を探す際、まず犬が一緒に泊まれる部屋を条件として探すのだが、このような部屋の方がホテルより遥かに都合が良いことが多い。歴史のある建物をリフォームした部屋は、大抵広くて過ごしやすく、お洒落で味わい深い事が多いのだ。また部屋にある調度や物品の設えも気が利いている。
その点は満足する事が多く、おおいに夫を褒め称える。
我が家は、日本から持ってきたトイレットシートを挟み込むタイプの犬のトイレを、旅行中必ず持って行く。トイレットシートだけでも事足りるが、自分のトイレがあるとホテルの部屋でも安心する様子がわかる。
部屋を汚さないように、トイレットシートを周りに大きく広げて敷き、トイレ、水飲み場、餌の入れ物を設置する。
日本では、室内犬はこうしたトイレを準備して躾をするのが当たり前だが、ドイツでは室内での排泄はさせず、トイレとは『外』を意味する。
そして一言文句を言わせてもらうなら、これだけ多くの人が犬を飼っていながら、💩を持ち帰る人が少ない。見た感じ6〜7割は持ち帰らず。持ち帰る人のうちおそらく多くの人が外のゴミ箱に捨てている!💦
あまりにそれが嫌なので、私は外での💩の際は、常にドイツの皆様に見せつけるように、ゆっくり袋を使って拾い上げ、ゆっくり匂い防止の袋に入れ、ゆっくりバックに入れている。
【日本人はちゃんと持ち帰る】アピールである。実際見ている人も多いようで、何人かの知らない人から褒められた実績を持つ。
ドイツに来てすぐに、持参したトイレットシートが無くなる前に、と買いに出たが、スーパーにもドラッグストアにもなく、店員さんに聞いてみると、
「トイレは外だから、そんなものはない」と答えられて愕然とした😱
日本では外での排泄は迷惑になるので、水で洗い流するのがマナーとされ、犬の飲み水の入れ物はその為のシャワー状になるように作られている。こんな話、誰も信じないだろうなぁ‥‥
結局ペットショップで、パピーのトレーニング用としてのごく薄〜いトイレットシートが見つかって安堵した。(さほど需要がないらしく、いつも2個くらいしかない。置いていないこともあるので、常に在庫を持つようにしている。)
日本のふっくらとしたトイレットシート。デオドラントタイプなど様々あった。
どこのスーパーにも置いてあった。それが懐かしい。
ドイツのワンちゃんは大型犬も小型犬も、お散歩に連れ出さない限り、排泄ができない。集合住宅が圧倒的に多いので、気楽に庭に出してやる、という事もできない。その為に一日に二度散歩させるのが普通だと聞いた。
しかし我が家の犬の様子を見る限り、日中も夜中も、部屋のトイレで何回もしている。(たまに夜中の廊下で、自分のトイレに向かう犬とすれ違う。とても健気で可愛い♪)
もし排泄がお散歩の時だけとなると、飼い主の都合で我慢を強いることとなる。
日本でも大型犬の飼い主さんが、「外でないとしないから」と話していたのを聞いた事がある。犬の身体はそれに適応できるようになっているのだろうか? 我慢して病気になったりはしないのだろうか?
しかし、大型犬に室内で排泄させるとすれば、相当な数のシートが必要だろうし、失敗しそうだし、それはそれで大変な事だ。思わず想像してしまう。
だいぶ話が逸れてしまった。
犬を連れて旅行するのは当たり前の国であるから、ホテルでもよく見かける。
『寒い中トイレの為に外に連れ出すのは大変ではないのかな?』
『夜中は我慢しているのだろうな😢』
『 部屋を汚して叱られたりしていないかな?』といつも心配になるのだ。
さて、フロントがないアパートを改造した部屋のようなところは、場所が分かりにくいこともあるし、中へ入る為にドアのロックを解除しなければならない。
まずオーナーに電話やメールで連絡して、玄関入り口の暗証番号を聞き、部屋の前に取り付けられた鍵のボックスを解錠し、その鍵を取り出して入る、というような自分でやることの一手間が必要である。
普通のホテルに泊まると、泊まり心地が快適であればあるほど何の印象も残らないけれど、このような宿泊場所はそれぞれ印象が強く、まず忘れることはない。
メスの貸し部屋には、古い真鍮の取手の付いた縦長の窓が六つある。いかにもフランス的な窓辺であり、ここだけでも美しい。そこから教会が見える。

