ひとりご飯はエモーション|初めて「冷やし中華とビール」を注文した思い出
1980年、まだ「バブル」なんて耳にしない頃、わたしは大学生になった。
景気など無関心で親から仕送りしてもらう恩もどこへやら、初めてのひとり暮らしに夢が膨らんでゆく。
平成や令和の若者についてよく知らないけれど、昭和の大学生はたぶん多くが「でかいことやってやるぜ」と血をたぎらせながら、何かを求めてぶらぶらしていたものだ。
竹内まりやの『オン・ザ・ユニバーシティ・ストリート』を聴いて華やかなキャンパス生活をイメージしても、現実はそんなにたやすくない。
そもそも中央の早慶上智GMARCHと九州の地方大学を比べるのが間違っている。
わたしは一部の雑誌で支持されていたラガーシャツを愛用していた。早稲田大学風の赤と黒の横縞になったやつだ。
漫画『博多っ子純情』にハマっており、主人公が高校ラグビー部に入ってラガーシャツを着て奮闘する姿に影響されたのかもしれない。
赤黒ラガーシャツとジーパンにコンバースのローカットが定番だった。いかにも大学生、場合によっては予備校生にさえ見えるファッションだ。
実家は福岡県で大学は鹿児島県。帰省するときは西鹿児島駅から急行列車に乗り、実家から戻るときは西鹿児島駅で降りる。
ふと西鹿児島駅周辺にある飲食店に入ってみようと思った。一人で外食するのはたぶん初めてだ。
高校でも予備校でも学割ラーメンを食べるときは誰かと誘い合っていくのがパターンだった。だがそのときは一人で入りたくなった。それには理由がある。
高校生のときに深夜ラジオでタモリを知って熱狂的なファンとなり、タモリつながりで山下洋輔や坂田明を知る。

山下洋輔の本を読んでいると『全国冷し中華愛好会』(全冷中)なるものがあるという。活動内容はよく覚えていないが、「何かやってやる」スイッチを入れるにはシュールな発想があれば十分だ。

駅前でほどよく年季が入った店構えのラーメン店あるいは中華料理店を物色して一軒を選ぶ。
店内は右手に調理場とカウンター席、左手に2人掛けの小さなテーブルがいくつかあり、わたしはそのテーブル席の一つに座った。
「冷やし中華とビールください」
まだ昼下がりで外は明るい。どころか夏の日差しがガンガン照っている。
見るからに学生とわかる若僧が真っ昼間からビールだと?
声にさえ出さないが調理場の中の店主らしき男性の目が光ったような気がした。
先に瓶ビールとコップがテーブルに並んだ。当時は瓶ビールといえばキリンラガー、そしてキリンのロゴが入ったガラスのコップだ。あれをグラスとは言わない。
緊張しながら自分でコップにビールをついでちびちび飲んでいたら、冷やし中華が運ばれてきた。
お店で冷やし中華を食べたのは初めてだったように思う。
きっと美味しかったはずだが、緊張のあまり味がしなかったような気もする。
こうして人生で初めてひとりで外食したのは「冷やし中華とビール」となった。
わたしは懲りもせず西鹿児島駅で降りるたびに店を替えながらそれを続けた。
緊張しなくなったわけではないがさほど気にはならない。何しろわたしには『全国冷し中華愛好会』の大義名分がある。
「冷やし中華」が好きだからという理由よりも、『全冷中』に対するエモーションがわたしを動かしたのだ。
ひとりご飯でも外食と家で食べる「内食」では事情が変わる。
大学時代は間借りしていた。1年目は三畳、2年目から四畳半の部屋で暮らした。トイレと洗面台は共同でキッチンなし、風呂は銭湯に通った。
夕食は基本的にサークルの仲間と定食屋で食べるか飲みに行くから一人はまずない。
でも気分次第で週に1回程度は自炊して部屋で食べた。これもひとりご飯である。
カセットコンロの火で調理するが煙が出るような焼き物はNG。
わたしのお気に入りは、近所のよろずやで買ったチャンポン麺とスープの素、プレスハム、もやしを鍋で煮込んだチャンポンだ。
はじめは鍋から直接食べていたが、ラーメンどんぶりを手に入れてからはそれに移すようにした。やはり気分が違う。
ブラウン管テレビはプロレス中継のボリュームを下げ、ミニコンポで好きな音楽を流してBGMにする。それを楽しみながらチャンポンを食べるのが至福のひとときだった。
外食のように周りの目を気にすることなく、リラックスして自分の世界に浸れるところは内食ひとりご飯のメリットだろう。
昨今は「一人焼肉」をはじめ一人でも入りやすいお店が増えているらしい。
ところが、わたしは社会人になってから一人で外食することがなくなった。
学生時代にタモリや山下洋輔から影響を受けたようなエモーションが懐かしい。
きっと「ひとりご飯」を楽しめてる人はそれぞれのエモーションがあるのだと思う。
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