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【自伝】就労経験なし27歳無職借金500万円からの社会復帰の記録②

前回記事で僕がドロップアウト(精神病院に1年半入院)するまでの流れを書いていきました。そこから這い上がって行くことになる訳ですが、あきらめずに努力できた要因と、そんな僕でも学習性無力感に陥っていたこと、状況が好転したきっかけについてこの記事では書いていきたいと思います。
精神病院から退院した27歳~31歳ぐらいの時期の話です。

与えられた課題に関しては全力で取り組む

僕は自発的・能動的な努力はしていなかったものの
学校から出される宿題などは
一生懸命こなしていました

小学校時代はマラソン大会などでも
常に最下位を争うような状態でしたが
休み時間の練習などでは一生懸命走っていました

市内の学校対抗の運動会において
特定の縄跳びの課題をクリアすると
賞状がもらえたのですが
縄跳びを一生懸命練習したことで
3つの課題の内1つで賞を貰えたことがきっかけで

頑張ればスポーツもできるようになるかもしれない
と考えるようになりました

スポーツをするようになったのは
スポーツマンの担任(小学校高学年)の
影響もありました

運動能力は全くといってないにもかかわらず
中学校に入ってから運動部に入部しました

今考えると
『苦手なことでもやればできるかもしれない』
と考えるのは一般的な思考ではない
ように思います

『どうせ無理』という思考は
不思議と持っていなかったのです

そんな僕でしたが
与えられた課題しかこなさない状態だったのは
母の影響で陥った学習性無力感によるものでした
(もう一つの要因は前回記事でも書いたように
 家庭が経済的に苦しかったこと)

家で自発的に家事を手伝ったとしても
母は自分のこだわりを満たさないと許さず
叱ったり やり直したりしました

母のこうした性質は今でもあり
母の帰りが遅いので食事を用意して待っていると
『汚い手で台所を触らないで』と叱られました

外に干している洗濯物を取り込んでも
『まだ日が照っているから干せる』といって
母は膝が痛いにもかかわらず
取り込んだものを干しなおすなど

とにかく自発的に何かをやったとしても
叱られたり 結局母がやり直したりするので
『自発的に何かをすると必ず失敗する』
という思い込み
に捉われ

指示されたことや
与えられた課題にしか
取り組めない人間になっていました

・与えられた課題に関しては一生懸命こなす
・やる前からできないとは考えない 
けれど
・学習性無力感から自発的には動かない

という非常に不思議な状態でしたね

母からかけられた色々な呪縛に囚われていましたが
働き始めて出会った上司のおかげで
その呪いを解いてもらうことができました
その話は本記事の後半でします

その上司がきっかけで
努力ができるようになったのですが
努力を継続できたのは

まがりなりにも京都大学を卒業できた
というトロフィーがあったからこそ
『努力すればできるようになるのではないか』
と自分を信じることができたからです

また以下の記事にも書いていますが
両親はじめ弟妹たちの努力する姿勢を見ていたため
自分も家族に顔向けできるように
努力しようと思えました

子供たちを呪縛する言動が多かった母も
そんな自分を変えようと必死で努力していました

ある研究によると
努力する姿勢を見た子供は
物事に粘り強く取り組むようになるそうです

努力できるのも才能』と言われますが
その才能は誰かから受け継ぐ
ものだと思っています

苦しい状況でも歯を喰いしばって
頑張っていると
それは誰かに勇気を与えて
誰かを救済することに繋がるかもしれません

僕はドロップアウトした状況から
努力を継続できましたが
その努力を継続できた背景要因として
これまで書いたような恵まれた点があり
こうした背景を持たない人にとっては
ドロップアウトした状態から
継続的に努力を続けていくことは
簡単ではないと思います

