【岐阜】岐阜随一の珍スポット | 関ケ原ウォーランド(3回/全4回)| 2008年アーカイブ
圧倒的な暴力の前に無抵抗に引きずられるだけの筆皇。
自分は彼に優しくしておいたので助かった。
大人の打算とはこういうものなのだろう。

人形の顔色には肌色と白色がある。その違いが何を表しているのかは謎だが、とりあえず彼は白い。そして理屈では説明できないほど、なぜか「京極」っぽい顔をしているのが見事。

眉間に寄ってるシワにこだわりを感じる作品。
正面に立つと結構迫力ある。

迫力あるチャンバラ風景を撮影しようとしたが、なぜか立ちションしてるような写真になってしまった。

若き日の宮本武蔵も宇喜多秀家の足軽として出陣していた。
頑張れ武蔵、二刀流の開眼はまだ先だ。

乱戦の中、疲れ知らずで走りまくる桑山さん。
あなたさっき、肩に傷受けて死んでませんでしたか?

浅野祥雲 兵卒人形シリーズ
その1
鼻がでかい奴はあそこもでかい。

その2
目尻に藤子不二雄Aの作品を感じさせる。

その3
こちらは藤子F不二雄調。

その4
名も無き一兵卒ではあるが、顔の造り込み(特に頬のたるみ)が他の人形と比較して丁寧。たまにこうした出来のいい人形がある。

その5
冑首ではあるが、それに甘えたのかいい加減な顔。補修の仕方の悪さもあるだろうけど。

小早川秀秋の肖像画に少し似てる。

松尾山、動く。西軍崩壊の刻
午前中の戦いは、西軍が優位に進んでいた。
家康にとって頼みの綱の一つは、松尾山に陣取る小早川秀秋の動きであった。
小早川からは、事前に東軍へ応じる意向が伝えられていた。
しかし、戦いが始まっても小早川勢は動かない。
西軍を裏切るはずの軍勢が、肝心の場面で沈黙を続けていたのである。
このまま傍観を続けるのか。
それとも、約束どおり東軍に味方するのか。
戦局が思うように傾かない中、家康はついに一つの決断を下す。

その決断とは、松尾山への威嚇発砲であった。
そう、家康は日和る小早川勢に対し、鉄砲を撃ちかけるよう命じたのである。
約束を果たせ、いま動け――。
沈黙を続ける小早川秀秋に向けた、家康からの無言の督促であった。
銃口は松尾山へ向けられ、戦場に銃声が響く。
それは戦術としては微々たる発砲であったが、戦略としては関ケ原の流れを大きく変える一撃となったのである。

小早川秀秋
秀吉の正室・北政所の甥、小早川秀秋。
西軍最大級となる一万五千の兵を率いて関ケ原へ姿を現したこの若き武将は、すでに家康へ内応の意向を伝えていた。
しかし、戦いが始まると、午前中の戦況は西軍優位に進んでいく。
松尾山に陣取る小早川勢は、眼下の戦場を見下ろしながら、なお動かなかった。
東軍につくのか。
それとも、このまま西軍に踏みとどまるのか。
一度は裏切りを決めたはずの小早川秀秋の心は、戦場の流れを前に大きく揺れていた。

家康から松尾山へ向けて放たれた催促の銃声。
それは、どちらにも踏み切れずにいた秀秋に対する、最後通牒のような響きを持っていた。
戦場を見下ろしながら揺れていた秀秋は、ついに決断する。
小早川勢一万五千は松尾山を駆け下り、西軍の一角へ襲いかかった。
そして、この寝返りは、均衡を保っていた戦場の重心を、一気に東軍側へ傾ける決定的な一撃となった。
小早川勢の動きに呼応するように、脇坂、朽木、小川、赤座らも次々と西軍を離反。西軍の陣形は内側から崩れ、やがて総崩れとなっていく。

ちなみに妻は家光の乳母で有名な春日局。
秀秋の裏切りを予見していたという大谷吉継であったが、裏切りの連鎖は予想以上で武運つたなく自刃。
介錯は筆皇。
こっそり吉継の首を東軍に持って行こうとしたらしいが、後述の湯浅五助に見つかり、失敗。

壊乱後にありながら小早川勢をよく防ぎ、武名を挙げた吉継家臣、平塚為広。

<つづく>
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