「長くは生きられない」と言われた娘が、就職するまでの25年。私がこの家を守り抜くと決めた原点
このnoteでまともに記事を書き出して2ヶ月。
苦しみながらnoteや副業で、このバリアフリーの家を守り抜くと決めています。
なぜ私がこんなに必死なのか?
何の為にこんなにあがいているのか?
昨日の記事で少しだけ次女の生まれたときの
情景を書きました。NICUと言う言葉を使って。
少しだけしか触れてきませんでした。
娘の障害のことは。
引かれるのが怖かったから
昨日の記事のあと、教えていただきました。
あなたのその経験で救われる人がいる、と。
普通では絶対に経験しない24年。
今の長女と次女の間にいた長男のことも含めると26年。
一度でいいから普通の親になってあげたかった。
そんなこと妻や子供たちの前では死んでも言えません。口に出したことも一度もありません。
今日初めて文字にしました。
1回目は妻の友人からの連絡でした。
お腹の中の赤ちゃんが亡くなってるみたい。
家に帰ると、妻がお腹を抱えて薄暗くなった部屋で泣いていました。その横でまだ幼ない長女が1人で遊んでいたのを覚えています。
2回目は一緒に検診に行って医師から結果を聞いた時。その時医師から言われた、「生まれて来れるかわかりません。生まれたとしても長くは無いでしょう」そこから出産まで今は記憶がありません。妻と次女の入院中に、長女と2人で行ったスーパーマーケットだけ覚えています。
私は立派な父親では無いし、
立派な旦那でも無い。
いない方が良いと思ったこともある。
それでも家族を守り抜かないといけない。
私より家族の方が辛いに決まってる。
管理栄養士になった長女は
もうすぐ家を出て一人暮らし。
次女は毎日仕事に車椅子で
満員電車に乗って通勤しています。
おじさんから冷たい言葉を浴びながら。
どんなに辛かろうが苦しかろうが
給料が減ろうが会社で泥水をすすろうが
この場所を守り抜く。
あの日の私に、25年後もまだ大丈夫だと
伝えてあげたいから。
少しずつ書いていきます
追伸 続きを書きました。お読みいただけると嬉しく思います。
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