【エッセイ】 桜を待つ梅 〜青ブラ文学部〜
手渡された一万円札を五千円札に両替する。
五千円札は切らしがちだ。
津田梅子が大部分を占めるようになり、新渡戸稲造はほとんどみられない。久しぶりに遭遇した皺くちゃになった新渡戸稲造の五千円札を、机の上でそっと伸ばす。指先で紙の繊維をなぞりながら、彼のことをぼんやりと考える。
新渡戸稲造といえば、私にはどうしても「桜」の人という印象がある。
『武士道』の中で、日本人の精神性や美学を西洋に伝える象徴として、彼は桜を取り上げている。
散りゆく桜。
潔く散るその姿は、しばしば「潔い死」の象徴として語られてきた。
その一面ばかりが強調されてしまったようにも思う。のちの戦争で、多くの若者が桜のイメージとともに死んでいったことを、彼は草葉の陰からどのような思いで見つめていたのだろうか。
彼にとっての桜は、それだけではなかったはずだ。
数年前、東北地方を旅したとき、盛岡のあたりで見た桜を思い出す。
まだ肌寒い風の残る川辺に、淡い花びらがいっせいに開いていた。空の光を受けて、枝いっぱいに咲くその姿は、驚くほど明るかった。春というものが、いきなり世界に現れたようだった。
彼はこのような歌を詠んでいる。
折らば折れ
折れし梅の枝
折れてこそ
花に色香を
いとど添ふらん
願はくはわれ太平洋の橋とならん
新渡戸稲造がたびたび口にした言葉である。
悪化する日米関係をなんとか和らげようと、彼はアメリカへ渡った。しかし、彼を待ち受けていたのは冷やかな反応ばかりだったという。
その頃に詠まれたとされる歌が、これである。
梅が咲いたあと、やがて訪れる春。
故郷の盛岡の空の下で、いっせいに咲き誇る桜。
それは潔い死の象徴というより、むしろ生の勢いと、春の豊かさを感じさせる光景だった。彼はその光景を、心のどこかで思い描いていたのではないか。そう思うと、この歌はどこか「桜を待つ梅」の歌にも思えてくる。
ところで、五千円札に描かれた新渡戸稲造と津田梅子。この二人が親しかったことは、あまり知られていない。
ともにキリスト教徒で、英語に堪能で、同じ時代にアメリカへ留学した。
新渡戸稲造は、津田梅子が女子教育のために学校を設立すると、積極的に協力した。自らを「塾の伯父」と称して講演を行い、彼女が体調を崩したときには講義まで引き受けたという。
彼は、教室に集まる女学生たちの姿を見ながら、どんな思いを抱いていたのだろう。学び、やがて社会へ巣立っていく若い女性たちの姿に、咲き誇る桜の気配を感じていたのかもしれない。
今日、三月八日は国際女性デーである。
自らを枝を折られる「梅」に例えた稲造と、広い視野と高い教養によって日本女性の社会的地位を高めようとした「梅」子。
ふたりが静かに待っていた「桜」は、今、この国のどこかで咲いているのだろうか。
新渡戸稲造の本を、まだ読んだことがないと気づいた。今度、読んでみようと思う。
伸ばしたばかりの皺くちゃの五千円札を、しばらく眺める。そしてそれを金庫の奥にそっとしまった。
代わりに、まだ紙の匂いの残る津田梅子の新しい五千円札を、レジに差し出した。
外では、どこかの庭で梅が咲いているはずだ。
そのあとに来る春を、静かに待ちながら。
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