整体師とお坊さんとカカシ 第19話
是光は地元の高校を卒業すると仏教系の大学に進むことにした。いずれは父の後を継いで住職になるつもりなので、きちんと学んでおこうと考えたからだ。
一つには親元を離れて暮らすことへの憧れもあった。
お寺の息子とは言え血気盛んな年ごろである。邪念がないわけがない。むろん人様に迷惑をかけるような悪意ではなくほぼ異性への「妄想」なのだが。
仏教学部だけでなく教育学部や看護学部まで多岐にわたり、学生の男女比は全体だと半々程度。もっとも仏教学部だけならば男子が多い。
「よう是光、サークルは入ったのか?」
学生寮で親しくなった二年生の村田に誘われて演劇部を見学に行く。
中学高校と部活をせず寺の修行ばかりしてきた是光にとって新鮮な体験だった。
「新入生の是光くん。まだどこにも入ってないっていうから見学につれてきた」
「やったー、村田くんにしては上出来じゃん。部長の吉野かえで、三年生です。よろしくね」
胸元まである長い黒髪。小顔とほどよくバランスのとれたストレートヘアはきっとサラサラとした手触りなのだろう。細すぎない柳眉にアーモンドアイ、シュッと通った鼻筋と上品な口元、そのどれもが絶妙につりあっている。このような美しさを黄金比というのだろうか。白いトレーナーと黒いスリムパンツという服装も彼女が着ればファッショナブルに映る。
三年生なのでたぶん2歳しか違わないが、是光からすると大人の女性の魅力を感じたらしい。
「前田是光、一年生です。コレミツって呼んでください」
彼は見学を始める前に入部を決意していた。
部員は男子4人、女子5人、そこに是光が入り総勢10人だ。今のところ新入部員は是光のみ。毎年、部員集めには苦労するらしい。
4月末に行う新入生歓迎公演の練習中で、是光はいち早く見学させてもらうことに。
「『恩讐の彼方に』って知ってるわよね。それをアレンジしてコンパクトにしたの」
部長の吉野に言われてもピンとこないようで、首をかしげる是光。
村田がそれを見逃さなかった。
「中学か高校の教科書に載ってただろう。人を殺めた男が出家して、全国行脚の旅をするうちに九州の豊前国、今の大分県な。そこで人々が川沿いの難所の岩場で事故に遭い命を落とすのを見かねて、自力で岩場を削り20年以上かけて開通させたっていうやつ」
「あ、なんか覚えてます。たしか『青の洞門』」
「そう、それよ。うちは仏教系大学でしょ。できるだけ仏教に関係のある演目を選んでるの」
是光のリアクションを見て吉野が補足した。
菊池寛が書いた小説『恩讐の彼方に』は戯曲化され、昭和に入ってから何度かテレビドラマにもなった。
主人公は己が犯した主君殺しの大罪を悔いて出家し了海と名乗る。了海は難所の岩場に穴を掘って道を通そうと一人で削り出したが、周りは無茶な行動を白い目で見て相手にしない。
そんな彼の前に、成長した主君の息子が現われる。仇討ちのため全国を探し回って見つけたのだ。了海は洞門の掘削を終えるまで待ってもらえないかと頼む。掘り始めて21年目ついに開通すると、約束通り「さあ斬るがよい」と討たれようとした。しかし主君の息子は了海の慈悲に心を打たれ、仇討ちをやめて和解するのだった。
演劇部に入った是光は舞台で演じられる『恩讐の彼方に』を初めて見た。
了海は、もし仇討ちで斬られても「極楽浄土に生まれ変わる」のだからと命を委ねようとした。そんな彼に「仏心」を見た相手は刀を抜かず、手を取り合って涙する。
「了海が私心を捨てて人々の為に洞門を貫通させたからこそ、主君の息子は大慈大悲に感激したんだよな。冷静に考えれば、人が一生懸命に努力する姿は人の心を動かすということを言いたいんじゃないだろうか」
是光は自分なりの解釈を大学ノートに書いた。
「あぁーーーーー」
「もっと頭のてっぺんから抜ける感じで」
