わたしのロツレチハヒ【第7話「正座論争の行方」】
「これを見てもらいたいんだ」
じんさんはテーブルの上に並んだ小皿やコップを少し押しやって作ったスペースにノートパソコンを広げた。
『和楽器のための組曲「湖北物語」』は現代邦楽曲だ。邦楽部の先輩達も定演やイベントで演奏してきた。映像を見ながら話そうというわけだろう。確かにその方が言葉で説明するより感覚的に共有しやすい。
琴も三弦も尺八もそれぞれ聴かせどころがあっていい曲だと思う。演奏するには少しでも目立ちたい。たとえ腕前に自信がなくともこの心理は働く。わたしだっていい音で吹きたいとモチベーションが上がる選曲だ。
「これは前年の学生邦楽フェスで大学生のサークルが演奏した映像だ。座奏による雰囲気がわかってもらえるんじゃないかな」
じんさんの作戦としては、尺八パートも座奏している事実をもとに説得しようというわけか。
「素晴らしい演奏だと思います。でも邦楽部の先輩方は『湖北物語』をイスに座って演奏してきましたよね。その流れがあるのに、なぜ敢えて座奏にするのかがわかりません」
「そうか。じゃあ視点を変えてみよう。日色さんは正座して演奏するとパフォーマンスが落ちると考えているんだよね。果たしてそうなのかな」
こんなときにどうかと思うが「敵もさるもの引っ掻くもの」という言葉が浮かんだ。とても理屈では勝てそうにない。こんなときは自然体に限る。わたしは僅か15年間ではあるが生きてきてそれを学んだ。
「だって足が痺れるんです。座奏で音出しをしているだけで。イテテテ、もうダメだって、雑念だらけなんですよ。曲に集中する自信がありません」
わたしはこれまでに溜まったうっぷんを吐き出すように語った。横ではまりながうんうんと頷いているのがわかる。彼女なりに精一杯応援しているつもりなのだ。
きっとじんさんは「たるんでる」などと精神論で反撃してくるだろう。そう来たらこちらだって「いかに痛くて辛いか」をありありと再現してみせるしかない。
脳みそをフル回転で対抗策を練っていたが、事態は思わぬ方向に進んだ。
「わかるよ。ボクだって正座に慣れるまで一年はかかったからな。きっと琴や三弦だって辛いんじゃないかな」
むむむ・・・ここで琴と三弦に振ってきたか。“お蝶夫人”から「座奏が当たり前よ」なんて言われたら一気に形勢は不利になる。
「津軽三味線は座奏もするけどわたしが通っている教室ではイスに座って弾くことが多いかな。わたしも座奏は苦手。正座が長引くときは正座椅子を使うの。それでも痺れちゃうけどね」
先に本音を明かしたのは倉田唯だった。するとそれを受けるかのように“お蝶夫人”こと嵐山美雪が口を開く。
「生田流でも師範から正座に対する考え方を変える時代かもしれないという声が聞かれるわ」
「え? 琴はやっぱり正座の方がしっくりきませんか」
わたしは何を言ってるの。つい正座を支持するような発言をしてしまった。琴には座奏が合う。本心なのだから仕方ない。
「正座をやめようというわけではないの。でも日常生活で正座をすることが少なくなっているのは間違いない。これから琴を学ぼうとする子どもたちに正座の意義を教える必要が出てきたのよ」
「はぁ・・・正座の意義・・・ですか」
「そう。わたしも琴は本来正座をして弾くものだと思うわ。でも頭ごなしに押しつけるのではよさを理解してもらえない。正しい正座を覚えればよりよい演奏ができるし、何より弾く姿が美しい。そこをまず教えなければ本当のよさが伝わらないのではないかしら」
「三味線も正座の方が姿勢が安定するのは確かね。だけど長年続けていると膝が痛くなるケースもあるらしいわ。だからイスで演奏する教室が増えているみたい」
「倉田さんも座奏は苦手だけど、よりよい演奏をするには正座も必要だと考えているんだね」
倉田唯の意見をじんさんが巧みに誘導する。そりゃあ「正座ありき」に賛成だろう。
座奏もやむを得ないという空気になってきた。さすがにわたしも「足が痺れる」の一点張りで押し通すのは無理があると感じた。
横目で合図を送ってまりなの助け船を期待したが諦めた。だってじっとうつむいて地蔵を決きめこんでやがるんだもん。
「ちょっとこの動画を見てもらえるかしら」
今度は副部長が自分のスマホを持ち出した。
「和楽器タイフーンの鼎さんが琴の社中と合奏したときなんだけど。座奏してるわよね」
「あ、ほんとだ。正座で尺八を吹く鼎さんも素敵!」
「それと。これは坂本堂山。あ、坂本堂山さまがワークショップで『はながたみ』を合奏したときのもの。羽織袴姿で座奏しているわ」
「えーすごいっ。初めて見ました。よく探せましたね」
「うふふ。スマホばかり見てるのがバレちゃうわね。皆が話しているのを聞きながら検索したの」
わたしもまりなも、推しが座奏するところを突きつけられては骨抜きにされたも同然だ。
それにしても嵐山美雪の“お蝶夫人”らしからぬ一面を見抜けなかったのが悔しい。じんさんとの共同作戦にしてやられた。
そのとき。
「これはおばちゃんからのサービスね。食べ盛りだからまだいけるでしょ」
コハルおばさんが、コーヒーゼリーにアイスクリームといちごがのっかったパフェを持ってきた。
「うわーうれしいー。手伝うわね」
倉田唯が大きな長手盆からパフェを配膳した。
「いいんですかおばさん。ありがとうございます」
じんさんも場が和んでほっとしたようだ。表情が明るい。
おばさんはそれとなく皆の顔や仕草を気にしていたのだろう。タイミングを見計らっていたかのように声をかけて空気を変えるなんて心憎い。
かくして「正座論争」はパフェのインパクトに圧されてフェイドアウトしていった。
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