シャワールームとトイレの一角は、曇りガラスの壁とドアで仕切られ、カフェの外観のような小部屋になっており、小粋で洒落ている。 宿泊の為の部屋として改造した際に、そこをガラスの壁で仕切った、というのは何ともフランス風の美意識に思える。 住み続けたいと思うくらいの部屋なのだった。エレベーター無しの3階という点を除いては大満足。
これまでに宿泊した城を改造したホテルとか貴族の館なども、吹き抜けのホールから見上げる、彫刻や金属の装飾のある手すりが付いた、優美な絨毯敷きの螺旋階段にうっとりするものの、自力でその階段を上がらなければならない。そこだけが難ありだった。
大きなホテルとして改築された城には、流石にエレベーターは完備されていたが、個人所有の城だとそうもいかない。 犬たちはぴょんぴょんと階段を面白そうに上っていき、私は手ぶらで頑張って上り、夫は二往復して荷物を運ぶ。丈夫な人である。




さて、メスの街に駆り出す。クリスマスマーケットでワインや料理をつまみ、まだしばらく年始まで飾られているであろうクリスマスの装飾を楽しむ。


こうした屋台の料理はそれぞれの地域の特徴があり、ジャガイモの料理もドイツとは一味違って、大鍋で調理された具材に、大きなチーズを溶かしてトロリと絡ませたり、味付けにもフランス的なこだわりを感じる。

焼き栗🌰の店は可愛らしい専用の車だ。人気がありここでも列ができている。いつもと同じように10€分買おうとしたところ、ドイツで買う時の倍量が袋に詰められた(・Д・)
思わず『え?』とおじさんを見る。
『ドイツはきっちり数を数えて売るのに! 』
『ドイツでは10€だとせいぜい16個ですよ!』
いつもの倍の微笑みで栗を受け取る私。
“Merci beaucoup!” 思わずはしゃいだ声が出た。
クリスマスマーケットは楽しい🎄そして寒い🥶
ちゃんとその後に店に入らないと凍えてしまう。
小さい街ではあるけれど、フランスなので和食の店も何軒か並ぶ。
迷わずお寿司🍣の店に入ったのだった。長旅はまず胃の調子から整えないと。
なおここメスの駅は、ネオロマネスク様式の荘厳な建築で、フランスで最も美しい駅として知られている。

▪️パリ ルーブル美術館へ
ルーブル美術館が好きだ。展示される数万の作品に敬意を持つと共に、この壮大な建造物を目の前にすると畏怖の念すら覚える。
巨大な馬蹄形をした石の宮殿ルーブル。この風格ある建物に守られた作品を味わい尽くしたいと毎度願う。観光で数時間眺めるだけでは足りなすぎる。
かといって何週間かかけて全て鑑賞せよと言われたら躊躇するだろう。建物の隅から隅まで歩いたら5キロ近い長さになるというのだから。
せめて一つの翼だけ念入りに観ることだけでも果たしてみたい。
しかしそれですら何日必要なのだろう。


