フランスへの旅🇫🇷2024 年末年始、体力勝負の八日間〜後編〜モン・サン=ミッシェル、そしてヴェルサイユ🌹
この記事は前編の続きです。
パリから356キロ、モン・サン=ミッシェルは遠い。パリからの観光客は一日がかりだ。4時間ほどかけてやって来て、2〜3時間ほど滞在して、帰って行く。
モン・サン=ミッシェルの人口は30〜40人程と言われている。その中には修道僧や警備の人も含まれる。
この数十人の人口の小島に、年間30万人もの観光客が訪れるのだ。
ノルマンディー地方のモンサンミッシェルは、四方を海で囲まれ、街全体が要塞のように、岩山の上にある珍しい街。
708年、司教オベールの夢に大天便ミカエルが現れ、山上に聖堂を建造するよう告げたという。
14世紀に始まったフランスとイギリスの戦争(百年戦争)では要塞として使われた修道院をはじめ、多くの教会が残されている。中世を代表する巡礼地であった海の修道院は、18世紀、フランス革命で閉鎖され、監獄として使われたこともあった。
修道院の内部は、狭い立地条件をたくみに活かし、一般巡礼者を迎え入れる低層階、いくつもの礼拝堂や、貴賓客や騎士をもてなす部屋を持つ中層階、修道士が生活する場の最上階と3層に分かれている。特に13世紀に建てられた北面の建物は“驚異”と呼ばれ、ゴシック様式の代表作と呼ばれる。
HIS 首都国版より
聖オベール司教は、大天子ミカエルが「この岩
山に聖堂を建てよ」とお告げをする夢を見た。司
教は、これを悪魔のいたずらだと思い信じなかった。
司教は、再度同じ夢を見たが信じなかった。
大天使ミカエルはしびれを切らし、オベール司教
の額に指を触れて強く命じた。司教は、脳天に強
い稲妻が走る夢を見たという。オベールは、朝自
分の頭に手を置くと、額に穴が開いているのに気
づき大変驚いた。三度の夢を見た司教は、大天使
ミカエルのお告げは本物であると信じて、この岩
山の島に礼拝堂を作ったといわれている。
かつては小島のすぐ近くまで車で乗り入れていた時代もあったが、周辺の環境保護の為整備され、近くの街からシャトルバスが出ていて、海に囲まれた陸橋のみが小島への道だ。
駐車場から無料で30分に一本発着している。これだけの本数が出ていながらバスは無料🚌、太っ腹。
それにも関わらず、歩いてモン・サン=ミッシェルに向かう人が多いのには驚かされる。歩けば40分ほどもかかる。また周囲に何もないので、吹きっ晒しの風の冷たい中、ただひたすら歩くのみだ。
しかし、モン・サン=ミッシェルは遠くから見た方が遥かに美しい。
一歩一歩近づく喜びは何にも変え難い価値があるというのも理解できる。キリスト教徒は、おそらく巡礼のように感じるのではないだろうか。
モン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel) は、フランス西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島とその上にそびえる修道院を指す。

最初に小島が見えた時の感動は大きい。周囲は海だけで、何もないことも奇跡のようだ。
ほどなく広い駐車場に到着する。一泊分の荷物を持ち、犬たちはソフトケースに入れ(このバスに乗車する決まり)、バス乗り場に向かう。

バスは近くの街を通り、モン・サン=ミッシェルに向かう。途中の街にはホテルが多い。我々は島内に宿泊するが、対岸のホテルに宿泊するのも、モン・サン=ミッシェルが一望できて、良いと思う。この小島は離れて見る方が美しい。




ふわふわのオムレツで有名な島に入ってすぐの左側にある。殆どの人が覗き込んでいた。

元祖はプラールおばさんという人が作り始めたオムレツだという。
キリスト教の巡礼者が、遠い道のりの果て、死をも覚悟して辿り着いたこのモン・サン=ミッシェルで、おばさんの提供するオムレツを食べたとされる。





