わたしのロツレチハヒ【第8話「祖母失踪」】
「じゃあねー」
わたしはダモンを出てまりなに手を振りながら別れるといつもよりさっさと歩いた。
今日は父親が出張で帰らず、母親は町内の集まりで遅くなるらしい。祖母が1人で留守番しているはずだ。
柔らかな夕暮れを眺めながら、散歩気分を楽しみたいところだがそうもしてられない。
15分ほどで我が家に着くと玄関の鍵を開けて元気よく叫んだ。祖母は最近耳が遠いので大声で話すようにしている。
「おばあちゃん、ただいまー」
反応がない。
「ただいまー。おばあちゃん、今帰ったよー」
きっとテレビを大音量で見ているのだろう。祖母の部屋を覗いてみた。
「あれ?おばあちゃん?」
テレビはついておらず、祖母の姿はない。
「トイレかなぁ」
わたしはつぶやきながらトイレや風呂場、リビング、キッチンと探して回る。どこにも見当たらず、部屋を確認するうちに胸騒ぎがした。
昨年の11月に77歳の誕生日を迎えた。喜寿のお祝いとかでお寿司をとったのを覚えている。
自分の部屋でテレビを見ているか居眠りしている。そんな祖母だが足腰は丈夫らしく、普段の生活に苦労している風ではない。
「もしかして、外に出て行ったのかな」
わたしは玄関に急ぐと傘立てを確認した。
「ない。杖がない」
祖母は外出するときだけ紫色で花柄の入ったアルミ製の杖を使う。
玄関の鍵はいつも施錠するようにしている。特殊詐欺や闇バイト絡みの強盗事件など物騒なニュースが多い。そこで両親が安全対策のために決めた家族のルールだ。
だからわたしはてっきり祖母がいるつもりで鍵を開けて入った。実は祖母が杖を持って外に出て手持ちの鍵で施錠したのかもしれない。
自力で歩けるし散歩をすることもあるが、せいぜい家の周りをぶらぶらする程度だ。1人で出歩いて道に迷ったら。もし事故にでも遭ったら。そんなことばかり頭をよぎってしまう。
「どうしよう。どうしたらいい。そうだ携帯電話」
祖母は滅多に使わないけどガラケーを持っている。わたしのスマホから電話をかけてみた。
ピリリリ ピリリリ ピリリリ ピリリリ
「え、どこで鳴ってるの」
音の出所を追ってみたら祖母の手提げの中だった。
「もう。携帯しないと意味ないし」
わたしはぶつぶついいながら電話を切った。
「おかあさんっ」
やはりこんなときは母が頼りだ。
母の携帯に電話すると応答があった。
「あ、おかあさん!」
「ただいま電話に出ることができません……」
こんなときのアナウンスほど憎たらしく聞こえるものはない。
まったくもう、何やってんだろ。とにかくLINEしとこう。
メッセージを送ろうとしたら着信があった。
「えっ、じんさんからだ」
『お銀さん?に遭遇』
「お銀さん!まさか」
急いで開いたら写真を見て目を疑った。
「おばあちゃん!ピースしてるし」
メッセージによると、じんさんが犬を連れて水辺公園を散歩していたら出会ったらしい。状況から「お銀さん」ではないかとピンときて連絡してくれたようだ。
「すみません。すぐ行きます」
わたしは気が動転して電話をかける余裕すらなく、返信すると自転車に飛び乗った。
水辺公園は河川敷に沿って2キロほど広がる細長い公園だ。散歩やウォーキングコースにちょうどよい。しかし我が家からは歩いて10分ほどかかる。祖母の体力だとかなり厳しいはずだ。
わたしは自転車を漕ぎながらそんなことを考えていた。やがてモニュメントのある広場が見えてきた。
「おーい、こっちこっち」
じんさんが背伸びするように立ち上がって手を振っている。
その横には祖母がニコニコして座っていた。
日が暮れはじめて灯りがともりだした。河川敷ならではのそよ風が吹いてなんとものどかな感じだ。
「じんさん、ありがとうございます。おばあちゃん、探したのよ」
わたしは自転車から降りると、自分でも不思議なほど冷静に声をかけることができた。
「ごめんねぇ、かなえ。ちょっと散歩のつもりが道に迷っちゃったんだよ」
「なんで誰も居ないときに1人で外に出ちゃったの。心配したじゃん」
祖母はわたしの小言が聞こえたのか聞こえなかったのか。薄暗くなった空を眺めながら吐露した。
「急に寂しくなったんだよ。ケンイチは札幌に出張だっていうだろう。ミチエさんも町内の集まりで宴会。かなえもお好み焼きを食べに行って帰ってこない。わたしだけ置いてけぼりにされたみたいでさぁ。気晴らしに外の空気を吸いたくなったのよ。ちょっと散歩のつもりが調子よく歩いていたら道がわからなくなっちゃた」
