20260108-09東京_研修&視察:地域未来ビジョン創造セミナー_宇野書店_喫茶ランドリー_羽根木プレーパーク
地域未来ビジョン創造セミナー
井原市であった岡山県市議会議員研修に続いて、全国市議会議長会主催の議員対象セミナー「地域未来ビジョン創造セミナー」に参加しました。ベルサール汐留で開催されました。東京には何度か来ていますが、汐留に来たのは初めてでした。
飛行機の時間の関係で早く到着しすぎたので、すぐ横にあった浜離宮を、一緒に来ていた緒形さんと随行の議会事務局職員の方と散策しました。

日本庭園の風景とビルの林立するシティビューのコントラストが美しかったです。
池谷裕二:AIがもたらす未来〜人工知能の現在とこれからの社会〜
1. 講演:AIと人間の本質について
1.1. 講演の核心的議論の要約
脳科学とAIの専門家による本講演は、AIの進化が「人間らしさ」の定義を根底から問い直す契機になると論じる。AlphaGoがプロ棋士を凌駕した「直感」やカウンセリングAIが高い評価を得た「共感力」といった事例は、従来人間固有の強みと信じられてきた(あるいは、そうあるべきだと教えられてきた)能力が、むしろAIの得意領域であることを証明した。この事実は、AIが人間の弱さを映し出す「鏡」として機能することを示唆する。例えば、人間から学ばない方が強くなったAlphaGo Zeroの事例が示す「認知バイアス」や、チームゲームでAIがサポート役に徹せざるを得なかった状況が浮き彫りにした「協力関係の拙さ」は、我々が自らの非合理性を客観視する好機となる。そして、計算や論理を超えた真の人間らしさとは、物理的な身体性、作り手の人生や経験といった「物語」を背景に持つ芸術への共感、そして内発的な動機である**「人生を楽しむ」という欲求**にあると、本講演は結論付けている。
あまり期待をせずに、どちらかと言うと値踏みするような感じで聞き始めました(性格が悪い)が、予想に反して非常に面白い講演でした。AIが人間に勝っているものとして、創造性や気遣いなどが提示されていたのは私個人としては、特に気遣いの部分が、目新しく感じました。講師の池谷先生の様子から会場は納得してないような感じの反応だったのが面白かったです(最前列だったので、会場の様子は確認できず)。AlphaGoが人間の棋譜を学習しない方が強くなった(常識に囚われない可能性の試行が可能)、オンラインゲームのチームにAIプレイヤーを入れると勝率が爆上がりし、かつ人間を助けまくる(人間同士が助け合っていない)、AIカウンセラーの方が共感力が高いと人間は判断する(かつAI相手の方が秘密を打ち明けやすい)などの話は、非常に示唆深いと思いました。それでも、人間は身体を持っているという点が圧倒的なアドバンテージである、アントロポフィリア(人間は人間が好き)といった点が人間が人間である必要性であり、かつ培ったセンスや見識をもとに判断するというのが人間性であるという点は首肯します。電力の話も懸念点としてふれられていました。自分が行ったAI研修でもふれていた点なので、要点をおさえることができていたなとホッとしました。センスや見識をある程度培った状態でAIに臨める私たちとAIネイティブな状態でセンスや見識を培わねばならない次世代について質問しました。五感という身体性が重要である点と私たち旧世代とは全く感覚や価値観の異なる世代が生まれるだろうお話でした。私の前に質問していた人が講演の最中ガン寝をキメていたのに、堂々と質問していたのに驚きました。
佐々木貴文:漁業から見た日本の安全保障問題-国境紛争と外国人依存-
2. 講演:日本の漁業と安全保障について
2.1. 講演の核心的議論の要約