待っている間に、壁を眺めるととても楽しい。
この店には、昭和天皇陛下やイギリスのサッチャー元首相をはじめとする各国の大統領、ヘミングウェイ、パブロ・ピカソ、ココ・シャネル、マリリン・モンロー、イブサンローランなどの著名人が数多く訪れている。
なお、ホテル階段の壁にも多数掲げられているので、ゆっくり眺めてみるのも楽しいと思う。
待望のオムレツ。細いフランスパンが添えられていた。ふわふわ。熱が完全に通されていない、溢れた卵液がお皿に流れ出している。
気楽に家で焼くオムレツとはまるで別の味。シンプルではあるものの、上にかけられたソースと共に味わうと、完全に繊細な味付けのフランス料理だ。
軽い口当たりのオムレツは口に含んだ瞬間溶けていく。初めからなかったかのように消える口当たりは独特。
泡立てるタイプのオムレツは以前作った事があるが、かなり手間がかかる。ましてやかまどで焼いた独特の香りと味わい、記憶に残る一皿である。
* 口コミでこのオムレツが低い評価を付けられているのを見たことがあるが、私は満足だった。
ふわふわのオムレツを食べ慣れていない人の、そしてオムレツに対しての値段を考えた場合高すぎると考えての評価ではないかと考える。
この小島には食材店はない。材料の輸送も大変であるのだし、ヨーロッパの価格に慣れていれば、ある意味当然の価格なのだ。

単品で36€(当日レートで約5880円)、モン・サン=ミッシェルの思い出価格ということで。
料理を注文すると、細いフランスパンが添えられる。他にサラダやワイン🍷を注文し、二人分で価格はそれなりの観光地価格となって、夫が渋い顔をしたのだった。

両側に何段にもフライパン🍳。下の写真のボールの中の泡立てられた卵🥚が次々焼かれる。
卵が焼ける良い香りが漂って来る。




モン・サン=ミッシェルの島内には何軒かホテルがあり、このレストランの上もホテルになっている。今夜はここに宿泊。フロントだけが二、三軒先に行った場所にある。部屋数はかなりあるようだ。次々観光客が訪れる。




部屋は数々のスターの写真が飾られた螺旋階段を登った3階だった。部屋の窓から修道院と海が眺められる。






観光客が帰った後の街は静まりかえる。島内に宿泊する者だけが味わえる静寂だ。
翌朝、夫がまず先に見学。
「階段が結構大変だからね💦」とのこと。
交代で修道院へ向かう。観光客が到着する前に行って来ないと混むから、と計画して早目の出発だ。









ホテルから近くではあるものの、ここまで来るまでにはかなり登って来たのがわかる。






そろそろ限界を感じるが、杖をついた足の悪い老人がゆっくりゆっくり上がり続けるのを眺めて奮起する。
ここまで上るのも相当大変だった筈。
敬虔なキリスト教徒なのだと思う。


肩で息をしている私に、取り敢えず休めと係員がベンチを勧めてくれた。想像を超えて、とんでもなく大変な道のり。




























下の街に降りた頃から、観光客続々とやって来る。
ただでさえ大変な道のり、混んでいる中では更に大変になる。早めに行ってよかった。
ホテルのフロントで夫と待ち合わせしていた。フロント前のソファには、修道院から帰って来て、精魂尽き果てた人が何人か倒れるようにもたれかかっていた。
実際、階段の上り下りだけでも具合が悪くなる上に、内部が広い。
この小島の岩山に何かを建設しようと思うだけでも大変なことだが、頂上部分に建てられた修道院は岩山の形を巧みに利用して階段を多用し、見事な建築となっている。
観光で一回上るだけでも体力を奪われるというのに、あそこに修道院を建築した人々がいるのだ、と考えるだけでも具合が悪くなる。想像を絶する作業であったはずだ。
ここには修道女の方が3人いると資料で読んだ。彼女らは近隣の街からの通いだという。
通う?!と考えただけでもクラクラする修行のような見学なのだった。
荷物を持ってバス乗り場に向かう。これから駐車場に戻り、サン・マロの沿岸に行って名産の牡蠣を食べる予定で、それからヴェルサイユに向かう。
もう少しゆっくりしてから出発したかったけれども、道のりは長い。
帰りのバスの中でも、まだ私の動悸はバクバク続いていた。生きて帰って来られて良かった‥


モン・サン=ミッシェルからヴェルサイユまでは350キロ。またこの距離か‥‥このペースの移動が続き、そろそろバテ気味であったが、行った以上は帰らなくてはならない。
モン・サン=ミッシェルは遠い。そしてその距離を往復してでも行く価値がある。
修道院は素晴らしく、そして倒れそうなほど階段で疲れる。
これもまた記憶に残る。
モン・サン=ミッシェルからの帰りに、サン・マロの海沿いの街に寄った。その話はまたこぼれ話で。
✨🦪✨🍷✨
つくづくフランスの食べ物は美味しいと思いながらヴェルサイユに向かったのだった。

