【美容師物語】〜第三章②最高の定義
━━━━━━━━━━━━
ピリついた二学期
━━━━━━━━━━━━
二学期になると、学校全体の空気が少し変わった。
二年生は国家試験が近づき、廊下を歩く顔つきまで鋭くなる。
笑い声は減り、ワインディングのロッドを巻く音だけが妙に響く。
一年生の俺たちも、のんびりしてはいられなかった。
実習のタイムはどんどん短くなる。
授業が終われば、自習室へ直行。
バイトがない日は、閉館ギリギリまでウィッグと向き合った。
久しぶりのピザ屋のバイト。
「蓮、夏休みどうだった?」
「地元でバイト三昧っすよ」
「馬鹿だなぁ。せっかくの夏休みなのに」
先輩たちは呆れながら笑う。
でも夜は地元の仲間と遊び倒したし、それで十分満たされていた。
配達中、携帯が鳴った。
バイクを道路脇に止め、画面を見る。
知らない番号だった。
「蒼井蓮くんですか? 私、りさ。覚えてる?」
少しハスキーな声。
「もちろん。大粒の“心の汗”を流してた女の子だろ」
電話越しに、りさが笑った。
「そうそう。心の汗のりさです」
その笑い声だけで、
「あ、この人とは気が合うな」
と直感した。
「前に言ってたカットモデル、まだお願いできますか?」
心臓が少し跳ねた。
他人を切る機会なんて、まだほとんどない。
「もちろん。ただ、技術の保証はないよ?」
「夏休みに母ちゃんと妹を実験台にしたくらいだからな」
するとりさは笑いながら言った。
「いいよ。ティッシュのお礼に、私のボロボロの髪を実験台として捧げるわ」
俺は思わず大声を出した。
「ありがとう!」
電話を切ったあと、
胸の奥が妙に熱かった。
(あと一週間——)
ヘアカタログを読み漁る。
先生に質問しまくる。
付け焼き刃でもいい。
今の俺にできる“最善”だけは持っていきたかった。
━━━━━━━━━━━━
ようこそ、代々木へ
━━━━━━━━━━━━
木曜日の放課後。
りさが学校に着いたと連絡が来て、
俺は自習室から走って校門へ向かった。
新宿服装学院で見た時の、
あの泣きそうな横顔とは別人みたいだった。
大きく手を振っている。
「ようこそ、代々木美容専門学校へ」
「美容学校って初めて来た。服装学院と全然違うね、かなり厳しそう」
「うん。国家試験落ちたら、ただの人だからな」
そう言って笑いながら、
自習室へ案内した。
鏡の前に座ったりさの髪に触れた瞬間、
指先にゴワッとした感触が伝わる。
(……傷みすぎだろ)
何度もカラーを繰り返した髪。
乾燥して、悲鳴を上げていた。
「今日はどうする?」
「もうボロボロだから、短くしたい」
りさは鏡越しに笑った。
「どんな髪型でもいい。蓮に託す」
「いやいや託されても困る。そんな腕ねーよ」
「やってみなきゃわかんないじゃん」
りさは茶目っ気たっぷりに笑う。
「隠れた才能ってやつ、引き出してよ」
(隠れた才能、ねぇ……)
正直、自分ではまだ何も見えていなかった。
━━━━━━━━━━━━
シャンプーと、サツマイモ
━━━━━━━━━━━━
まずはシャンプー台へ。
シャンプーだけは好きだった。
人に触れて、
気持ちよさそうに目を閉じてもらえる瞬間が好きだ。
髪を流しながら、俺はりさに質問した。
りさってどこ出身?
「茨城の田舎」
(サツマイモ)
兄弟は?
「お姉ちゃんと弟」
(真ん中ね、同じだ)
好きな音楽は?
「JUDY AND MARY」
(俺も好きだ)
好きな男の芸能人
「竹野内豊」
(終わった、勝てる要素一個もねぇ)
好きな雑誌は?
