四十八文字の話『マ』新シリーズ「摩訶不思議」宗教弾圧1 出雲の神々が全国で祀られている日本。この日本では敗者側の祀る神々を廃する事などはしてはこなかった。
◯「比叡山焼き討ち」は「宗教弾圧」か?

歴史上有名な織田信長公による「比叡山焼き討ち」。
日本においては稀に起きた「宗教弾圧」だ、と言われています。

ですがこれについて作家「伊沢元彦」氏は下記の様に述べています。
……信長による比叡山焼き討ちは、宗教弾圧にはならない。もし仏教に対する「宗教弾圧」というのならば、比叡山延暦寺だけではなく、当時の織田家領内にある全ての寺を焼き討ちにしていたはず。ましてや、仏教の布教活動などを禁止してはいない……
つまりあくまで戦略上の必要性から派生した「焼き討ち」にすぎない、という事デス。
皆さんの殆どの方はご存じかと思います。
戦国時代、名のある大寺(延暦寺、本願寺など)や「一向一揆」などはかなり強力な軍事勢力を誇っており、言ってみれば立派な「戦国大名」の様だった、との事です。

それらをそのまま放置していれば、いつか自分がやられてしまう、と危機感を持つのは当然の事。
ですので戦の「常套手段」である「先手必勝」、信長公は自分がやられる前に延暦寺に攻め込んだ、という事になるかと。
◯では、仏教がまだ日本に伝来していない太古の時代、この日本において「宗教弾圧」は起きたのかな?
まず「宗教弾圧」が何故起きるのか? という点を考えると下記の様な理由が有るかと思われます。
①自分達の信じる神様、教義との違い
宗教が違うと文化や生活習慣も違うため、その民族に対してどうしても感じてくるのが「違和感」、そして「嫌悪感」
②被征服民族を服従させるため
一度征服した民族を「無抵抗」にするための最も有効な手段は、その民族が今まで継承してきた文化、生活習慣、そして宗教を根ざやしにする事
古代からユダヤ教、キリスト教やイスラム教を教義とする民族間での戦いが行われ、戦勝側は敗戦側の人々を奴隷にしたり、弾圧などを行ってきましたよね。

ヘブライ民族(ユダヤ人を含む)の人々

イスラム民族の英雄「サラディン」
ではこの日本ではどうだったのでしょうか?
まだ仏教が伝来していない時代、「宗教弾圧」という事件は発生したのでしょうか?
……「天孫族」 対 「出雲族」……
太古の時代の闘いで有名なのが「国譲り」の話です。
「日本書紀」「古事記」によれば、
……話し合いで平和的に解決した……、と記述されていますが。
でも皆さん、本当にそうなんでしょうかね?
それまで暮らしていた自分達の土地にいきなりやって来て、「明日から我々の土地とする」と言われたら皆さんはどうします?従いますか?

普通に考えるまでもなく当然「闘い」が行われた、と想像出来ませんか?
またリーダーがその要求を受け入れとしても、一般民衆の中から「抵抗者」が必ず出てくるのでは、と思います。
闘いが行なわれ、そして勝ち負けがハッキリすれば、勝者は敗者に相当な弾圧を実施するのが「世の常」です。
では「国譲り」以後の古代日本では、「宗教弾圧」は行われたのでしょうか?
◯敗者側の「出雲ノ神々」を祀る神社が今でも日本全国に鎮座しているのは何故ですかね?
「国譲り」で負けたのは「出雲」。
世界の常識から考えれば、出雲に対して相当な弾圧が、もう二度と抵抗を起こさせないために、それまで出雲の人達が信じて祀っていた神々達、そして祭祀場(=【神社】と呼ばれる以前の祈りの場)は廃されてしまうのが当たり前!な事だと思われます。
ですが皆さん、太古の日本でそんな事が起きた、と聞いた事は有りますか?
そして今現在、日本全国に敗者側の【出雲ノ神様】を祀る神社がかなりの数鎮座しているというれっきとした事実。
これはどういう事だと思いますかね?
この辺の事情のヒントになるかもしれないのが「日本書紀」「古事記」に記されています。
出雲の「大国主大神」は「国譲りの条件」として
……國は譲りましょう。ですがその代わり、私を祀る祭祀所(現在の【出雲大社】)を建てて下さい。云々……。

この経緯を俯瞰すれば、天孫族は日本全国に「出雲ノ神々」を祀る神社を認めた理由となった、かも知れません。
ですが下記の件を観てみるとそんな理由などあまり関係ないのでは、と思ってしまいます。
〇武蔵国「氷川神社」について
ご存じ『素戔嗚命』(スサノオ)を祀る有名な神社デス。社伝によれば、鎮座したのは第五代「孝昭天皇」(こうしょうてんのう)の御代、紀元前四七三年、との事です。

※皆さん、ここで是非注意して頂きたいのは、「紀元前〜年」というと、簡単に「大昔」「太古」「古代」などとの一言で一括りにしないで下さいね。
「国譲り」から第五代天皇の御代、この間の年数はどれくらいだと思います?
色々な説が有り、確かな年代は確定されていませんが、かなりの年数が経っていますよね。
例えば
…第五代孝昭天皇御代 ⇒ 紀元前四七三年
…第一代神武天皇の即位 ⇒ 紀元前六六◯年
この二つの出来事だけで「一八七年」の開きがあります。更に「国譲り」は『天照大御神』の時代の話ですので、第一代神武天皇から「五世代前」頃の話、となります。

先程の『大国主大神』の話は「国譲り」の頃です。ですので「国譲り」の時代から現在の埼玉県大宮市に鎮座する氷川神社が建てられるまでは、少なくとも「四百〜五百年」以上ものかなり長い年月となります。
……「私を祀る祭祀場を建てて欲しい」……
その願いの延長上に【敗者側】の出雲の神様とされている『素戔嗚命』を祀る「氷川神社」が建てられたのでしょうか?
四〜五百年もの時を経てまで?
どうして【勝者側】の天孫族が「弾圧」もせずに?
更に同じ武蔵国には、出雲系とされる『五十猛命』(イソタケル イタケル)を主祀神とする「杉山神社」群も建てられています。
※『五十猛命』は『素戔嗚命』の息子とされています。
これはどういう事何でしょうか?
何故、パレスチナ、西洋の世界で起きた「宗教弾圧」が、日本では起きなかったのでしょうか?
……次回に宜しくデス😇
・第二話
