「違和感」を楽しむ実写合成の表現について
映像についての雑記です。
前にも映像について書きました。その道の人間ではないので専門的な内容ではないです。ただのメモだと思ってください。
実写合成のあれこれ

実写合成と言えば、グリーンバックやブルーバックで役者を撮影し、後から背景を合成する、という方法が最も一般的でよく知られているものかと思います。CGを多用する映画では特にこの方法が使われます。むしろ昨今のSFや時代劇で大迫力な絵作りをする上ではセットを作って撮影するよりも想像通りの映像が撮りやすいのかもしれません。CGの質も高く、もう実写なのかCGなのかパッと見では分かりません。
最近では「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞で視覚効果賞を受賞したのは記憶に新しく、あの作品もメイキングを見るとグリーンバックで人物を撮影し、昭和の日本の街並みはほぼCGで作られていることが分かります。しかし映画を見ると本当に当時の建物を建てて撮影したかのようなリアルで自然な質感があります。本来は全く別で撮影された建物・背景と人間が違和感なく合致している。実写合成の凄みを感じます。

この方法における実写合成は「いかに背景と自然に合成しているか」が重要視されています。グリーンバックにいる人物も、合成する背景も、それが実際にその場で本当に撮影したかのような質感が求められます。そのためにはカラーグレーディングやマッチムーブなど、視聴者がなんとなく感じる「違和感」を徹底的に排除するための多方面の技術が必要です。
そんななかで、逆に「違和感」を残すこと、排除しないことで視聴者に強く印象を与えるような作品もあります。
映画とはアプローチの異なる実写合成を用いることで、違和感を作品の肝にするような、そんな作品も数多くあります。
「異物感」のある自然な光景
今回のnoteは立て続けに素晴らしい実写合成映像を見てしまったことで衝動的に書いているようなもんです。それが上記の二つです。
いずれの映像も、撮影した実写の風景に手書きのアニメーションを合成させています。色調やノイズをのせていたり、ライトラップ(背景の光が被写体のフチに映りこむ表現)があったり、影が投影されていたり、合成として背景になじませる処理をしていることはよく分かります。
ただ、どうしても違和感がある。
二次元キャラクターの造形が、どうしても現実と合致しない。どれだけ背景になじませる処理をしても、実際に存在するものとして脳が認識できない。
この強烈な違和感。現実と非現実の両方に足をかけて、どちらにも属さない表現方法。映画とは異なる合成のアプローチです。
この表現って実はすごく面白いのではって思いました。
最近はアニメやゲームのコラボなどで、店頭にポップや等身大パネルが置かれることも多くなりました。
実際に現実にパネルが置いてあるのだから、合成ではないし、それ自体は自然なことです。ただ、キャラクターが現実の人間でない以上、その部分だけが二次元になっている。たとえそれが等身大フィギュアになったとしても、やはりそれを現実の一部分として認識していいのか、それとも二次元である以上存在しないものと考えるべきなのか。
二次元と三次元の境界があいまいになる異物感・不安定感が、逆にその存在感を強く主張させています。

アニメやゲームのキャラクターがより現実に近い形で存在していることを不気味だと認識してしまいます。先ほどの映画における実写のように、より現実と一致している方が安心できます。
二次元なのか三次元なのかあいまいになることで強い違和感を感じ、そのものを異物と考えてしまう。だからこそ目立つ。
この違和感を利用することで新しい表現手法へと昇華することもできるわけです。


一般的な映画における実写合成が「違和感を徹底的に排除し、現実に合致したシームレスさを追求するアプローチ」であるならば、これらの作品は「あえて違和感を残し、異質な存在感を表現として利用するアプローチ」であると言えると思います。動く等身大パネルが置いてある風景を撮影したかのような不思議な感覚。どちらが良い悪いではなく、アプローチの違いによって合成という手段にも豊かな表現の幅が生じているわけです。

滑らかに動くイラストは実写映像との違和感を感じると同時に非実在性の安心感もあり不思議な雰囲気を出してくれる

実際にステッカーを貼って撮影(したようにも見える)コマ撮り的な手法。現実にありつつ非現実を切り取っていて強烈な印象が残る
ドット絵と実写表現
自分は一時期狂ったようにゆめにっきのキャラクターを実写素材と合成させる映像シリーズを作っていました。
これらを作っているときにも思っていましたが、ドット絵は実写との相性がすこぶる悪い。ドット絵というコンピュータ上の制約で表現された絵は現実には存在しえないものです。なのでどれだけ色調や動きや質感を実写映像に寄せたところで、実際には存在しないという異物感は消えることはありません。でも、それだからこそ面白い表現であるとも思います。
映画的アプローチとしては現実との相性は最悪だけど、実写合成というのは必ずしも現実と一致させる必要はない。最近はそっちの表現も面白いと感じるようになりました。
グリーンバックで撮影した人間を合成すると、わずかな動きのずれや質感の違いで違和感を感じやすいですが、そもそもドット絵のような現実にはありえない存在が合成されていると、その不自然さも含めて状況を受け入れざるを得ない。ここに違和感を表現として楽しむ余地が生まれるのだと思います。
本来なら避けるべき失敗例が、別の表現方法として意味を持ってくる。映像に限らず様々な創作でも応用が出来そうな考え方な気がします。

合成の前面に遮蔽物を置くと立体感が出て合成がしっくりくる気がする
