過ごす:壁も押す
昨日投稿した「過ごす:天井を押す」の追記です。
そうじゃない
昨日投稿したあと、NotebookLMに記事を食わせて音声解説を聴いてにやにやしようと思いました。
が、プロンプトに「筆者の気づいていないであろう解釈・メッセージの分析」を加えたからか、以下のような提言をいただきました。
筆者は他者の人生を燃料に自身を再起動している
他者との会話をコントロールするという上から目線のようで、自身の存在を他者との関わりによって再確認している
言い方ェ、、、
概ねあってるけどよ。
特に、提言の中で触れられた、
天井を押すとは、自身の能力の底上げのようにも読めるが、実のところは他者との境界をノックし『ここにいるよ』と存在を確認することのメタファーでもある
とは、的をバッキュンだなと。
ただ、それらは別の観点であり混在させるとややこしい。ので、天井(自身)と壁(他者)を分けて、後者についても整理しようと考えた次第です。
あとなんか他者を利用してる感が強ェのよ。違ェのよ。
ちゃんとヒューマンとしての繋がり・感情面も言語化しておこうと思いました。
ただの壁じゃない
僕は元々人とのコミュニケーションは得意な方ではありません。
初対面/打ち解けてない人とのやり取りは緊張するし、頭は真っ白になるし、うまく話せなければ落ち込みます。また大人数の場も苦手なので話し相手を見失っては用もないのに用を足しに中座したり、スマホを開いて席に戻るのを遅らせたりも頻繁です。開けども、SNSはひとつも更新されておりません。
そんな奴が路上ライブなんてやるなよと思うかもしれませんが、まぁソレ=ソレ&コレ=コレ案件なのですよ。
そんな自分が人と話そうとしている。
「天井を押す」という話もしましたが、まずは何より僕の周りにいる人たちが素敵な人たちであることが、その始まりに他なりません。
僕は素敵な人たちと話しながらその人たちを好きになって、それによって他の人たちと話す意欲をもらっています。
僕を取り囲む壁は最初から鮮やかに彩られていて、僕は会話することでその模様を確かめて、そしてまた新しい壁をゆっくり押し広げているんですね。いま考えました。正しいです。
一緒に押そうじゃない
最近、自分が中心になってサークルみたいな集まりをしたり、1人でBarに入って初対面の人と話したりと、今までの人生からは考えられないアクションをしています。
それらの原動力は、やはりあなたと話して、あなたが笑ってくれたことです。純粋に、楽しいんだよ。
けどそんなアクションをしながら心の中はいっぱいいっぱいだからね。
一緒に作りましょう。光をあてて、手ざわりを楽しんで、グッと押しこんで、笑いあいましょう。
そんなわけで、血の通ったコミュニケーションの話さ。
僕の壁も押しておくれよ。
では。
