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【読書感想文】過去が未来を救う時

辻村深月『琥珀の夏』文藝春秋(2021年)

ところで、自意識過剰とはなんだろうなと思う。

自分のことばかり考えて、自分が人にどう見えるのかばかり考えて、人から見えていると思う自分に恥ずかしいと思ったり、劣等感を過剰に持ったり、自信満々になってしまったり。

自意識過剰な子供と言えるだろう、主人公のノリコは、正直辟易するくらい自分の都合と体面のことばかり考えている。

小学4年生のノリコは、友達のお母さんの勧めで、少々怪しげな〈ミライの学校〉という団体の夏合宿に行くことになる。

うまく同じ教室の子たちと交われないノリコ。

自分が考えていること、言ったこと、行ったことが、「変」に見えていて、それがもとでイジメられたり、仲間はずれにされたらどうしよう。

ノリコの自意識過剰さを、子供らしい可愛いものと思ったり、このまま大人になって、拗らせていくとしたら、生きづらいだろうなと思ったり。

小説内のノリコの描き方はものすごく極端にしても、多かれ少なかれなんとなく共感する人も多い気がする。

身に覚えがあるというか。

それも「痛い記憶」として。

少しでも集団から外れたら、許されない。呼吸もできない。生きていけない。

一歩も一手も、間違えられない。

その緊張の強さたるやいかに。

そんなノリコは夏合宿で、〈ミライの学校〉のミカとシゲルに出会う。

時は流れて、〈ミライの学校〉のことなど忘れた頃、法子は一児の母であり、一人の弁護士になっていた。

そのニュースは、〈ミライの学校〉がかつてあったところに、身元不明の白骨化した女児の遺体が見つかったというものだった。

法子はノリコであることを、反復しながら、思わぬ形で〈ミライの学校〉に関わっていくことになる。

〈ミライの学校〉の特色は、親と子供をひき離すこと。子供だけの世界を作り、子供は先生に導かれながら、〈問答〉を通して思考を深め、自ら考える力を身につけていく。

白骨化した遺体は、かつて夏合宿で出会ったミカなのか。

物語前半を読んでいて、私はこの物語はノリコ・法子の自意識過剰さや、子供と親の関係、考える力を養うというお題目のうえに、現実世界でも蔓延る「思考術」みたいなものの危うさを描きたいのかと思っていた。

その通りでもあり、違ってもいたのだけど。

法子は、〈ミライの学校〉のとある人物の弁護をすることになる。

過去というものは、未来の自分にとって、何であるのか。

それは人によって異なりながら、確実に言えることが2つ。

未来の自分を救うもの。

未来の自分の足枷となるもの。

過去の行いを、自分は忘れてしまっても、何もかもが失われるわけではない。

人は一人で生きているわけではないから、過去の自分はまるで分身のように、誰かの心に残っている。

希望の灯火として、絶望の影として。

過去の私。

未来の私。

過去のあの子。

未来のあなた。

何の関係もないようでいて、複雑に絡みあって、地続きになったこの世界。

今、未来の自分のために何かを選ぶことは、過去の自分故かもしれないし、何かを選べないことも、今も過去の何かに縛られているからかもしれない。

過去を無視しては、未来は選べない。

過去があるから進めないし、過去があるから進んでいくこと、変わっていくこともできる。

過去が未来を救う時。それは、薄く儚くても、かつてそこにあった、確かなしるし。

人物たちがどう選択肢し、生きていくのか。

辻村深月さんらしい視点で、自意識過剰な子供たちの、生きづらい心の揺れが、息苦しいまでに濃密に描かれる。

深海魚が水面に上がる時は、本当は死ぬ時なのだけど、不意に水底から水面の景色に憧れて、呼吸を求めて、そして無事に水面まで浮き上がることができたとしたら、深海魚は違う生き物になれるのではないか。

深海魚のような希望を持って、過去の私と未来の私を繋げてみる。


【今日の川柳】
お題「早起き」
ことわざは 徳というけど 眠いだけ

【今日の英作文】
偽りの希望を与えるくらいなら、最初から黙っておいたほうがいいと思う。
I'd rather keep silent from the beginning than give false hope.

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