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【万世一系】神話は男系継承が記されてます。天照大御神の天壌無窮の神勅と男系継承【古事記、日本書紀は男系皇統

神話は男系継承です。
系譜を見れば、天壌無窮の神勅は男系によって統治せよとの神勅と考えられます。

天照大神→息子のアメノオシホミミ(男神)→(男系継承)→孫のニニギ(男神)→天壌無窮の神勅(男神ニニギに天照大神が(「瑞穂の国(日本)は、我が子孫が君主として治めるべき土地である。」)→天孫降臨→ヒコホホデミ(男神)→ウガヤフキアエズ(男神)→神武天皇→歴代天皇(男系)...

【天壌無窮の神勅】天照大神→息子のアメノオシホミミ(男神)→(男系継承)→孫のニニギ(男神)→天壌無窮の神勅(男神ニニギに天照大神が(「瑞穂の国(日本)は、我が子孫が君主として治めるべき土地である。」)→天孫降臨→ヒコホホデミ(男神)→ウガヤフキアエズ(男神)→神武天皇→歴代天皇(男系)...

天壌無窮の神勅

「この豊かに稲穂が実る葦原の瑞穂の国(日本)は、我が子孫が君主として治めるべき土地である。皇孫よ、そこへ行って治めよ。さあ、行きなさい。皇統の繁栄は、天地とともに永遠に窮まることがないであろう。」

『日本書紀』「因勅皇孫曰、葦原千五百秋之瑞穂國、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。寶祚之隆、當與天壤無窮者矣。」

「因りて皇孫に勅して曰はく、「葦原千五百秋之瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫、就きて治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし」と。」

「『古事記』『日本書紀』に『男系男子』という言葉がないから、男系という観念も存在しなかった」というのは別問題です。

記紀神話では、天照大神→天忍穂耳命→瓊瓊杵尊→彦火火出見尊→鵜草葺不合尊→神武天皇という皇統が描かれ、天照大神は皇孫に「吾が子孫の王たるべき地なり」と命じ、皇統の永続を天壌無窮の神勅として示しています。

神話の系譜上に女系や女性即位者が一切配置されず、神話体系の中で一貫して男系のみが描かれている以上、天壌無窮の神勅が男系という原理を軸に構成されていると解釈できる。すなわち神話構成上、天壌無窮の神勅は男系を意味すると考えられる。

さらに継体天皇も、武烈天皇に継嗣がなかった際、応神天皇の五世孫という父系の血統を根拠として迎えられ、記紀はその皇位継承を正統化しています。したがって、現代的な「男系男子」という用語こそ記紀にはありませんが、神話・系譜・継体天皇の故事を通じて、皇位の正統性を男系の皇統につなげる観念が存在していました。

『日本書紀』継体天皇紀「男大迹天皇(継体天皇)は、またの名を彦太尊といい、誉田天皇(応神天皇)の五世の孫」

『日本書紀』継体天皇紀
 「男大迹天皇、更名彦太尊、誉田天皇五世孫、彦主人王之子也。母曰振媛。振媛、活目天皇七世之孫也」
「男大迹天皇(継体天皇)は、またの名を彦太尊といい、誉田天皇(応神天皇)の五世の孫であり、彦主人王の子である。母は振媛といい、活目天皇(垂仁天皇)の七世の孫である。」

神皇正統記でも万世一系の男系皇統は意識されていました。

『神皇正統記』「大日本は神国なり。天祖始めて基(もとい)を開き、日神(ひのかみ)長く統(とう)を伝へ給(たま)ふ。わが国のみこの事あり、異朝にその類なし。この故に神国といふなり」

『神皇正統記』
「大日本は神国なり。天祖始めて基(もとい)を開き、日神(ひのかみ)長く統(とう)を伝へ給(たま)ふ。わが国のみこの事あり、異朝にその類なし。この故に神国といふなり」

