過ごす:天井を押す
ここ1年くらいかけて分かってきたのですが、僕は人の話を聞くのが好きである。
ハンドリングする
僕はいろいろあって、人生を「死ぬまで現状維持でかまわない」と思って過ごしてきました。すくなくとも10年ちょっとくらいは。
その間いろいろあって、「音楽については本気出す」と前を向いたのですが、生活・仕事に関しては相変わらずでした。
けどこの1年くらい、いろいろな環境でいろいろな人と関わっていろいろな会話をする中で、「誰かから見える自分はベストな自分でありたい」と思いはじめました。
これは大いなる分岐点で、ベストな自分であるためには頑張らなきゃいけないんですよね。
ニュアンスが難しいんですが、結果として成長してなくてもよいです。
現状維持とは、何も力がかかってない状態。
ベストな自分とは、大なり小なり天井に圧をかけてる状態。
僕はツライのはキライなので、天井をちょんと押すくらいしか頑張りません。
けどそれでも、背伸びし続けることに意味はあるんだなって感じます。
まず、自分でハンドリングしている感覚。
セルフなんもしない人だったときと比べて、起こったことに対して「起こしたこと」という感覚を持つようになりました。
「起こしたこと」に対しては反省ができるんですよね。因果の意識が強いですから。
反省ができると、「次はこうしよう」と行動意欲が湧くんですよ。
そうすると廻り始めるのです。しかも自分で廻している。
この輪廻をハンドリングしている感覚は、生きているという実感に直結します。少なくとも僕の場合はね。
人の話は面白い
んで、人に興味を持ちはじめる。
人の話って、聞いてるだけで天井を押せるんですよ。
「読書とは他人の人生を追体験する行為である」とどこかの誰かも言ってました。
けど読むより聞く方が面白いだろ。
というか、書籍になるような偉人変人の話を期待してるんじゃなくて、僕の周りの人がどういう人生で、どう考えて、これから何をしたいのか、というのを知るだけでいいんだよね。なので、会話したい。
そして人の話を聞くときに大事にしているのがハンドリングです。
どうやって話しやすく話してもらうか、ということ。
話してもらう流れを作ることと、話してくれた内容に反応を示すことは僕の責任です。
また、1対1の場ってなかなか無いから、その場にいる全員に楽しく話してもらいたい。
大切なのは話題のタテ・ヨコ・タカサだと思っています。
話題に対して、深掘り(タテ)もしくは展開(ヨコ)の質問をして「その先」を話してもらう。話してくれたことに関心/感心することで話題の温度をあげる(タカサ)。
その話題を他の人にも振って「あなたの場合は?」を教えてもらう。そこでまたタテ・ヨコ・タカサの繰り返し。
これはね、面白いね。
そもそも話を聞けること/楽しく話してもらえることもそうなんだけど、スキルと献身性を駆使して場の空気が完成されていくことの達成感がですね、何とも言えないですね。
それと、幸い僕は人の話に対しての笑いの沸点が低いようです。聞いてるだけで面白い、、、
と思ってたんだけど、最近気づいたのは、タテ・ヨコ・タカサを意識しながら聞いてると、話の中の「面白さ」を自分で見出して、そこに対して笑えるんだなってことです。
そいういう意味でも話してもらえば話してもらうほど面白い。
再起動している
ただやり過ぎて、踏み込み過ぎてしまった、、ということも多々あります。
それは本当にスミマセン。
(内面的な意味で)若いですねと最近よく言われますが、まぁ精神が10年ストップしていたわけでそりゃ若く、というより幼く見えるんだと思います。「拙い」の方が近いはず。
天井を押し上げた先がベストに成長した姿だとは限りません。が、因果である以上は反省して四苦八苦していくのでしょう。少なくとも今の僕は。
そう考えると、僕と話すことで笑ってもらえることが僕なりの再起動なわけですね。
迷惑をおかけすることもあると思いますが、皆さまどうぞお付き合いください。
有給休暇を持て余して、ボヤッとアウトプットにいそしんだ午後の話。
では。
※2026/6/20 追記の記事を投稿しました