かつて物議を醸した正面入口のガラスのピラミッドは、何度見ても違和感を感じる一人である。
私が初めてルーブルを訪れた折は、まだピラミッドが造られる前だったので、どうしても当時と比較してしまう。
単純に、以前の方が美しかった‥‥
[歴史的建造物と近代的手法の融合]とか言われたところで、違和感は違和感なのである。
行く度に写真は撮りますけどね(^◇^;) 真ん中だから写り込んじゃいますし。
ガラスのピラミッドの設計は、アメリカ人の建築家イオ・ミン・ペイによる。1989年に造られたものだ。
ルーブルにはエジプトの美術品や工芸品が相当な数展示されている。だからといって、あそこにピラミッドを建てる必要はないと、何故誰か止めなかったのだろう。
イオ・ミン・ペイが優れた近代美術を生み出す実力者であろうが、それはそれとして、他で実力を発揮すれば何の文句もないのだけれど。
当時、あのデザインを許容した故ミッテラン大統領が、エジプト文化に傾倒していたのは有名な話である。
多くの美術品をフランスへかき集める為に尽力したのは評価されることであろうけれども。
しかしエジプト推しはそれはそれとして、いまだにガラスのピラミッドが批判されるのも致し方ないと思う。単純に考えて、周囲との釣り合いが悪すぎる。
東京の街中にこのようなネオ・モダンの建物ができたのなら、何の違和感もないだろうし、賞賛を浴びることだろう。
けれどもここはルーブル宮のど真ん中だ。
美意識の塊のような国にあって、その国を代表するルーブルに起きた悲劇、と考えた人もさぞ多かった事だろう。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチコード』の中でこんなシーンが描かれる。
主人公であるアメリカ人の大学教授ラングドンに、警察のコレ警部が尋ねるのだ。
「あのピラミッドをどう思います?」コレが訊いた。
ラングドンは顔をしかめた。フランス人はアメリカ人にこの質問をするのが好きらしい。もちろんこれは狡猾な質問だ。ピラミッドが好きだと言えば趣味の悪いアメリカ人だと思われるし、きらいだと答えればフランス人への侮辱になる。
「ミッテランは大胆な人物でしたね」ラングドンはどちらとも聞こえるように答えた。
コレ警部にはこの答え方でお茶を濁したが、頭脳明晰で何事にも動じない司法警察中央局の警部ベズ・ファーシュからも同じ質問を受ける。
今度はルーブル内部に入り、頭上のピラミッドを眺めながら。
「どう思うね」いかつい顎を上に向けて、ファーシュが尋ねた。
ラングドンはゲームに飽き、ため息をついた。
「ええ、みごとなピラミッドです」
ファーシュはうなり声をあげた。
「パリの顔につけられた傷だ」
ストライク・ワン。ラングドンはこの相手の扱いにくさを悟った。

そしてラングドンは、ピラミッドについてこう続ける。
ファーシュが知っているかどうかは定かではないが、ミッテラン大統領の明確な指示により、このピラミッドにはぴったり六百六十六枚のガラス板が使われているーー666は悪魔の数字だとする陰謀論者たちのあいだで、この奇妙な指示はつねに議論の的となってきた。
その話題を持ち出すのはやめよう、とラングドンは思った。
ファーシュの言葉は、いかにもフランス人らしいエスプリが効いていて良い場面だ。
そして秘密結社が鍵を握るこの物語では、最初の場面で語られた、この故ミッテラン大統領のエピソードは一つの伏線になっている。
そもそもルーブルは、1682年にルイ14世がヴェルサイユに遷宮するまで、フランス王の王宮として使われていた宮殿であった。
ルーブルはセーヌ川右岸にあり、テュイルリー庭園とサンジェルマン•ロクセロワ教会の間に位置する。
パリの中でも、建物北側がリヴォリ通りに面するこの場所は、まさしくパリの中心部であり、多くの人々が訪れる観光の中枢である。
ルーブル美術館に入り、DENON(ドゥノン翼)の広い階段を上がり、サモトラケのニケ像に近づき始めた辺りで、『おや?』と思い立ち止まった。
この階段下からの眺めはこれほど美しかっただろうかと。
好きな絵画は何回観ても嬉しいので、いつもドゥノン翼から観始めるのだが、改めてこの広い空間を、王宮の建物としてとても好きだと思ったのだった。
ヴェルサイユは、王の権威の象徴として、豪華絢爛、壮麗にして荘厳、更に壮大な広さの庭園を持つ宮殿であるけれど、
『政治をするならこの王宮の方が良くない?』と単純に思う。
パリ市民は、もし身近なこの場所にずっと王の居城があったのなら、中世に建立されたこの美しい建物を増改築しながら大切に使い続ける王であったなら、民衆の声を意識しつつ、尊敬される君主として節度ある暮らしができる王や王妃であったなら、フランス革命の火種は生まれたのだろうかと、そんな事まで考えた。
私の妄想は続く。
もしオーストリアのマリア・テレジアであったなら、遷宮することなく、ここで暮らし続けただろう、などと考える。
王宮として相応しいこの美しい建物を大切に使い続け、華美な生活は避け、パリ中心部の、国民の声が聞こえるこの場所で国を統治する事に、必要性と価値を感じたことだろう、と。
王族の極端な贅沢さは国民の反感を煽るのだと、娘マリー•アントワネットに手紙で忠告し続けた賢母マリア•テレジア。それに耳を貸さなかった娘の末路‥‥
翌々日はヴェルサイユに行く予定であったので、余計にそんなことを考えたのだった。
それにしても、年末のルーブルは混んでいた。私の妄想は、階段の上のニケ像に群がる人々に近づいた辺りで吹っ飛んだ。
経験のない混みようである。

