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漱石「こころ」考察66 Kは他殺?蒲団を敷いた

夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年)連載。

私はこの「こころ」に書かれた「K」の自殺について、「先生による他殺」と考えている。
もちろんただの思い付きではなく、論拠はある。
年末なのでそれを再確認してみます。



まず、Kの死亡当夜から。
箇条書きで挙げていきます。

1、「下 四十八」前段

 私が進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。(略)屹っとKの室を覗きました。洋燈(ランプ)が暗く点っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団は跳返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突ッ伏しているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの身体は些っとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈(ランプ)の光で見廻してみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立に立ち竦みました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです。

(「下 先生と遺書」四十八)

1(1)いきなり死亡を確信

・「おい」「おいどうしたのか」の声掛けに反応がないことと、暗いランプの光でKが伏せていたのを見ただけで、先生はKの死去を完全に確信している。
まだ息があるか既に死んだのかを、確かめる行動は全くない。心理面でもその判断を迷っている様子も、一切まったくない。

1(2)「頭痛が痛い」構文

・「Kは自殺して死んでしまったのです」これは、「頭痛が痛いのです」構文である。作者:漱石があえて「先生」に不正確な日本語を書かせ、「先生は『自殺』を無理に強調しようとしている」と示したのでは。

1(3)押入れから蒲団2つ出して、敷いて、自殺?

・「床も敷いて」「掛蒲団は跳返されたように」と。
Kは自殺するにあたって、(敷布団)も、掛け布団も、それぞれ押入れからわざわざ出して、敷いて、それから自殺したと?
(これはいま気付いたのだが)しかも蒲団について、未亡人かお嬢さんか下女が敷いてくれるのではなく、K自身で押入れから出して敷いている事が、少し前に明確に示されていた。

何をしているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃に、押入れをがらりと開けて、床を延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時かとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈(ランプ)をふっと吹き消す音がして、家中が真暗なうちに、しんと静まりました。

(「下 先生と遺書」三十八)


2、「下 四十八」後段

 私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けました。それは予期通り私の名宛になっていました。私は夢中で封を切りました。(略)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。(略)しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
 私は顫る手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆の眼に着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖に迸っている血潮を始めて見たのです

(「下 先生と遺書」四十八)

2(1)医者を呼ばない・呼ぶか迷ってもいない

・上でも書いたが「先生」は何故かKの死を完全に確信し切っている。息や脈があるかを確かめようともせず、医者や人を呼ぼうとも全くしてない。内心でもそれらをしようかどうか逡巡した様子も、全くない。
いわば悠長に「手紙」を読んでいる。

2(2)「遺書」ではなく、「手紙」と

・通常、Kの「遺書」と記すであろうものを、「手紙」と、三度に渡り表記している。ちなみにこの後の章「五十一」でもやはりKの遺書を「手紙」と先生は表記している。
「遺書」ではなく、「手紙」ということは、Kは下宿ではなく、離れた場所で自殺をし、遺書は決行直前に投函する予定で書いていたのではないか。それを先生が、、、
またそもそも「こころ」の章題からして、「下 先生と遺書」である。題には「遺書」とあるのに、作中では「手紙」と違う表記にすることにより、よく読んだ人間にはその差異に注目できるように、作者:夏目漱石がしたのではないか。
同様に、そもそもこの「下 先生と遺書」は、東京にいる「先生」が、田舎に帰省中の「私」に宛てた、長い長い手紙である。「私」の実家がどこであるかの明記はないが、少なくとも急な帰省には金を借りなければならないほどの、距離があることが前半で示されている(「上 先生と私」二十一)。つまり「手紙」であれば、かなり距離が離れたところから出すものである、そう示されていたのではないか。

 するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数と時間を省くため、私は暇乞いかたがた先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。

(「上 先生と私」二十一)

2(3)Kの下手な字を偽造?

・「墨の余りで書き添えた」この表現により毛筆であることが、あえて示されている。
ちなみにKは「字の拙い(まずい)」=下手であると示されている(下・三十)。
そしてこの長い長い「手紙」である「下 先生と遺書」は、Kの手紙とは対照的に、「ペン」「インキ」で書かれたものであることが、何度も示されている。

これは自信がない推測だが、「最後に墨の余りで書き添えた」「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」とは、先生が、Kの下手な字をなんとか真似て(さすがに達筆だと真似はできないだろう)、書き加えたのではないか。Kの遺書がまだ途中で、加筆しないと文章が完結していなかったのでは。

2(4)「はじめて」血を見た?

・「襖に迸っている血潮を始めて見たのです
始めて」が不必要・不自然な記載である。「血潮を見つけた・血潮に気が付いたのです」で意味としては十二分だ。
あたかも実は「はじめて」ではなく、元々血がほとばしったことを知っており、その嘘をごまかした際の表現のようだ。
また、仮に真にそれまで血痕に気付いていなかったとすれば、先生はKの死亡手段を、一体なんだと思っていたのか。
既に書いたように先生はKの死去を完全に確信している。それなのに死亡手段・死因はまったくわかっていなかったのか。それはあり得ない。

つまり、Kは先生が殺した。

「下 四十八」の振り返りだけでけっこう書いてしまった。
また続きも書いていきます。

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