漁業専門家による本講演は、日本の漁業を単なる食料生産業としてではなく、国家主権と安全保障に直結する重要な**「国境産業」**として再評価する必要性を強く訴える。講演者はこの現状を、明治期以降、漁業が国境画定と主権主張の道具として戦略的に活用されてきた歴史的文脈の中に位置づけ、その現代的課題を論じる。日本の漁業は、漁家一世帯あたりの構成員が3人を下回り、産業としての再生産が極めて困難になっている深刻な高齢化と後継者不足に加え、中国、台湾、ロシアといった外国漁船団による日本周辺漁場への進出という外部からの強い圧力に晒され、国家の基盤産業として衰退の一途を辿っている。特に中国は、武装した海上民兵を含む漁船団を事実上の「第三の海軍」として運用し、尖閣諸島周辺などで日常的に日本の主権を脅かしている。周辺国が漁業を地政学的な道具として戦略的に利用する中、国境の最前線たる漁業の弱体化は、食料安全保障のみならず、領土保全という国家の根幹を揺るがす直接的な脅威であると警鐘を鳴らしている。
講師は北海道大学の佐々木貴文先生でした。佐々木先生の漁業という産業に対する学問的パッションが全面的に感じられた講演でした。すごく楽しそうに、アドレナリンが出てるんだろうなぁという講演で、久々に「知的変態」(褒め言葉)を見ました。
私は人生の大半を海から遠い地域で過ごしています。なので、海はすごく遠くに感じる存在です。海に行くたびに、「なんか怖い」といつも感じます。太平洋の広さは、見るたびに感動します(数えるほどしか生で見たことがありません)海の側で暮らしたこともありますが、工業都市だったので漁業とは縁遠い感じでした。自分が知らない世界を自分とは全く異なり視点から語る佐々木先生の話はとても興味深いものでした。ただ、典型的なポジショントークであり、地方議員に対するロビー活動だなと感じました(それはそれでよいのですが)。私とは政治的な思想が全く異なる人だなと思いました。普段あまりそうした人の話を聞くことがないので、貴重な機会でした。
漁業を通じた海洋権益の確保は「国力」による、海洋国家日本の復活のためには「国力」が必要というお話でしたが、「国力」が減退している衰退期にある国である日本なので漁業を通じた海洋権益を失っていくのは当然ではないかと私は思いました。中国や台湾の海洋権益確保への意欲を説かれていましたが、中国は経済力も軍事力も強大な世界の覇権国家です。台湾はテクノロジーを背景とした民主主義を体現する国であり、世界的にも高いプレステージを誇っています。そうした国と斜陽国家である日本を比べても仕方がないのでは?と思ってしまいました。
台湾が海洋権益の分野では中国と協調したり、日本と反目していたり、フィリピンとの間で係争関係にあるということも初めて知りました。面白かったです。
宇野書店
1. 宇野書店(東京都豊島区・大塚)
【批評家・宇野常寛氏が手掛ける「庭」としての書店】
2025年8月、大塚駅北口のオフィスビル内にオープンした、批評家・宇野常寛氏(PLANETS)プロデュースによる実験的な書店です。「都市緑化」などを手掛ける東邦レオとのコラボレーションにより誕生しました。
最大の特徴は、消費社会やインターネットの喧騒(=市場)から距離を置き、固有の時間を過ごすための「庭」というコンセプトです。店内には宇野氏が選書した約6,000冊の人文・社会・サブカルチャー関連書が並びますが、単に本を売るだけでなく、入場料を払って靴を脱ぎ、人工芝の上でくつろげる「滞在型空間」として設計されています。
無人運営(セルフレジ導入)でありながら、選書という強い文脈によって空間の質が担保されており、コワーキングスペースでも図書館でもない、都市における新たな「私設の公共空間」のあり方を提示しています。