正面にニケ像
そもそも入場するまでも、中央入口ピラミッド前の長い列(時間指定のチケットの人々)を見て大変だと思ったものの、私自身はリシュリュー翼のアーチ状の通路から、すんなり地下に下りる入口からの入場だった。
チケット自体がプレミアム(かなり前に申し込んだものの、予約は埋まり、やむを得ず倍以上値段のチケットしか買えなかったという事情)であった為に、すんなり入れたせいで、そこまでの混みかたとはまだ実感できずにいた。
地下のホールで更に確信する。これは回り方を考えないと、十分な鑑賞はできない。そもそも数時間の滞在くらいでは、十分な鑑賞などできないけれども。
かと言って、せっかく来たのだから、やはりモナリザは観ておきたい。そもそもダ•ヴィンチが一番好きなのだから。
とデュノン翼に向かうと、前述したように、ニケの辺りで既に大変な状態だったわけだ。

人の流れは明らかにモナリザに向かっている。しかしそこに行き着くまでの展示も超一流の名画揃いなのに、横目で眺めて足早に歩いて行く人が多すぎる。
『これだけの絵画をスルー‥‥ルーブルに来た意味はあるの ?』と尋ねたくなる。

ダ・ヴィンチ好きであるならば、【岩窟の聖母】と【洗礼者聖ヨハネ】が通路左側に並んで展示されているというのに! 絶対見落としてはいけない筈なのに、そこには数名が近くにいる程度。
実にじっくり鑑賞できたので、私には幸いだったけれど。


描かれた人物の配置や仕草に謎が多く、様々な解釈がされる【岩窟の聖母】、天使の指さす意味、マリアの左手の示す意味、幼子イエスの描かれた位置等、ダ•ヴィンチの仕掛けた謎が沢山ある、興味深い背景を持つ絵だ。
前述したダン•ブラウンの『ダ•ヴィンチコード』は、ルーブルで起きた殺人事件から始まる。
イエス・キリストそのものに対してのダン・ブラウンの解釈(ストーリーの根底)が、キリスト教徒の反発に遭い、上映禁止になった国もある作品である。
キリスト教と歴史、文化、芸術とが、事実と創作部分の中に巧妙に混ざり合って語られ、壮大な作品に仕上がっている。発行から20年以上経っているが、何度読み返しても高揚感のある、知的でスリリングな物語である。
ダ•ヴィンチは自身の信仰と解釈の秘密を様々な絵の中に潜ませている。イタリアのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に併設のドメニコ会修道院の壁画『最後の晩餐』にしても同様で、ダン•ブラウンはこれに対しての深い考察を書いている。
『岩窟の聖母』もこの作品の中で、いくつかの暗示されたダ・ヴィンチの意図に関して追求がなされている。
有名な[2枚の岩窟の聖母]である。

この絵の依頼主がダ・ヴィンチに対して、仕上がった絵に不服の意を唱え、ダ・ヴィンチは嫌々描き直すこととなった。
そちらの穏当な『岩窟の聖母』はロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されている、何かと語りがいのある絵である。

ルーブルの【岩窟の聖母】の前、通り過ぎる人々に、『ここにもダ・ヴィンチの名画が!』と呼びかけたくもなるが、なす術もない。


これら2点もすぐ近くに展示されているというのに!
人込みを避けながら、更に両側の絵画を楽しみつつ、モナリザの部屋の方向へ進む。
どれだけ混み合うとしても、やはり観たい気持ちは変えられない。モナリザに関しては案内板が出ているので人々はズンズン進む。やがて私もその波に乗る。
とうとうモナリザ部屋に到着。かつて来た折は、人もさほど多くなく、ゆったりと鑑賞でき、充実した一日だったが、その記憶はかき消される。何これ?!

