〜私のこれまでの人生〜生い立ち②
ここまでは小学校入学前までのことをざっくりと振り返ってみました。 たまたま連絡帳の写真とっててよかったwww
ここからは小学入学あたりからの振り返りです。

私の両親はとにかく問題のある夫婦でした。父はアル中で躁鬱病。入退院を何度も繰り返していました。
塗装屋をしながら宮大工のような事もしていたのですが、
現場の神社で拾った『木の枝』を神の声が聞こえる
と言って、家の神棚に大事に飾っていました。

私はもう……なんというか、
父が“病気なんだろうな”ということは、子どもながらに薄々勘づいていて。
父が不安にならないように、話を合わせて見守っていた記憶があります。
それを見て母は、「私の気がふれた」と思って精神科で相談していました。(そりゃ「私も聞こえたよ」とか言ってたら怖くなるわなwww)
常に母はピリピリしていて、常々『私(母親)が幸せじゃないと子供だって幸せにできない』と言っていました。
そんなこんなで小学校低学年の頃は父が家に居る夜の時間、母と毎晩のようにスナックや居酒屋に行っていました。(昔は今みたいに厳しくなくて、スナックで親が飲んでる間もマスターが座敷に布団を敷いてくれて寝かせたりしてくれた)
恐らく小学1年生くらいだったと思いますが、スナック(夫婦でやっている)のマスターが夜行くといつも散歩に連れ出してくれて、
『うぱーちゃんね、星を見なさい』
と手を繋ぎながら毎度毎度言われた記憶があります。

マスターが言うには
『辛いことがあったら星を見なさい。お星様はいつも見てるよ。辛いことがあったら話しかけるといいよ。辛い時は下を向いちゃうけどね、上を向いて星を見なさい。』
っていつも言ってて 子供の頃は、またマスター同じこと言ってるよ。ヤレヤレ…と思いながら素直に話を聞くふり(←いいこと言ってるからフリじゃなくてちゃんと聞いとけよな)をしていました。
※ちなみに1年に一度は思い出して見ることがあります
色んなスナックに行っては
【天城越え】【夜桜お七】【ノラ】
これを歌わされて、バブル崩壊後とはいえ、数万の御捻りをGETしていました。
何をしたら大人が喜ぶか、母親が満足するかばかり考えて幼少期から
大人の接待
をして過ごしていました。(←要するに私はいつも、大人の顔色伺っている気味の悪い子供)
学校生活はというと、幼稚園と変わらず ポツンです。
完全に陰の者
女子の友達は一人もいなくて、学校ではペア作ってと言われたら必ず余る子でした。(←今思い出しても悲しいwww)
※給食は帰りの会まで食べるの常習
これが多分小学4年生くらいまでの話です。
これは
余談
なんですが、私…昔カエルを捕まえるのにハマってて、田んぼで珍しい色のカエルを3匹捕まえたんです。
カエルを何故かビニール袋に入れて持ってたんですが、(ほんとになんで!?)途中知ってる子に会って一緒に遊んでいたら 袋に入れたカエルを
そのまま忘れて
家に帰ってしまったんです。
その日の夜中に起きた時、急に思い出して
「カエルさん!!??袋の中じゃん…!!!!」
唐突に物凄い焦りと悲しみで布団の中で大泣きしました。
次の日、その袋を忘れた場所を通りましたがもう死んでしまっているよな…と、どうしても袋を見ることが出来ませんでした。
今でもたまに思い出して涙が出ます。
「カエルさんはどんなに苦しくて怖かっただろうか」
と考えるたび胸がギュッとなります。
未だにカエル入袋を忘れた場所を通ると、胸が痛いです。
そして…思い出した時は夫に背中をさすってもらって
「大丈夫だよ」
と言ってもらっています。(←言わせてる)
カエルさんほんとうにほんとうにごめんなさい。
みんなは幼少期にやらかしてたまに思いだすようなトラウマある!?
▷▶次回予告:「両親の離婚と再婚。家族が作り直された日」
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