「伏犠氏の後、天子の氏姓をかへたる事三十六。みだれのはなはだしさ、云にたらざるものをや。
ただ我国のみ天地開けし初より今の世の今日にいたるまで、日嗣をうけ給ふこと横しまならず。一種姓の中におきても自ら傍らより伝へ給ひしすら猶正にかへる道ありてぞ保ちましける。」

「武烈かくれ給て皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉(もとめたてまつり)ける」

中国では則天武后(武則天)が史上初めて女性が皇帝に即位した。

武則天(ぶ そくてん)は、中国史上唯一の女帝。彼女が単に「女性として皇帝になった」だけではなく、唐の李氏から武氏へ皇帝の姓=王朝の支配氏族そのものを変更した。日本の女性天皇は父方が同姓内(同じ一族内)の男系なので、中国は同姓不婚の儒教伝統があるため、同一の皇位継承原則で語れないが、日本の女性天皇の例は中国側から見ても易姓革命には当たらない。

彼女(武則天)の特異性は、単に「女性として皇帝になった」という点にあるのではなく、唐の李氏から武氏へと皇帝の姓、すなわち王朝を支配する氏族そのものを変更した点にある。これを日本の女性天皇の例に当てはめると、事情は異なる。日本の女性天皇は父方が皇統という同一の氏族内にとどまっており、氏族そのものの交代を伴わない。中国には同姓不婚という儒教的宗法の伝統があり、「姓=父系血統集団」の同一性を軸に易姓革命が定義されるため、この基準に照らせば、日本の女性天皇の即位は中国側の視点から見ても易姓革命には該当しない。

「易姓革命」という語自体は本来、「姓を易(か)え、命を革(あらた)む。」つまり王朝の姓の交代で天命が改まる事。天命が徳を失った王朝から別の氏族へ移るという儒教の政治思想(孟子の易姓革命論)を指し、武則天の即位は、李氏から武氏への王朝交代を実現したという点で「易姓」の要素を明確に持つ。武周自身も「革命」と称した。しかし客観的評価として、武則天のケースにそのまま適用できるかは中国史学内でも議論がある。彼女は「天命の移動」ではなく既存王朝内部からの簒奪という性格が強く、後継者もいずれ李氏に回帰した点で、伝統的な易姓革命(殷周革命・秦漢革命のような王朝交代)とは区別して論じる論者もいる。

宋の太宗も感嘆した、日本の男系の「一姓相伝」

宋の太宗が感嘆した日本の男系の「一姓相伝」「その臣下もまた継襲して絶えない。これこそ古の道である。 中国は唐末の乱以来、天下が分裂し、梁・周の五代は享年が特に短く、大臣の家系で、(その地位や禄を)代々継承できる者はほとんどいない。」

『宋史』日本伝
「太宗はその国王が一姓で伝継し、臣下もみな世官であることを聞き、ため息をついて宰相に言った。 「これは島夷にすぎないのに、世祚がはるかに長く、その臣下もまた継襲して絶えない。これこそ古の道である。 中国は唐末の乱以来、天下が分裂し、梁・周の五代は享年が特に短く、大臣の世冑で嗣続できる者はほとんどいない。朕は徳が往聖に及ばないものの、常に夙夜に寅畏し、治本を講求して敢えて暇逸しない。無窮の業を建て、久しく続く規範を垂れ、また子孫の計として、大臣の後に禄位を世襲させたい。これが朕の心である。」


「上聞其國王一姓傳繼,臣下皆世官,因歎息謂宰相曰:「此島夷耳,乃世祚遐久,其臣亦繼襲不絕,此蓋古之道也。中國自唐季之亂,宇縣分裂,梁、周五代享歷尤促,大臣世胄,鮮能嗣續。朕雖德慚往聖,常夙夜寅畏,講求治本,不敢暇逸。建無窮之業,垂可久之范,亦以為子孫之計,使大臣之後世襲祿位,此朕之心焉。」

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