モナリザが鎮座する右側の部屋の入り口には、何の注意書きも規制もない。監視員もいない。入場制限もしない。だから、取り敢えず『モナリザはマスト』と考える人々がすし詰め状態になっている。
モナリザの周辺、警備すべき位置に監視員が数名いるのが見えたが、
『入り口が肝心でしょうが?!』と日本人の私は思う。
入り口で軽く制限をかけ、人の流れを良くして、鑑賞後は速やかに退出させればいいだけのことではないかと。
ただ人が次から次へと部屋になだれ込み、すし詰め状態になっている。並び方などなく、絵に近づいていくのをただ待っている。
部屋の外側の方に位置した人々は、途中これはまずい、正面に行かねば絵が見づらい、と気づいて、中央に攻撃をかけ始める。
押された中央の人々は理解しつつも、自分も正面で観たいので、自分が外側にずれる事は当然しないので、自然と前方向にプレッシャーをかけ始める。
かつて日本にモナリザがやってきた時も大変な混雑であったけれど、混雑なりの誘導の仕方というものはあったし、ルールは守られていた。
上野動物園のパンダ🐼の前だって大混雑であったけれど、通路自体は狭くなっているから、順番は守られたし、見たら迅速に移動、という明確なルールは守られていた。
ここは無法地帯だ。しかし目的がモナリザ鑑賞であるので、そこに集う人々は真面目そうで、きちんとした身なりの絵が好きな人々だ。暴動は起きない。ただ辛いだけ。
30分ほど経っただろうか。とうとう私もあと2メートルで最前列、というあたりまでモナリザに近づけた。
そこで監視員が何をしているのか、やっとわかったのだった。
彼らは、最前列に辿り着いた人々が、ある程度(30秒くらい)モナリザを眺めたよね、自撮りもしたね、という頃合いで、ベルトパーテーションをさっと開ける。最前列の人を開放して退場させるのだ。
一旦出された人は、振り返ってモナリザを眺めるのは厳禁である。そこは厳しくチェックされていた。
そしてまた、次に最前列になった人を絵に近づかせない為に、パーテーションを閉じる。彼らの業務はそれだけ。
だから待つ人々は、散々制御なしのぎゅうぎゅう詰めを味わい、正面で絵を見たければ、真ん中方面に割り込み移動するしかなく、それも自己の判断のみ。強引に攻めるか、横の方から観て満足するか。
待つ人々は、他人同士でも目と目を見交わし、
『酷いわよね?』
『他にやり方があるわよね?』
『もうちょっとの我慢よ!』
と語っていた。私も二、三人の人と目で会話した。

そんな思いをしながらも我慢を強いられる空間と時間は、絵が好きで、ダ•ヴィンチに、モナリザに、敬意を持つそれぞれの人格によってギリ安全に保たれている。

これは美術館側が対処すべき問題。絵画を愛する入場者に、ここまで我慢をさせないでほしいものだ。
私は主張したかった。廊下もあるし、部屋の中だって区切れるのだから、入り口にベルトパーテーションを設置せよ!と。
ディズニーランドや空港のように、順路を作り出せば良いではないか、と。
販売時に、チケットをあれだけ時間予約させる割には、その後が杜撰すぎる気がする。