退院から1年半後働き始めるまでの精神状態

奨学金の借金が500万円あるにもかかわらず
能力も就労経験もないコミュ障で
唯一の能力はテストで点を取る能力だけ

社会に役に立てる人間になるために
努力してきたつもりだったのに
働く能力は何もないというのは
非常に苦しい状態でした

世の中には働くことが嫌で嫌でたまらない人が
一定数いますが
ドロップアウトして働けない状態を経験すると
『働けることのありがたさ』を痛感します

また、働くことに対して前向きなのは
仕事に対して前向きに取り組む姿勢を
見せてくれた父の影響はあるように思います

働くことができず苦しい状況だったのですが
僕の状況を見かねて
通っていた病院のデイケアの女性スタッフが
『障害基礎年金』の申請を出してくれました

その女性は成人した息子さんを
亡くした過去があったため
苦しむ僕の姿に息子さんを
重ね合わせたのだと思います

障害年金の申請には
初診日の診断記録が必要であったり
現在の状況を申請が通るように
上手く表現できる主治医が必要であったり

うつ病などでドロップアウトしている人にとっては
申請書を出すことすら高いハードルがあるのですが

その大変な手続きを
女性スタッフはすべてやって下さいました

聞いた話では『1年半の長期入院』という経歴が
申請が通る決め手になりやすいとのことでしたね

受給できるかどうかが決まるのはまだ先でしたが
将来に希望が持てるようになり
一気に精神的に楽になりました

そんなタイミングで病院スタッフの働きかけで
自宅から数キロ先の大手スーパーへの
障がい者雇用での採用が決まりました

そのスーパーへの就職を勧めたのは
全国的にも最大手であるため
努力次第でいくらでも出世できるから
という理由だったそうです

障害基礎年金の受給決定と奨学金返済などお金の話

をしたいと思います

障害基礎年金は初診日にさかのぼって支給されます

最初の振り込みでは約200万円が振り込まれました
年間では約75万円くらいで
2カ月に一度約13万円が振り込まれます

僕は最初の200万円を
・利子付きの奨学金の返済
・運転免許の取得
に使いました

将来に不安を抱える障害者は
将来のために貯金しておこうと
考えがちかもしれませんが

僕は『自己投資資金』や
『奨学金借金という精神不安の解消』
に使いました

また、自分の能力で稼いだお金ではありませんので
遊びや浪費には使う気になれませんでした

当時の月収は手取り10万円程度でしたが
障害年金と合わせて2年半で340万円を貯めて
利子なしの奨学金も一括返済しました

その後の障害年金も
学生納付猶予で猶予されていた年金を
追納することに使いましたね

【障害年金受給後の最適な立ち回り】

について一応書いておきます

まず障害年金受給の前提条件として
学生納付猶予の手続きをしておくことが大事です

年金の未納期間が納めるべき期間の3分の1以上あると
障害年金の受給資格が得られません

大卒後就職してすぐにドロップアウトした場合に
納付猶予手続きをしていないと
その期間は未納扱いになるため
社会復帰が非常に厳しくなります

またずるく立ち回るならば
障害年金をインデックス投資に回すのが
最適解ではあります

奨学金の利子はほぼ無利子と言っていい水準です
一括返済せずに投資に回せば
投資収益から月々の返済ができます

また学生納付猶予の分の年金を追納するよりも
投資に回した方が最終的なリターンは大きくなります

厚生年金をもらえる働き方を続ける場合は
60歳以降も働くと未納期間の分を
実質的に納めることができます

最終的に働けなかったとしても
障害年金を受給している場合は
年金を納付免除申請ができます
【免除】にすると半額納めたことになりますので
国民年金を納める相当額を投資に回すのが
最適解になります

大学院時代の先輩に投資のことを教わっていて
障害年金を投資に回すのが最適解なのは
知ってはいたのですが
モラル的に僕は実行することができませんでした

また、生活水準を上げてしまうと
将来自立した時に家計が破綻すると考えて
手取り年収130万円+障害年金75万円で
実家に月2万円入れながら
年間100万円以上を貯金していました

経済的不安がなくなった話はここまでにして

就職してから自発的に動けない呪いを解いてくれた上司との出会いまで

障がい者雇用で採用されてからの
最初の仕事は『前進陳列』でした

売場の棚の商品が売れて
陳列されている商品の前面が乱れているのを
整える仕事です

スーパーの障害者雇用においては
一般的な仕事です

当時は『障害者雇用促進法』が施行される
前後の時期でしたから

そのタイミングで就職できたのは幸運でした
いま会社は新卒採用しか受け付けていないようです

『前進陳列』は当然
重たい商品を品出しする訳ではありません

にもかかわらず
30分働いたら全身汗だくで息も上がり
15分休憩するようなありさまでした

その時は13時まで仕事をして
そこから病院のデイケアに戻り
昼ごはんを食べてから
ぐったりと寝て過ごす感じで過ごしていました

体はきつくても
『体力をつけなければ何もできない』と考えて
デイケアのプログラムのバレーボールにだけは
参加していました

最初は準備運動で体育館を1周走るだけで
息が上がって動けなくなるような状態でしたが
『毎日がマラソン大会』というような感覚で
体力的に追い込んでいました

毎日体力の最後の一滴まで絞り出すような生活は
実家暮らしだからこそできたことです

社会人経験がないままドロップアウトしてしまうと
一人暮らしで家事をしながら
生活に必要な収入を得て
さらには収入を増やすために
追加の努力をできる状態になるのは
かなりの無理ゲーです

