大人は判ってくれない 野火ノビタ


はじめに


はじめに

榎本ナリコさん=野火ノビタさんは、女性オタクの最終地点であると思う。
腐女子という言葉は無かった。BLという単語も無かった。
萌えという概念すら無かった。

オタクといえば男の世界で、女のオタクはまだ何の名前も付いていない時代だった。
そんな時代に、自身の感覚と直感を持ち、それらを言語化できる教養とスキルを持った方が、愛によって作品を語った。
それが批評という形になった。

そんな批評集です。「大人は判ってくれない」

「わかる」が、「判る」になってるのがいいじゃないですか!!
そう思いません?!
大人じゃない私は判ってるんですよ、何がなにであるのか、判別できている。
大人はできていない。

個人的な感想を連ねます。


エヴァンゲリオン論


心理学者の引用で庵野秀明監督の内面を解き明かしていく野火さん。
当時、エヴァンゲリオンについての考察は、個人HP(ブログが無かった)
で散々なされていたと思う。
心理学に絡めて考察していたサイトももちろん沢山あっただろう。
野火さんの考察は、その中でも、抜きん出ていたのだろうと推し量ります。
少なくとも庵野監督にとっては。
スギゾ・パラノエヴァンゲリオンで、「野火さんにパラノイアと指摘されて気持ちよくなっちゃって・・・」のようなくだりが出てくる。
庵野監督にとって野火さんは、作品の深い理解者であり、同時に表現者をして作り手の苦悩を知っている大変貴重な存在だっただろう。

旧劇場版の冒頭に出てくる「5人の女性に感謝する」の内の1人は、間違い無く野火さんかと思われる。

野火さんは私の上の世代の人だ。
しかし、核家族化が始まっていた世代だ。
祖父母の影が無い中で、父・母の人格に多大な影響を受け、家庭環境がアイデンティティの形成に深く絡んでいく世代だ。

これより前は、おそらくアイデンティティ形成は、貧困によって促進されている。生き抜くこと、身を立てること、それが何より大事で、自らのパーソナリティを考え、その由来まで遡る余裕の無かった世代だ。
確実に良くなり、豊かになっているのだが、新たな課題が出てき始めた世代だろうか。

対して、庵野さんはさらに上の世代。
私は高校時代エヴァンゲリオンを観た時、その監督の年齢が30過ぎだと知って、なんでおじさんが私らに響く感覚を持っているのだろうと思った。
それは病的な感覚だった。
2025年41歳の私は、一つ上が酒鬼薔薇聖斗と同い年なのである。
同時に、私が13歳の時、シンジくんは14歳だった。

私は私の世代を年上の人に説明する時こう言う。
「エヴァンゲリオンやバトルロアイヤル、酒鬼薔薇聖斗の世代です。病んだ世代ですよ。」
庵野監督は、病んだ世代ではなく、病んだ私たちの世代に生きる力を与えてくれる世代のはずなのでは?との疑念があった。
なぜこの世代の病的心理を理解してくれているのか。
これは、庵野監督のご両親、生育環境によるものだとは思う。

野火さん自身の創作論、創作物と読み手
付き合ってた?
「五人の女性」には野火さん入ってると思う
家庭環境によって、アイデンティティの形成は大きく違う。
高校の頃の直感的な理解と合ってる。
家庭不全の同世代が多かったのではないか。
庵野秀明がその時30代で、ずいぶん年上なのになんでわかるんだろう、と思った。
バトルロアイヤル、サカキバラセイト、エヴァンゲリオンの世代
なぜ人を殺してはいけないのか?という質問が出る世代
昭和の、駄目なものは駄目だと導いてくれる、正しい価値観をもった大人を求めていた。
通底した道徳が覆されている世代。
アイデンティティが無いので、戦う理由が無い。
昭和のデビルマンは戦えた。
表現という方法自体が本質的に、他者に理解を求めようとするものである p64
物語を読む、楽しむということは理解ではない。
投影であって没入ではない。p69
物語の詩情とは、癒やされずに泣くことだと私は思う。p94
癒やされないことへの受諾の物語