観光客は時間が無限にあるわけではないから、モナリザに時間を取られて、他の美術品の鑑賞時間が減る。
そもそも展示をまともに観たら数週間必要と言われているルーブル。
紀元前7千年から1850年代までの作品が、3つの翼と5つの階に跨って収容されているのだ。
膨大な数の絵や彫刻の一端を眺めるだけでも大変、移動だけでも大変、その上に、モナリザ💦
それ以外にも、あちらこちらのトイレにも長い長い列が。レストラン、カフェも満席で列が。
休憩もままならない。
つまり、[モナリザ+トイレ+カフェ]を待つだけで軽く1時間半が失われる。お土産コーナーもごった返している。
これでルーブルを楽しんだと言えるだろうか💦
おまけに家族連れとなると、それぞれの観たいものが違うし、トイレのタイミングも違えば、疲れに差が出てくる。
帰る頃には不穏な空気が漂うというわけだ。あぁ書くだけで辛い。
我が家は犬連れなので、美術館や城、教会などは交代で入場する。今回夫は、
「もう何度も行ったからルーブルはいいや」と言い、オルセー美術館を観ることにしていた。
ルーブルの外に出て、こんなにホッとしたことはなかった。いつもはあと二、三日かけて観たい、と思うのに。

キャルーゼル橋を渡って、オルセー美術館近くのレストラン“Le Voltaire”の外テーブルに座り、橋の向こうのルーブルを眺める。まだまだ混雑していることだろう。
ルーブルの中の熱気の余韻のせいで、寒いとはいえ、店内の席に入る気にならないのだった。

眺めていると、右折してルーブル方面に橋を渡ろうとする車は、表示に一瞬迷い、大抵の車が一時停止してしまうので、信号が変わる度、後ろの車からクラクションを鳴らされっぱなしだ。 フランスの道は変則的な造りが多く、この場所にしても、右折専用路線があるのだが、交差点真ん中には縁石に囲まれたスペースがあり、ルーブル方面から橋を渡ってきて右折する道との仕切りのようになっている。そのせいもあり、一瞬わかりにくく信号表示も見づらい。 ドイツと違って、クラクションは当たり前のようにちょっとしたことでも鳴らされる。
以前来た時には車ではなかったから、街の中の道路事情に気づかなかったけれど、この道は何?と思うようないきなりの分岐があったりする。凱旋門前の広場を通る場合、広いから何とかなるものの、車線が書いてないので、実際どの車も適当に自分のルートを取る。もし接触でもした場合、どうやって判断するのか不明。
またスクーター🛵は我が物顔で走り回る。映画なので観る分には、道を自由に走り回り、小粋にすら見える。
しかし実際は、車の間を無理矢理すり抜けて、信号待ちをしている車の前に入ってくる。それでも、シンプルに右左折でも直進でもしてくれれば結構なのだが、青に変わって車が動き始めているというのに、右折の車と直進車の前を横切って(?!)左折したりするのだ。
「あの位置から左折?!」
こんな走り方をする乗り手が多いので、街中でクラクションが鳴り続けるし、パトカー🚔のサイレンも多い。
単純に危ない。
また街中の一般地下駐車場に入るには覚悟がいる。この狭い幅の穴蔵のような駐車場に、本当に入っていいのか一瞬迷う。
歴史のある街にありがちではあるけれど、パリは特に進入路が狭い。ルノーの小型車あたりなら丁度良いかもしれないけれど、ドイツ車の幅にはキツすぎる。フェンダーミラーから7〜8センチのところに壁がある。毎度泣きそうになる進入路。おまけに下りていったチケットの機械辺りでは、クランクに近いくらい曲がったりする‥‥
考えられないですよ、全く。
空いた場所を見つけて停車すると、ドアから出られない。小型車しか無理なスペース‥‥かといって停めるしかない。街中の駐車場は大抵こんなものだ。
幅が無理そうでも入るしかないとか、狭くても降りるしかないとか、何かと覚悟がいる街、パリ。
車で行ってはいるものの、歩いた方が便利だし、そんなに遠くないよね、という微妙な距離感の街なので、結局観光は歩き回ることとなる。
歩く距離も半端ない。この日の私の歩数は2万3,000歩を記録した。意識が遠のく歩数である。
いろいろ愚痴ってみました。パリ。
それでもまたパリへは行きたいと思う。今度は空いているルーブルで二、三日過ごしたい。
私には無理であるけれども、是非どなたか、数週間かけてルーブルの隅から隅まで鑑賞し尽くして、その感想を教えていただきたいものだと思う。