なおオムレツの店の向かいで販売されているお土産物として有名なこのサブレ。プラールおばさん考案のレシピが受け継がれているという。
大変美味である。日本でも販売されているので、興味のある方は是非。
モン・サン=ミッシェル周辺には何軒かビスケットの店があり、そちらも大変美味しい品が揃っている。
✨🌊✨🦪✨🛕✨🍪✨🥚✨🚌✨🍷✨
▪️ヴェルサイユ宮殿
夫が予約したホテルから、ヴェルサイユ宮殿は歩いて5分ほど。ここも犬は入れない為、まず私が一人で見学に向かう。
燦然と黄金に輝く門。周辺に人が多すぎて、黄金に輝く門を撮った写真が、何がなんだかわからない風景に。
ヴェルサイユ内で販売している本より写真をお借りした。

『マリー=アントワネットのヴェルサイユ』より
セシル・ベルリー著作



門から宮殿前の広場に入ると、正面に入場口AとBが見える。長い列はそれぞれ200メートルほど。この列は既にチケットを予約した人たちだ。
私のチケットはミュージアムチケットとして予約したもので、それで当日券を発行してもらえる権利を得ているわけだ。広場に何人か係員がいて、窓口の場所を聞いても、
「当日券は既にsold outだ」としか答えない。
「だからこれはミュージアムチケットなので、チケット発行が必要で!」と説明しても同じ返事しか返って来ない。
既視感がある。あ、ルーブルもそうだった‥と思い出す。
入場口近くにいるスタッフだからといって、様々な予約形態を把握しているわけではない。というか全然知らない人が多い。
スマホのQRコードのタイプのチケットくらいにしか反応してくれないのだ。
入場口近く、列の後方、確認の為に係員を探すにしても、広いのでいちいち200〜300mの移動が必要で歩く、歩く。
と、ふとA列の後方を見ると、何人かの観光客が一人の係員に質問をしている様子が。ちゃんと答えてくれているのが見て取れる。
『真っ当な人発見!✨』
すぐ教えてくれた。人が大勢いて見えなかったが、A列の向こう側、左側の建物に地味なドアがある。チケット売り場の気配はないが、そこだと教えられて近づくと、[当日券は売り切れました]の小さな張り紙があった。

なおこの写真は帰りがけに『なんて地味‥』と思い、わざわざ撮影したもの↑
朝は周辺の人々で、この場所自体が見えず。ここは他にもう一つ階段の入り口がある、単なる事務棟にしか見えないのだった。
今日、当日券は既にsold outだとは知らずにやってくる人がいるだろうなぁ、気の毒に、と思いつつ向かうと、中から係員が出てきた。ミュージアムチケットを見せると、「どうぞ、マダム」とスッとドアを開けてくれる。
『真っ当な人、二人目!✨✨』