ドロップアウトした障がい者を支援する制度として
『自立支援医療制度』というのがあります

申請した病院の利用料の上限が
収入に応じて決まり
それを超えた分は無料になる制度です

グループホーム+障害年金+
食事の出るデイケア通院+時々作業所
というのが親を頼れない精神障害者の
目指せるゴールなのが現状です

社会人経験がないドロップアウト者が
そこから上を目指すことは
実家が頼れないとほぼほぼ不可能だと思います

話を本筋に戻します

前進陳列からいきなり品出し発注を任されるように、、

入社して1年ほど経過して
体力がどうにかこうにかついてきた時に
突然、品出し・発注業務をするように言われました

フルタイム契約の条件が
『発注を持つこと』だったようです

フルタイムになることを
お願いしたわけではなかったのですが
打診してもらうことができました

発注担当部門は日配(デイリー)部門のうち
・練り物:ちくわやかまぼこ・ごぼう天など
・漬物佃煮
・ピザ・餃子
のカテゴリーでした

【デイリー部門】
加工食品のうち 比較的賞味期限が短い食品や
要冷蔵・用冷凍の食品の部門
パンやチーズやバター
アイスクリームや冷凍食品
ハム・ソーセージ
うどんや中華そばなどの冷蔵麺
こんにゃくや豆腐など

ですが発注を任されたものの
・学校に通っていただけのゲーム引きこもり
(いくつかのゲームで日本記録更新歴あり)
・家事をほぼしていない
僕にとっては全くちんぷんかんぷんでしたが

先週の売上実績が発注端末画面に出るので
その平均と分散と現在の在庫数量から
機械的に発注数量を決めていました

季節で売上に差が出ない商品は良かったのですが
ごぼう天などの練り物は
秋分の9月20日前後で劇的に売り上げが伸びます

最初は分からなかった爆売れの原因が
寒くなるとおでん材料などの鍋材料が売れる
という当たり前の常識に途中で気づき驚愕しました

そして発注担当者でありながら
ごぼう天がおでんに入っている具であることに
その時まで気づいていませんでした、、、
一応京都大学卒ですが、、、いやアホやろ

スーパーで働いてきて良かった点は
長年働いていく内に
食品や生活用品に発注・品出しで触れていて
生活感覚が磨かれていった点ですね

発注・品出しに悪戦苦闘しながらも
3年目には発注の季節サイクルも理解し
品切れも値引きも発生させなく※なりました
※値引きが発生しない=半額引きがほぼ発生しない

そのタイミングで
自分の人生を激変させる上司(店長)が
店舗に赴任して来られたのです

着任した店長に『これが発注適正量です』と言い返したことがきっかけで認めてもらえる

店長が着任されたのは
真冬の寒い時期だったのですが

朝にごぼう天の売り場で呼び止められて
『この寒さでこの数量では足りないから
 発注数量を増やすように』
と言われました

僕は自分の発注数量予測に絶対の自信があったため
『これが適正量です』
と言い返しました

そこで留まるならいざ知らず
夕方になっても在庫が適正に残っていることを
店長に報告し、『ね、適正数量だったでしょ』と
言い放ったのです

それ以降 店長に気に入ってもらえ
他の商品も含めた発注の理論などを
色々教えてくださるようになりました

ですが僕が仕事でこなしていたのは
指示されていたことだけ
自発的に何かをするということは
一切ありませんでした

自分から何かをしようとすると必ず失敗してしまう
失敗をすることは絶対にダメなこと
という呪いに囚われてしまっていました

そんな僕に店長はある日
『失敗したら責任は俺が取るから
 自分のやりたいように全力でやってみろ』
と言って下さったのです

あの瞬間は雷に打たれたような衝撃でした

『失敗ってしてもいいんや、、、』

この時気付いたこと

精神病院に入院した時の
絶望的な人格の崩壊ではなくて

砕け散った人格をどう育てなおしていけばいいか
その光が差したような
全身を光で包まれたような心地のいい感覚でした

そこから突然生まれ変わったように
仕事に対して創意工夫をするようになり
失敗は成功に繋げるための必要なステップ
という風に考えるようになり

自分のその時点における能力を判断しながら
そこから一歩踏み出すような小さな挑戦を
毎日コツコツ積み上げるようになったのです

【次回に続く】

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