「はぁぁーーーーつ」
「そう、次は高音から低音へ」
稽古前に必ず発声練習を行う。
「是光くん、なかなかいい感じよ。腹式呼吸もできてるし」
部長の吉野に褒められるとモチベーションも急上昇する。
子どもの頃から父の隣で読経を真似ていた是光にとって発声は得意な分野だ。
ただし表情筋のストレッチを兼ねた発声練習は勝手が違う。
「あ」「え」「い」「お」「う」
それぞれ口を精一杯開いて腹の底から声を出し、それに合わせて表情を作るのがポイントだ。読経ではやらない発声方法だけにさすがの彼も戸惑った。
「ダメダメ!是光くんもっと口を大きく開いて!『う』はタコみたいに口を尖らせて顔面の全てを真ん中に寄せる感じで!」
きつい口調で指導する吉野もまた魅力的なのだろう。是光の生き生きとした表情を見ればわかる。
新入生歓迎公演の効果もあって一年生の部員が二人増えた。僅かながら早く入部した是光だが、心なしか先輩風を吹かしているようだ。
発声練習に慣れてくると、一年生も少しずつ舞台稽古を教わり活気づいてきた。
GW(ゴールデンウイーク)が近づいたある日、寮で村田が是光に耳打ちした。
「吉野かえでに彼氏ができたってよ。美人で才女だから当然だろうけど、なんかショックだよな」
「マジですか。でも部長ってモテそうだから、これまでいなかったのが不思議ですよね」
「おいおい是光くん、ムリすんなって。けっこう傷ついてるだろ。まあ、そのうちふさわしい女の子が現われるさ、気長にいこうぜ」
村田は励ましたつもりらしいが、是光は能面みたいな顔をしていた。
GW明けで学生たちも「五月病」とまではいかないが、どこかやる気が起きない模様。
部長の吉野かえでは部員を奮起させるため新たに稽古する演目を提案した。
「秋の定期公演に向けて大作に挑戦しようと思うの。遠藤周作の小説『沈黙』を元にアレンジして私たちでも可能な舞台作品にできないかしら」
「でも、たしか『沈黙』ってキリスト教をテーマにした小説でしょ?うちでやって大丈夫かなぁ」
副部長の安田が不安げに発言すると、吉野は待ってましたとばかりに答える。
「そこは私から顧問の南野先生に交渉してみます。だから、今日のところは提案まで。皆には『沈黙』を小説で読むか映像作品を見て意見を聞かせてほしいの。夏休み前にはどうするか決めようと思います」
是光は『沈黙』を知らなかった。遠藤周作は有名なので興味を引かれ、小説から読み、さらに映画版をDVDで観た。
『沈黙』はキリスト教禁止令が出されていた江戸時代の長崎が舞台となる。
日本にキリスト教を伝えるためやってきた宣教師フェレイラが長崎奉行所の拷問に堪えきれず棄教した。その真相を知ろうとやってきたロドリゴとガルペもまた奉行所に捕らえられてしまう。彼らはそこで長崎の潜伏キリシタンたちが幕府に処刑され殉教するのを目の当たりにする。
「神のご加護を」と祈るロドリゴだったが、度重なる苦難の末に「あなたはなぜ黙ったままなのですか」と問いかけた。
是光は『恩讐の彼方に』に重なって疑問が芽生える。
「出家した了海は岩場を削って洞門を開通したことで、仇討ちに来た主君の息子と和解できた。人は誠意をつくせば救われるのだと思った。でも『沈黙』では誰も救われない。いずれにしろ人と人の関わりで物事は動いてるように思えるんだよな。そこに神仏の存在はあるんだろうか」
吉野かえでへの片想いが儚く散ったこともあり、心の迷いは増すばかり。
傷心と失望で遅めの「五月病」となったらしいが、そこは僧侶の子である。情けない自分を俯瞰しているうちに思い立つ。
「よし、もうすぐ夏休みだ。自分が何をすべきかを見つけるため修行の旅に出よう」
前田是光が19歳のときだった。
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