「もうっ。でもよかったわ。どこかで事故に遭ってるんじゃないかってハラハラしたんだから」
じんさんは、わたしが落ち着くのを待っていたのだろう。祖母と孫のやりとりが一段落したところで成り行きを話してくれた。
「あれから帰ってダダを散歩させてたんだ。あ、ダダってこの柴犬の名前なんだけど」
水辺公園はダダの散歩コースでよく来るそうだ。「ダダ」の由来も気になるが、こんな状況なのでさすがにスルーした。
夕風に乗って歌声がわずかに聞こえてくるではないか。どこか懐かしい感じがして気になり、歌声の主を探しながら歩いた。
すると河原に降りるための階段に腰掛けて歌っているご婦人がいた。藤色のカーディガンを着ていたし、髪型からご年配の女性だとわかった。
「素敵な歌ですね」
「あらやだ、聴いてたの。『越後獅子』っていう長唄なのよ」
「『角兵衛角兵衛とまねかれて……』っていうところをかすかに覚えてるんですよ。そうか『越後獅子』なんだ」
「あなたお若いのによく知ってるわね。うちの孫とは大違いさね」
「お孫さんには歌ってあげないんですか。ボクだったら長唄を生で聴けるなんてうらやましいけどなぁ」
「ふふふ。わたしもね、若い頃は長唄三味線を教えてたんだよ。40歳頃にやめちゃったけどね。あの頃の姿を見せてあげたいよ」
「あの。もしかして『お銀さん』って呼ばれてました?」
「あら、なんで知ってんの? “お銀さん”って。そう呼ばれた頃もあったのよ」
「やっぱりだ。じゃあお孫さんは『日色かなえ』さんですよね」
「えっ、お兄さん、かなえのお友だちなのかい。なんか、こんなところでかなえのボーイフレンドに会うなんて。奇遇だねぇ」
「いえいえ、そうじゃないんですけど。高校の邦楽部で一緒に尺八を吹いているんですよ」
「邦楽部で尺八?あの子が尺八? びっくりしちゃったねぇ。家じゃそんなことちっとも話さないから」
「そうなんですか。実はかなえさんも『お銀さん』のことを知って驚いてたみたいです」
「だろうねぇ。わたしも長唄三味線を教えていたなんて話したことないもの。で、どこで聞いたんだい」
「お好み焼き・ダモンのコハルおばさんが話してくれたんです。以前に“お銀さん”から長唄三味線を教わっていたって」
「コハルちゃんが。お好み焼き屋さんやってんだ。そっか、コハルちゃんが。懐かしいわねぇ」
じんさんによると、初対面ながら『お銀さん』という呼び名をきっかけに意気投合して会話が弾んだらしい。
すでに日が暮れ始めていたから、心配してわたしに連絡をくれたというわけだ。
じんさんは我が家まで送ってくれるという。その言葉に甘えて、わたしは自転車を押しながら祖母と3人でダダをお供に歩いて帰った。
公園でのいきさつを話し終える頃には、邦楽部にいるときよりも親しみが湧いた。じんさんもそれに近いものを感じたのだろう。わたしを見ながら改まって切り出す。
「ごめん。日色さんにはどうしても話しておきたいんだ」
「まさか告白。だとしたらどうしよう」わたしは内心ドキドキしながら次の言葉を待つ。
「『湖北物語』の件だけど。正座の意義とか実はどうでもいいんだよ」
「はい?」
告白には違いないが、まさか正座論争の続きとは。わたしの胸キュンを返してほしい。
「ボクはどうしても全国大会に出場したい。イスよりも正座の方が印象に残ってアピールできると思った。だから座奏を提案したんだ」
「はあ」
なんと真面目でクソ正直な人なんだろう。足が痺れるから絶対反対などとごねていた自分が恥ずかしいわ。
「おやおや。いいねぇ若いって。正座でそんなに熱くなれるのかい。わたしなんかの時代じゃ考えられないよ」
「お銀さんに言われちゃ口答えできないわね」
わたしが素直だから祖母も笑っていた。
玄関前に到着してじんさんにお礼を述べていると、祖母はダダを撫でて名残惜しそうだ。
「よしよし。あんたはちゃんとわたしたちを送り届けてくれてありがとねぇ。ご主人さまのいうことをよくきくんだよ」
「やめてくださいよ、ご主人さまだなんて。ボクとダダは友だちのような関係ですから」
「そうだよね。今はご主人さまなんて言わないのかねぇ。かなえとも仲良くしてあげてね」
「やだおばあちゃん。ダダとわたしは同列ってこと。まいいけど」
「ははは。じゃあボクはこれで。お銀さん、またお会いできるといいですね」
じんさんは街灯に照らされながら帰っていく。その横でダダのくるりと巻いたしっぽが揺れている。
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