少女時代の感覚を努めて忘れないよう生きてきた野火さん
私は、子どもの頃に、子どもの気持ちを覚えていようと思った。大人たちがあまりにも忘れてしまっていて、子どもの私の求めるものをわかってくれなかったから。
背が伸びて地面が遠ざかるのが嫌だった。
壁の飾りのパッチワークが変わるのが嫌だった。
子どもの意見は聞かずに、車が変わるのが嫌だった。

庵野さんインタビュー、採算の取れるものを作るのは、スポンサーへの最低限の礼儀、という言葉が二回出てくる。世代間とプロ意識。
今はとにかく誰かが言っておかないと、情報として残らないから。p136
後の世代のことを考えている

・・幽遊白書論
未完成な物語
戦うための理由は、攻撃したいという衝動。意味など無い。
メタ化してしまった
冨樫義博は消費された
その後舞い戻った
今の時代に繋がる
広江礼威の鬱も、考え物
個人を追い詰める日本人の働き方
p172 そこには他者が無い
野火さんは他者と自己の繋がりを描いている
センチメントの季節も、体は繋がってるのに、といった孤独も何度も出てくる。

幽遊白書からレベルEの間に何があったんだろう。
体調の回復?←調べる 休養期間、結婚期間

・・HUNTER×HUNTER論
コピーが気になる
野火さんみたいに理解して、理解ということにさえ慎重に物語に接して、こうして文字にする読者さんは、作家に希望を与えるのでは無いか
根底に作品愛とリスペクトがある。
同人誌描くということは好きだから。人生に喰い込んだから。

絶対悪の無い世界
相対悪がある
再び問われる戦う意味
戦うことが、攻撃性の発露では無く生きる事になった。
p220 週刊連載を読むことの幸福は、作者とリアルタイムを共有する幸福である。

・・やおい論
好きなキャラが受け
p226 たぶんこれからもやめないだろう ありがたく
欲望
「やおい」自嘲と揶揄
p232 性描写を含むこと以外は少女漫画的な恋愛物語
p234 男性同士が愛し合うこと、その関係性
やおい=カップリング 二人のキャラクターの間に恋愛感情を想像、または捏造する
カップル、つがいとして愛する
p235 ノレない
カップリングが固定的=愛の永遠の証明

女キャラと競争しなくていい=楽=それだけ現実がしんどい
成就する前の恋愛とは競争 
競争をせずに愛を語りたい

よしながふみとの関係が気になる 同世代?のフェミニズムを持つ作家さんどうしではないだろうか
p242 自分とは異なる肉体のうえに行われる性行為に興奮する
p245 女性としての現実の肉体を放棄している
当事者であり当事者で無い 受けの男性に自己を代行させる=安全
気楽だからという理由だけでやおいを指向するのでは無い
性行為に嫌悪感、コンプレックスがある 自身の性欲に否定的である
気楽さでは無く、内圧に押し出されてゆく切迫した気分
ファンタジーの中でモアベター

攻めに感情移入する場合
センチメントの季節に出てきた、男性器があったらと想像する女の子
ベッドの上では男性は能動、主体者側であるという意識
やおいで欲望の主体になれる(マンヘイト的)

好きなキャラと同一化して、理想の愛され方をするファンタジー

攻めへの感情移入、受けへの感情移入、無意識にほぼ同時に行っている。
主体も客体もできる。閉じた回路。
p255 関係性それ自体への欲望=愛
性描写も愛と癒着している
レディースコミックとやおいの差
・男性同士=精神と身体の分離が無い=精神も身体も愛される
・女性は現実世界では精神的に劣位である
・マンヘイト、ウーマンヘイト(ミソジニー)
自分の中に女性像が育ちにくい 一般的な女性像は、男性がイメージした女性像だと思う。自分のこととするのに違和感がある。
・自分自身の現実の肉体を排除することで、セクシュアリティによる差別を持ち込まない=楽しめる
・↑を、野火さんはウーマンヘイト的(ミソジニー)と評する
・なぜ男性の身体をよりしろとするか→自分の肉体そのものが自分にとって差別的なものだからだ
自分の中のミソジニーを自覚する
小学生の頃からある、ということ
女性のミソジニーは、自己嫌悪、自己否定になる
男性への欲望も否定する、ので、自身の依り代が男性になる
全人間的な、完璧な愛、全肯定を求めている。
魂だけになる。
対等を求めている。(やおいの中では、受けは精神的に劣位にならない)
受けは、安心して女性らしさを表出できる。
純粋で対等な関係が男女の間に成立すると信じていない
完璧な愛が可能な世界
同人活動で愛を操作できる
「攻め」は必ず一人だけを選ぶ ほんまや・・・
意識を手放したくない センチメントのコギト
p272 やおいを楽しむとき、女性は男性を必要としない 
「それもまたよし」
「やおいを指向する女性は傷ついている」→傷の無い女性も、傷が癒えた女性も、やおいを楽しんでいる。
これが楽しいことだから。
p274 どうして女性にはペニスが無いのだろうと思うことがある
フロイト 去勢恐怖 自分の肉体が欠陥だというミソジニー
主権行使は楽しい