宇野常寛による『庭の話』を読み、宇野常寛の提唱する「庭」概念が今後の公共性におけるキーになると思っています。その「庭」概念を現時点で体現する場所として宇野が実験的に運営しているのが宇野書店です。現時点における宇野常寛による「庭」が、宇野書店だと言えるでしょう。
宇野書店はそうした場所なので、「庭」概念をそれを考えた人が具体化するとどうなるのかを実際に見るために訪れました。
訪れて最も驚いたのは誰もいないことです。無人書店であり、無人コワーキングスペースなので、店内には誰も存在しません。店内にあるのは書籍と無人レジのみです。広告も手書きメモのようなポップ以外にはありません。書籍自体の帯文など広告的な要素がゼロではありませんが、事物(本)と向き合いながら、立ち読みをするのか購入をするのかなどの交流をもつことができます。宇野の言う「庭」概念の条件の一つである「人間ではなく事物との交流」はこういうことかと思いました。そもそもの選書や置き方、置く場所などは宇野(もしくはスタッフ)によるものです。これは利用者(である私)にとって、「庭」概念のもうひとつの条件ある「自身にはコントロールできない、異なるアルゴリズム」です。
こうした空間の中で、利用者は無料で時を過ごすことができます。このような場所は、ほぼ全ての「公共的」空間が貨幣によってその利用を保障され、貨幣によって万人に開かれている東京という都市の中において貴重な空間だと思いました。
書店という資本主義経済に則った存在を装いながら、それに真っ向から対峙する空間でした。特に東京の街を歩くと至るところにある広告に目が疲れます。そうした「うるささ」もなく、静的な空間の中で時を過ごせるのもよいと思いました。私の他にも利用者はいましたが、交流はないものの思い思いの過ごし方をしながら空間と時間を共有していました。この記事の一部も宇野書店で執筆しています。
共同体はそのメンバーを包摂するが、メンバーとメンバー以外の間に線を引くことで共同体を存立させているため、メンバー以外を阻害するものである。醤油を貸し借りできる関係とよく言われますが、この関係性においてはこの人には貸すけど、この人には貸さないという関係性の不安定性や恣意性が存在します。これに宇野常寛は警戒感を表します。こうした共同体の恣意性はセーフティネットとして脆弱であるというのが、共同体によって阻害される側にいる(と自称する)宇野常寛の主張です。それよりは、数百円を差し出すという行為によって、醤油を手に入れることが万人に開かれている資本主義の方がセーフティネットとして強固であると彼は言います。私はこの主張を理解し、納得しますが、それと同時に、小田圭介さんなどの話を聞いているので疑問を持たざるを得ません。これに対する答えを現時点での私は持ちません。今後、これを考えていきたいと思います。
喫茶ランドリー
2. 喫茶ランドリー本店(東京都墨田区・千歳)
【「どんな人も受容する」私設公共空間のモデルケース】
2018年、墨田区の住宅街にある築55年の建物をリノベーションして生まれた、「まちの家事室」です。株式会社グランドレベル(田中元子氏・大西正紀氏)が運営し、「1階づくりはまちづくり」という理念を体現する代表的なスポットです。店名の通り洗濯機と喫茶スペースが同居していますが、ここは単なるコインランドリーカフェではありません。「洗濯」という日常の行為を媒介にすることで、地域住民が目的なく立ち寄れる「言い訳」を用意し、客と店員という境界線をあえて曖昧にしています。ミシンを持ち込んで作業する人、仕事をする人、ただお茶を飲む人が緩やかに混ざり合う光景は、行政主導の公民館とは異なる、民間だからこそ実現できる柔軟な「公共(サードプレイス)」の形として、全国の地域活性化事例から注目を集め続けています。