ダヴィット
▪️終わりに
と、こんなルーブル周辺で過ごした一日であったが、私はここ何年かどうしても見たかったものに近づくことができた。
前回フランスに来た折は、ルーブルが休館で叶わなかったし、その前に訪れた時には、うっかりその場所を通らず外に出てしまった。
本なり映画なりでダ・ヴィンチ・コードを知った人であれば、ラストの場面が印象深いと思う。
そう、逆さピラミッドをガラス天井の上から覗き込むあの場面だ。
実際のガラス天井部分は、公園の芝生の広場の生垣の中にあり、一般人は立ち入り禁止であるので、ラングドンの真似はできない。
夜中に生垣の中に忍び込んで逮捕されても困る。
しかし、内部では逆さピラミッドをじっくり眺めることはできる。

ダ・ヴィンチ・コードに興味を持たれて、もしこれから本や映画をご覧になる方の為に、詳細は明かさないけれども、ラングドンは謎解きの旅の終わりに、一つの結論を得る。脳裏に押し寄せる新たな考えに突き動かされ、夜中にそれを確かめる為にルーブルに向かうのだ。
聖杯は古のロスリンの下で待ち
匠の美しき芸術に囲まれて横たわり
その門を剣と杯が庇い護る
ついに星の輝く空のもとに眠る
イエス・キリストの血脈の物語。
全ての謎が解けたように見えつつも、その証明は永遠にできない。しかし、おそらくラングドンが辿り着き、解明した一つの答えは、真実に違いないとわかる場面である。
突如ラングドンは、見下ろしていたガラス天井の下のピラミッドに畏敬の念が湧き起こり、ひざまづく。
巻末で全ての答えがその一点に集約されるのだ。その意味を知り、初めて読んだとき、私は震えが起きたのだった。
逆さピラミッドの下にある、小さなピラミッド。物語を思い出すと、普通の気持ちでは見ていられなくなる。
真実はどうあれ、あの物語に描かれた結論を思いながら、しばらくその場で佇んだ。
おそらくこの物語を知らないであろう若者が小さいピラミッドに腰を下ろし、幼い女の子がよじ登ったりしている💦
ラングドンはガラス天井の上から見て、畏敬の念に打たれて、ひざまづいたのに!
まあ、単なるオブジェと思っていれば仕方がない。けれども私はその若者と少女に向かって、
『やめなさい💢』と怖いオーラを送っておいた。

ダン・ブラウンのこの物語は、史実と創作が巧みに絡み合い、あまりにもリアルな物語になっている。
実在したイエス・キリストと、神として崇拝されるイエス・キリスト、キリスト教をめぐる歴史と信仰、その解釈、実に興味深い。
冒頭に書いた、周囲の景色にそぐわない違和感だらけのガラスのピラミッドにしても、『もし本当に、この物語に描かれた目的の為に造られたとしたなら』とつい考えてしまう。
もし故ミッテラン大統領が秘密結社に属する一人として、守るべきものを守る為に、この建設を推し進めたとしたのなら、と。何故ピラミッドでなければいけなかったのか、と。
そうなると、私はもうピラミッドが違和感、などと口に出す事はできないだろう。
物語の内容を知らない人にとっては、ここまで私の書いてきた内容は何のことやら?と思われていることだろう。ネタバレしないように、努力した結果だとお許しいただきたい。
ご存知ない方は、是非本でも映画でも目にしていただきたい。
『エジプトのピラミッドとはそもそも何の為につくられたものであったのか?』
この答えも物語の謎を解く一つのヒントとなっている。
『ダ・ヴィンチ・コード』は創作である。
とはいえ、現実に生身の預言者イエス・キリストが存在したのであるから、あながち全てが創作とはいえないのではないか、という希望的観測の余韻を残し、読んだ者を更なる歴史の謎に誘う。
肯定も否定もできなくても、真実が解明することはなくても、歴史的事実の中から、そして芸術家が残したメッセージの中から想像を膨らませ、過去から現在に思いを馳せることはできる。
ルーブルはそんなロマンが潜んでいる場所なのだ。
後編に続く