この人のように、誰に対してもきちんと対応ができ、一通りのことを理解し、当たり前のように教えてくれる係員が本当に稀なのだ。この人一人でフランスのイメージを変えたといっても過言ではない。
中の列がなかなか進まず、手持ち無沙汰だったこともあって、まるで絶滅危惧種を見つけたかのように、思わずこの人の案内の様子を撮影してしまった。何枚も😅
それまでにいかに苦労があったかお察しいただきたい。単純に窓口でチケットが購入できる観光施設が夢のように思える。
チケット販売会社(説明雑駁、アプリ画面の遷移も難解。ミュージアムチケットは手渡しだった為、ルーブル近くの事務所まで行った、その距離も微妙に遠い)にしても‥ルーブル前庭でも×3‥‥ルーブル入り口でも‥ここヴェルサイユでも‥全くあちらこちらで‥‥ギィ💢
列が前に移動した時、近距離で撮影した一番下のこの一枚、なかなかハンサムな方で(^◇^;)
チケット売り場には30人ほどが並んでいた。ここは確実に宮殿に入ることのできる人たちの集まり。ホッとする。
列の前に中国人の家族が並んでいた。彼らは予約の内容がプリントアウトされたものを持っている。
頃合いを見て英語で話しかけた。
「この場所すぐにわかりましたか?」と訊くと、
「係員が、当日券はないとしか答えないから頭にきちゃった!」
「みんなそうなのですねぇ‥」(遠い目)
彼らは四日間で、数カ所の美術館を観て回れる形式のの予約券を持っていた。
「当日券が最初からsold outだなんて!」
「見学も一苦労よね。絶対予約しないと無理だから」
「大変な時代になりましたよね。」
などとお喋りをする。
窓口でチケットを受け取って外に出る。チケットを手にして、やっとあの長い列に並ぶ権利を得たのだ。
列の後方に向かって歩いていると、困っている様子の日本人家族を発見する。ああ出会ってしまった💦
私がこの人たちをがっかりさせる役目を負うこととなる。しかし、教えてあげるしかない。
話しかけると、やはり「チケット売り場はどこですか?」と聞かれた。
「この長い列は、予約してチケットを持っている人たちです。そして今日の当日券はすでにsold outです。」
大変驚かれた。
「入れないってことですか?!😱💦」
以前、ヴェルサイユに来たことのある人であれば、当日券がないことなど信じられないのは理解できる。私のチケットもかなり前に予約したものであることを説明する。
こうしたことは団体旅行であればあり得ない。個人旅行の経験がある人だからこそ落ち入りやすいミスだ。
他の国でも、人気のある場所はほぼ予約のみで、余程の閑散期でなければ、当日券は無理なのだと説明する。
ヴェルサイユの建物を面前にして諦めなければいけないご家族、お嬢さんたちも楽しみにして来ただろうに。
日程の余裕があるのなら、ネットでヴェルサイユだけのツァーを探すとか、高額のプレミアムチケットであればまだ手配できる旅行会社があるかも、と考えられる方法はいくつか伝えたが、その後どうされたことか。
長い列は進み、やっと入り口に辿り着く。この時点で、ヴェルサイユ到着から既に1時間半が経過している‥
でも入れるだけマシなのだ、と自分に言い聞かせる。
入り口の係の人はチケットの他に、元々のミュージアムチケットの提示も求めてきた。それを確認した後、「チケットのバーコードをスキャンしたが読み込めない」と言いだした。確かにエラー音が聞こえる。
もううんざり😮💨
「たった今、そこのチケット売り場で発行されたのですよ!」と話すと、まぁそりゃそうだ、と肩をすくめ、
「どうぞ、マダム」と促される。
ヴェルサイユに限らず、何かとこうしたエラーが起きると、係員が単にNon!と言う可能性がある。
観光客は強く主張をしないと、係員が知らなかったというだけで、下手をすれば、支払い済みであるというのに、拒否される可能性もあるのだ。
自己の権利を主張する為、ある程度の語学力も必要だし、強い態度も必要になる。意志を通すための顔つきも必要だ。知らない国だからといって、理不尽なことにビクビクしてはいけない。
私はあちらこちらの城に行くと、いつもバルコニーから遥か先まで続く庭園を眺め、
「この地を統治する!」と騒いでいるが、そういう気分と態度でやり過ごす性格も時には必要なのだ。
(夫と犬たちはいつも庭園から『またやってる‥』という顔で私を見ている)
そういうわけで無事ヴェルサイユに入場する。ルーブルと同じような混み具合で、絢爛豪華な宮殿を楽しむ人々でごった返している。


私は『ベルサイユのばら』を連載中に読んだ世代である。
「とうとうアンドレがオスカルに告白した!」と休み時間に友人たちと大騒ぎしたものだった。


元々幼い頃からヨーロッパの歴史に憧れ、お城に憧れ、お姫様に憧れ、世界史や建築文化や服飾文化に興味を持った。フランス革命やマリー・アントワネット関連本など、どれだけ読んだだろうか。

エリザベット・ヴィジェ=ルブラン
しばらく前にヴェルサイユに来た時は、朝から夕方まで歩き回り、庭園の隅の村里造りの家まで見学した。
絢爛豪華な宮殿正殿やプチトリアノンの装飾に目を奪われ、鏡の間や礼拝堂、王妃の寝室の美しさに感動したものだ。



産まれた子供が死産した場合、他の子供とのすり替えを避ける為、王族と宮廷人の一部の前で出産は公開された。集まった人の熱気の酷さで王妃は失神したこともあるという。


しかし今回は、この美しい宮殿の中を歩いても、昔とは違ってオスカルやマリー・アントワネットを思い浮かべてうっとりとするわけではなく、ルーブルでふと考えたように、ルイ14世がそもそもここに遷宮したのが不幸の始まりである、ということがずっと頭の隅にある。
ルイ14世の絶対王政は堅固なもので、音楽やバレエや芸術を愛した王は美意識が高く、この豪華な宮殿と自然を凌駕するような広大な庭園のヴェルサイユは王の権威の象徴のようなものだっただろう。


高いヒールと白タイツ。王の美意識の高さの表れ
次の王ルイ15世は自由思想であり、好色という評判そのままの堕落したこの王と、側室デュバリー夫人とのエピソードは有名である。また王が天然痘で亡くなった時は、フランス国民が安堵したという話もまた、いかにもな話だ。 まだ若くして王となったルイ16世は働き者で、地味で控えめだったといわれる。王妃となったばかりの頃のマリー・アントワネットは何ら王や政府に影響力を持たなかった。しかし世継ぎである王太子ルイ=ジョセフの誕生後、実権を持つ王妃となってしまった。