喫茶ランドリーは、『庭の話』の中で紹介されていた場所です。『庭の話』を読んだ後、田中元子さんの著作や株式会社グラウンドレベルのサイト、大西さんのnoteの記事を拝読しました。
勝手に町中でコーヒーを振る舞う場を作る「マイパブリック」、町中のあらゆる所にベンチを置いて、歩ける街を作る、ベンチを介してつながりを創出すること目指す「ベンチプロジェクト」、1階という人間目線での街づくりを目指す「グラウンドレベル」など田中元子さんの実践はどれも私が憧れをもってやってみたいなと思うものです。宇野書店と同様に、これらの実践の一つの表現として喫茶ランドリーがあるのだと思います。そう考えて訪れました。喫茶ランドリーで私がもっとも注目しているのは、その場所を目指して行かないという点です。これは『庭の話』の中で言及されていました。喫茶ランドリーには、洗濯機と乾燥機が店内に設置されています。これはコペンハーゲンにあるカフェ併設のコインランドリーに着想を得たものであると『1階革命』の中で語られていました。大阪などの関西にも事例があるようです。イートインスペースのようなイスとカウンターが設置されているコインランドリーやイスと漫画や雑誌が設置されているコインランドリーを実際に見たこともあります。このアイディアは、洗濯や乾燥をしに来る(事物との交流)ついでに他者とのつながりが、(ついうっかり)創出される(かもしれない)場所です。つながりや共同体を求めて行っているわけではない人々が偶然集い、出会う場所に、その人々が関係し、交流する仕掛けがあることで、そこが共同体を創出する(かもしれない)公共空間へとなると思います。こうした視点をもって普段自分が利用しているコインランドリーを観察してみると、コインランドリーには老若男女あらゆる人々が利用しに来るということが見えてきます。こうした人々の結節点としてコミュニティナースなどの仕掛けをすることを一つの可能性として現在、考えています。
こうした考えをもとに、実際にその現場を見てみたいと思ったのが今回喫茶ランドリーを訪れた理由です。
今回も朝にランニングをしました。余談になりますが、今回のランニングコースはポリタスTV(津田大介)、『爆弾犯の娘』、宇野常寛の聖地巡礼歴なコースでした。
偶然、1/1のポリタスTVで『爆弾犯の娘』(未読)で登場する池袋周辺を実際に歩くという番組がありました。既に池袋駅前のホテルと予約していたのですごい偶然だと思いました。実際に番組で紹介されていたコースを辿りながら、津田大介さんの出身校である都立北園高校を通り、宇野書店を明るい中で再訪し(利用したのは前夜)、全く別件ですが町中にひっそり自然に存在しているマスジド大塚(モスク)を発見しました。

こうしてイスラームというこれまでの日本社会に縁遠かった宗教の宗教施設が街並みに包摂されているのを見ると、安心します(実際には多くの苦労があるのでしょうが)。
洗濯物を喫茶ランドリーで洗濯している時間内を喫茶ランドリーで過ごそうと予定していました。そのつもりで洗濯機を利用しようとすると、洗濯機の機械的な理由で洗濯から乾燥まで3時間程度かかると店員の方に言われました。次の予定もあったので、3時間は無理でした。3時間を捻出できないような時間間隔の現代社会もどうかと思いますが、洗濯や乾燥に3時間をかけることはかなり厳しいと思ってしまいました。店員の方から近所のコインランドリーをオススメされてしまいました。
洗濯という目的を果たすために訪れる場所に、カフェという交流や社交の場が併設する。「ついで」を仕掛けることで、思いもよらない人と人との関係性やつながりを(ついうっかり)創出するという仕掛けが、これでは台無しだなと思うと同時にやはり本に書いてあるようにきれいにはうまくいかないのだなということも感じました。これは実際に訪れることなしにはわからなかったことなので良かったです。

残念ながら公民館的な使われ方や「ついで」に集っている人たちを観察することはできませんでしたが、近所の人たちが集う心地よい喫茶店として機能しているのだろうなという様子をうかがうことはできました。荷物をバックパックへと入れたかったので、洗濯機の前にある家事スペースを使わせてもらいました。確かにこうした大きめの作業スペースが利用しやすい形であるといいなと思いました。
羽根木プレーパーク
3. 羽根木プレーパーク(東京都世田谷区・代田)
【「自分の責任で自由に遊ぶ」日本初の冒険遊び場】
1979年、世田谷区の羽根木公園内に開設された、日本初の常設「冒険遊び場(アドベンチャー・プレイグラウンド)」です。「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに掲げ、通常の公園では禁止されがちな「火の使用」「穴掘り」「木登り」「水遊び」「木工」などが自由に行えます。この場の本質は、禁止事項を極力なくし、子どもたちの自発性と創造性を最大限に尊重する運営体制にあります。運営は世田谷区と地域住民(NPO法人プレーパークせたがや)との協働事業として行われ、遊びの指導者ではなく、子どもの活動を見守り環境を整える「プレーリーダー」が常駐しています。過度な安全管理が求められる現代社会において、リスクを含めた「本気の遊び」と、それを支える地域コミュニティの自治機能が40年以上維持されている点は、都市公園のあり方を考える上で極めて重要な事例です。