想像力の力のすごさ

・・斉藤環対談
野火さん太っていた
男を欲望してない
p282 好みが違うのか、病み方が違うのか
設定より関係性重視→だから同人は、色んな設定ができる 男性向けはそんなことにならない。転成したり、性別転換したり、獣化したり、ぬい化したりしない。
遊郭もの 子ゲゲも花魁になってた
p286 いくばくかの真実が欲しいんです 一次資料からのふくらませ
「同人誌の同人誌は出せないんです」名言!!
野火さんはきっと、描き手の時、攻め受けどちらにも感情移入して楽しんでいる。
自分の肉体を回避している傾向
なさ攻め?ヘタレ攻めの原型かしら
受け攻め論争 自分が犯される側か、犯す側かという問題
野火さん、やおいはできるけどBLは失敗したという認識(今は挑戦したいとのこと、後書きより)
野火さんは、攻めになりたい
飛影の孤独を蔵馬になって埋めてあげたい
BLでの自己投影は受け  ??
・・あとがき
創作は、「自分の芯に立脚したなにか」
p304 そして愛したものである 野火さんゲゲ郎に愛を見いだしてるから・・・きっと愛が大きな主題なのかと思う
過ぎ去った心に哀惜を持ち、責任を持ち、覚えていようとする人
やおい論は変わる、時代と女性の在り方の変化とともに変わる
一種のスナップショット=庵野監督の、「言っておく人がいないと」
p309その時に、私のこの文章が、その作品を示す一本の指であったならそれでいい、と、私は思っているのだ。 表現が美しい・・・文学
こうして本になって、時間を超えて、残してくださってありがとう。
まるでエヴァ・・・
斉藤環解説
凝視する愛
このようにやおいが語られたことはかつて無かった 今では色々なBL対談本がでてるのに
おたく もちたい
愛好家 なりたい
みうらじゅんは?

2003年発行
今から22年前 
私が20歳
野火さんは67年生まれなので、36歳


BL論

考察

個人的な感想

私の野火ノビタさん歴は、26年前に遡る。
当時好きだったHUNTER×HUNTERのアンソロジーの中で、一番印象的な作家さんだった。
儚い線と、性描写がとても好きだった。
その後センチメントの季節(榎本ナリコさん名義)を購入した。
文学が好きだった私は、桜の描写や、枯れた中年男性、女子高生の消え入りそうな線に魅了された。

セックスがテーマだったので、当時高校生だった私は、親に隠れてこっそりと読み、目立たない場所へ保管していた。

ある日、自室に入ると、母が掃除をしてくれた気配。

そして、
目立つ場所に置かれた

センチメントの季節

母親のそれは、子の性別に関係無く行われるのだろう。

さらに後、野火ノビタさんの同人誌全集が発刊されているのを知り、購入。
幽遊白書の蔵馬と飛影の、アンドロイドの物語は、今読み返しても涙が流れるし、個立した一作品だと思う。
一生物の同人誌に出会えた。

この度ゲ謎見事にハマり、野火ノビタさんがゲ謎同人でご活躍されているのを知り、狂喜乱舞致しました。
webイベントにてファンメッセージを送り、お返事までいただいて、私は本当に嬉しく、同時に先生の時間を消費させてしまったことにいたく恐縮した。
私の大好きな作家さんです。


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