漱石「こころ」考察58 静は先生が殺人犯と知っている

夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年)連載。

私は「こころ」に出てくるKは、自殺ではなく、「先生」による他殺だと確信し、あれこれ書いている。


今回もその論拠をひとつ。



1、私がいないと先生は不幸!


1(1)夫は不幸になる「だけ」ですわ


「先生」と静との夫婦について、いかにも気難しい厭世家じみた「先生」に対し、静(お嬢さん)は、そんな夫に悩みながらもずっと一緒にいる、けなげな妻。そんな印象がなんとなくある。

しかしこの奥さま、なかなかの自信家、いま風に言えばかなりの自己評価の高さを見せつける発言をしている。
しかも夫の留守中に、若い男を相手にだ(まあ下女はいるが)。


近所に泥棒が多発してる中、先生が夜に友人らと食事ということで、先生から「私」が留守番を頼まれた夜、「私」と、静との会話

「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」
「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚になるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」

(「上 先生と私」十七)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)


どうだろう。静は「(夫は)私を離れれば不幸になるだけ」とまで、言い切っている。

これに続く台詞のほうはまだわかる。「私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしている」・「私ほど先生を幸福にできるものはない」と。まあこれもなかなかの自信ではあるが、配偶者なら言ってもいいだろう。

だが最初の台詞は少し違う。
「私こそが夫を一番幸せにできる女です」これだけではないのだ。
そこを超えている。
「私と別れたら、夫は不幸になるだけ」とまで、言い切っている。

しかも単に「不幸になる」のみではない。不幸になる「だけ」と。



いきなり私個人の話をするが、私も妻を、幸せにしている自負はある。また私以上に妻を幸せにできる男もこの世にいないと思っている。

しかし、「俺がいないと妻は不幸になる」とまでは、とても言えない。
ましてや、「俺がいないと妻は不幸になるだけ」などとは、とても言えない。

俺は静に負けた(なにが)。



1(2)先生側は「不幸」とまでは言ってない


おそらくはこの静と対比して、先生が夫婦の幸福云々を、「私」に語る場面がある。

それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩らした。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」

(「上 先生と私」十)

これはこれで大げさな台詞だが、静の台詞と対比すると、やはり静のほうが強烈だ。

夫「私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはず
妻「先生は私を離れれば 不 幸 に な る だ け 



1(3)「不幸になるだけ」の根拠


では一体何故、静は、「私と離れたら夫は不幸になる だ け」とまで断言できるのか。

答え
:先生は殺人犯人であり、一人ではその罪悪感に耐えられない。そのことを静は知っているから


私は何度か書いている。
「こころ」表面上の展開だけみたら、静はなにも知らないように書かれている。Kも静を好きだったことや、それを先生が知りながらKに黙って求婚したことについて。

しかし、その程度のことは静も、その母も当然推察できるはずだ。
静の立場から見たら以下の経緯である。

・ 下宿に若い男達2人、どちらとも仲良くしてた
 → 片方が私の母に求婚してきて、了承した
 → しかしその事を片方はもう片方に対し、何故か秘密にしていた
 → もう片方は私の母の口から、片方と私との婚約を知らされた
 → その数日後、もう片方は下宿で自殺した

いくらなんでもこの流れで、「自殺の原因は私たちの婚約だな。先生はなにかやましいことがあって婚約を黙っていたんだな」と、想像できない女はいないだろう。

むしろ、Kの墓参りをめぐるやりとりからは、静が「Kは自殺ではなくてあなたが殺したんじゃないの」と、かまをかけてるとすら読める。


そして、かまをかけた静は、完全に確信したのだろう。
「夫は殺人犯人だ」と。
かつ、それを確信しながら、殺人の罪悪感を抱えて生きている夫と、一緒にいることを静は決めたのだ。
自分はこの殺人犯人と一緒にいてあげると。

だからこそ、静はここまで断言できたのだ。
「私と離れたら、夫は不幸になる だ け


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