以前からプレーパークについて勉強したいと思っていました。あまりよくわかっていないこともあり、実際にこの目で見たいと思い、月に1回の見学・視察日がちょうどよい予定だったので、今回視察をしました。
来て、運営をしている人から実際に話をきかないとわからないことがあるなと改めて思わされました。羽根木プレーパークは、50年ほど前にある夫婦の取り組みから前身となる実践が生まれ、1979年に事業化されました。ごく少数の住民の動きからスタートし、しっかりと地域の中(を越えて)に根付いています。
私が訪れた時も、子どもたちが自由に遊んでいました。到着早々、マッチを借りにくる子がいたり、焚き火をしたり、火でじゃがりこを焼いたり、木や竹をのこぎりで切ったり、倉庫の屋根に登ったりしている子がいたりと、なかなか「普通」の公園では見ることのできない光景が広がっていました。木製のテーブル台の将棋盤や腕相撲用の台、ゲームセンターにあるようなホッケーの木製版など様々な仕掛けがありました。当日のお話にもありましたが、私自身フィールドアスレチックとプレーパークを混同していたように思います。プレーパークにおいて、そこで遊ぶ人間はサービスを享受する消費者ではなく「遊ぶ主体」として尊重されます。運営に携わるプレーワーカーの方々からのお話をうかがうと、この理念がなかなか伝わりづらいということでした。プレーパークの理念やビジョンを共有し、広めていきたいと思うが、広くそれを広めていこうとすればするほど、つまりマスにアプローチするマスメディアになろうとすればするほど、理念やビジョンは薄まり、その核心となる部分が伝わらず上辺や表面だけを模した「まがいもの」が広がってしまいます。プレーパークに限らず、どのような取り組みにおいてもこうした難しさはついてまわるのだろうと思いました。
そして、羽根木プレーパークは行政の事業として運営されているプレーパークです。これが実現するためには、行政の中に初期の理念やビジョンを深く理解、共感し、その実現のために奮闘する人物の存在があったようです。ただ行政組織に必ずついて回る異動によって、そうした人物を失ったり、構築された関係性が損なわれてしまうこともあり、それが運営上の難しさにつながっているようでした。現場、運営、そしてそれを支える行政や企業など、関わるあらゆるセクターにおいて理念やビジョンが共有され、情熱だけでなく「受苦」という意味におけるパッションをもった人々が必要なのだということを深く感じました。

また、パッションを継承したり、それを持つ仲間たちを増やしていくための仕掛けをしていくことも必要なのだとわかりました。羽根木プレーパークの中で、自主保育をしているグループがあることも教えてもらいました。私は自主保育についてほとんど知識もないし、脳裏に浮かぶこともほとんどない言葉だったので、実際にそうした実践を行っている人たちを目にすることに驚きを感じました。これらのプレーパークを利用する団体の中から世話人へと転身する人もいるそうで、自主保育や森のようちえんといった取り組みに携わる人たちは、プレーパークとも理念的な親和性が高いということを教えてもらいました。実際に、自主保育グループの人たちが育てて、取れすぎた野菜が振る舞われていました。こうした光景は田舎でしか見ないものだという先入観があったため、驚きました。プレーワーカーの方が、焚き火でパンを焼いていて、私もひと欠片いただきました。