「Cutie」
(そんな感じする)
俺の頭の中はなぜかサツマイモでいっぱいだった。
俺はサツマイモが大好きだ。
そんなくだらないことを考えながら、
少しずつ距離が近づいていく感覚があった。
━━━━━━━━━━━━
震える指先
━━━━━━━━━━━━
セット面へ戻る。
俺はヘアカタログを開いて、
グラデーションボブのページを指差した。
「襟足を少し残して、表面にレイヤー入れて——前髪は短め」
「なんか良さそう。それでいいよ」
りさが頷く。
そして——
俺は初めて、
“他人”の髪にハサミを向けた。
その瞬間。
指先が、目に見えて震えていた。
自分でも驚いた。
今まで喧嘩でも、
夜の渋谷でも、
どんな修羅場でも緊張したことなんかなかったのに。
髪を切るのが、怖かった。
失敗したら戻せない。
その重圧が、
ハサミを鉄みたいに重くした。
鏡越しに、りさが笑う。
「蓮、指震えてるよ」
「私ごときに緊張してたら、カリスマにはなれないよ?」
俺は即答した。
「……バカ言え。これは緊張じゃない」
「アル中なんだよ」
りさが吹き出した。
「それ、絶対今すぐハサミ置かなきゃいけないやつじゃん!」
二人で笑った瞬間、肩の力がふっと抜けた。
そこから先は、無言だった。
一時間。
俺は今の自分の全部を、その髪にぶつけ続けた。
切るたびに、自分の下手さを思い知る。
バランスが悪い。
遅い。
甘い。
一秒ごとに未熟さを突きつけられる、
残酷で、
でもどこか愛おしい時間だった。
━━━━━━━━━━━━
「最高」の定義
━━━━━━━━━━━━
「……できた」
最後に合わせ鏡を見せる。
りさは、
新しくなった自分のシルエットをじっと見つめていた。
少しの沈黙。
俺は先に口を開いた。
「お世辞はいらないからな」
「もう自分の下手さに挫折してる」
りさは鏡を見たまま、
ゆっくり言った。
「確かに、街の美容師さんより時間はかかるし、重さのバランスも悪いかもしれない」
胸にグサッと刺さる。
でも——
りさは微笑んだ。
「正直、ちょっと変」
「でもさ、なんか好き」
鏡の中の自分を指差す。
「ちゃんと悩みながら切ったの、わかったから」
「私自身が気に入れば、それでいいの」
「世界中にどんなカリスマ美容師がいたとしても——」
視界の端が熱くなった。
俺は誤魔化すみたいに、
散らかった髪を足で集めた。
なんでこんなに嬉しいのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、また誰かの髪を切りたいと思った…
━━━━━━━━━━━━
また会おう
━━━━━━━━━━━━
りさはこのあとバイトらしく、
学校の出口まで送った。
俺は、龍にぃの家でマネキンがまっている。
夕暮れの代々木。
オレンジ色の光が、
二人の影を長く伸ばしていた。
「来月、龍にぃの学校のファッションショー出るんだ」
「時間あったら見に来てよ」
りさは少し驚いた顔をして、それから笑った。
「行く。絶対行く」
「今日はありがとう」
「明日から学校行くの、ちょっと楽しみになった」
そう言って、
りさは雑踏の中へ消えていった。
角を曲がって姿が見えなくなっても、
俺はしばらくその場に立っていた。
手の中に、
まだハサミの重さが残っている気がした。
手のひらが、まだ少し汗ばんでいた。あんなに震えてたのに、また切りたいと思ってる。
それが、自分でも少し怖かった
俺は自分の右手を見つめながら、
小さく呟いた。
「早く次も挑戦したい」
排気ガスとシャンプーが混ざった匂い。
あの日から、
人の髪を切りたいと強く思うようになった。
つづく…
#創作大賞2026 #エンタメ原作部門