作者不詳


スブルグとその子供たち』
エリザベット・ヴィジェ=ルブラン
その権力と嗜好が徐々に王や政治にまで影響を及ぼすようになる。王妃の度を過ぎた贅沢と嗜好、宮廷から逃れて趣味や賭け事にのめり込む日々。

グアッシュ
ルイ16世がマリー・アントワネットの享楽を抑えることができなかったことが引き金となって、フランス革命は起こり、王家は悲劇的な最期を迎える。
市民のバスチーユ占拠からヴェルサイユ襲撃へと君主政治は終わりを迎えるまでの3ヶ月間が描かれた場面は、『ベルサイユのばら』の中でも緊張感みなぎっていたことを思い出す。
パリ市民がヴェルサイユに押しかけ、穀物を要求し、王一家はパリに連行される。
ヴェルサイユに革命が及んで始めて、マリー=アントワネットは自分がいかに人望にかけ、嫌悪され、国の財政的破滅の責任者と見なされているかを知るのだ。
幼い頃に本で読み、思い描いた中世の城への憧れは私の中に残っているのだけれど、もう絢爛豪華なこうした宮殿に憧れる時代は過ぎ去ってしまった。
『ベルサイユのばら』で美化されて描かれた悲劇の王妃。政略結婚で幼くしてフランスに嫁いだマリー・アントワネットの葛藤とか、常に監視され朝から晩まで続く大切な習わしである儀礼、王妃となってからも続く苦悩、などに共感するような気持ちは既にない。
権力を持った王妃であれば、王妃としての務めを果たすのが筋ではないかと単純に思ってしまうのだ。










国の予算に守られながら、贅沢三昧に暮らすのは当たり前で、そのくせ自由がないと自分の権利を主張する。
その立場にいるのであれば、そしてその恵まれた立場を享受するのであれば、その責務を負い生きるのが筋であろうというものだ。
自由を求めるのは、全ての権利を放棄した上で、言うべきことではないかと思う。

王太子を産み権威を持ったマリー・アントワネットが、ルイ16世を説き伏せて自分の宮殿とした。当時、他の国の出身者が領地を得るのは認められていなかった為、宮廷人から非難を浴びた。

母マリア・テレジアからも忠告された派手な衣裳、それにかけられた莫大な費用、正殿の改装、家具や工芸品、プチトリアノンでの娯楽の生活、社交の為の小劇場の建設、田舎暮らしの為の村里造り。

セシル・ベルリー著

個人資産では賄いきれない宝飾品の購入、賭け事に没頭して底知れない借金を背負う王妃、
国家は財政的破綻に瀕し、王は独裁絶対権力に異議を唱えられ、やがて革命は起こり、王族はヴェルサイユから馬車一台に押し込められ、パリへ。
考えなしの愚かしい無駄遣い、市民の生活に目を向けられない無知、当然の流れではないか。ただただ虚しくなる。
マリー・アントワネットが育ったウィーン宮廷、ハプスブルク家が簡素な生活を送っていたのは有名な話で、ゲーテが[中産階級]と呼んだほどだったという。
ウィーン宮廷で、ある程度自由でのびのび暮らせたということも、フランス王室の君主制度におけるしきたり、儀礼への極端な反発に繋がったのだろう。
けれども母マリア・テレジアや兄ヨーゼフ2世のような政治的に人民を掌握する能力に長けた身内を持ちながら、そこに何ら関心を寄せなかったのは残念すぎる。
彼らから極端に贅沢な生活を嗜められ、政治への関心も能力もないことを指摘されていた若い時期に、マリー・アントワネットは気づき、学ばなければならなかったのだ。
『ベルサイユのばら』は名作であるけれども、マリー・アントワネットに関して、その享楽的な生き方がやむを得なかったものとして美化されている部分も多く、断頭台に散る悲劇の王妃として、誇りを持って美しく散った薔薇のように描かれている。
二日前にルーブルで感じたこと、王が遷宮せずにルーブル宮殿で統治し続けたならば、フランスの世の中はどうなっていただろうか、という私個人の思いは更に胸の中で渦巻く。
華麗なヴェルサイユ宮殿と地平線まで続くかのような庭園は、歴史を知らなければ、綺麗すぎる、豪華すぎる、壮大すぎる、とただそんな気分で楽しめるだろう。




贅沢と娯楽、喧騒と享楽に満ち、市民に憎悪されたヴェルサイユは、後の世でこうして多くの観光客を集め、国を潤す宝となっている。