プレーパークはすごく手間暇をかけないと作ることも難しいし、継続していくことも難しいと思いました。ただ、そうした手間暇をかけてでも「プレーパーク的な何か」を自分たちの日常の中に入れ込んでいくことは重要だなと思いました。
今回の視察によって、真庭市で実施されている「遊びの日」や中央図書館での取り組みなどの理解に補助線が引かれ、解像度が上がったように思います。
近年、プレーパークの運営に乗り出す企業も出てきています。中には経済的な利潤追求を目指した資本主義的な経営を行っているプレーパークもあるでしょう。そして利潤追求をその存在意義とする株式会社が運営すれば、そうなってしまう蓋然性が高いことは想像に難くありません。ただ一方で、コミュニティナースに企業がお金を出すように、COTENの深井龍之介さんが言う「意味価値」に投資をする企業が出て来始めていることを考えれば、企業がプレーパークの理念やビジョンを深く理解した上で、運営やサポートをすることも考えられるのではないでしょうか。
実際に羽根木プレーパークでも地域の企業による支援で滑り台のような大きな木製の構造物が作られ、設置されていました。

番外編
Anker Store & Cafe
初日のセミナー中、iphoneの充電が心許ない感じになってしまっていました。モバイルバッテリーがあるからと呑気に構えていましたが、モバイルバッテリーの充電をし忘れていました。汐留から宿泊先の池袋まで行く方法もiphoneがなければよくわかりません。iphoneがなければモバイルSuicaも使えません。一気に緊張感が高まります。セミナーの行きがけにAnker Store & Cafeを発見して、時間があれば行きたいと思っていたので、少なくともケーブルは調達できるだろうと思って訪れました。Cafeの各座席にケーブルと無線の急速充電が完備されていました(もちろんWi-Fiも)。個別のブースには配信や会議などの機材も揃っていました。ロボット掃除機のEufyも設置されていました。充電と休息がコンセプトのようでした。充電機器メーカーのAnkerによるこうした取り組みは非常に面白いし、助かると思いました。遠慮することなく充電できるし、充電設備も高スペックです。都市部だけでもいいので、もっと展開してほしいと思いました。


東京藝術大学-藝大アートプラザ-
少し時間があったので、以前から興味のあった藝大アートプラザを訪れるために上野の東京藝術大学に行きました。いつものように池袋から上野まではレンタルの自転車で移動しました。

藝大アートプラザは、現役生や卒業生のアーティストによる作品が展示、販売されているギャラリー兼ショップです。
普通の大学にはない(できない)取り組みであり、とても面白いと思います。求めやすい価格の作品からしっかりと芸術作品だなという価格設定のものまで幅広くありました。また機会があれば訪れたいと思います。
ちょうど隣の建物で第10回東京都特別支援学校アートプロジェクト展が開催されていたのでのぞいてみました。
良いなと思う作品がいくつかありました。やっぱり市議会議員という肩書はすごいなと思わされることがありました。偶然その場に居合わせた(たぶん)東京都の教育長(よくわかっていない時点で失礼)にお声がけいただき、アートプロジェクト展のことなど色々と教えていただきました。チラッと出来心で訪れた展覧会でプチVIP待遇をしてもらえるのだから、議員という肩書の強さを改めて感じました。つけあがらないようにしなければいけません。
レンタル自転車
数年前から東京で移動をする際に、できるだけレンタル自転車を使うようにしています。電車よりも安いし、満員電車を避けることができます。そして何より電車だとただ通り過ぎてしまうだけの街並みを実際に体験することができます。東京の地名だけはメディアの影響で知っているものの、実際にどんな街並みなのか、どんな地形なのか、どんな位置関係なのかを把握することは地方に住む私にとって困難です。何度東京を訪れても電車に乗っているだけでは、その状況は全く変わりませんでした。しかし自転車で移動をし始めてから、この大学、学校、企業、寺社仏閣、ランドマークなどはこういう場所に、こんな風に存在するのかと実体験できるようになりました。坂が多いなとかこのエリアは住宅街だな、こことここの距離感はこんな感じなのかなども分かるようになってきました。また電車を使うと意外と乗り換えや地下鉄で地上に出るのに時間がかかったり、出口がわからず迷ったりします。しかし、自転車だとそれもありません(目的地からポートが少し遠い場合はありませすが)。オススメです。

