パリは燃えているか
第二次世界大戦下で、ナチスの強制収容所に収監されたヴィクトール・フランクルは、戦後出版した著書『夜と霧』の中で、次のような事例を記している。
収容者の間で、クリスマスになったら解放される、という噂が広まったことがあった。人々は期待に胸を膨らませ、毎日を生き抜き、ついにクリスマスがやってきた。
しかし、その噂は嘘で、クリスマスがやってきても彼らは解放されることはなかった。
すると、クリスマスの翌日に多くの人が命を落としたのだ。現実を目の当たりにし、希望を失い、生きることを放棄したのだ。
何とも残酷なエピソードだ、と思う。
人間は希望を持っている間は生き残り、希望を失うと死んでしまうという真理が胸を刺す。
これほどの極限状況ではないとしても、私たちは日常的に、目先の希望で日々の辛さを克服しようとしがちだ。
例えば
「あと2日、我慢して働けば週末だ」
とか、
「この試験さえ終われば、勉強から解放される」
とか。
そうして実際に週末がやって来て、やがて試験が終われば、収容所とは違って私たちは、束の間の自由を手にすることができる。
けれども楽しい週末は、あっという間に過ぎ去って、仕事に追われる日々がはじまるし、また別の試験の日程が迫ってくる。
目先の希望を頼りに生きる人は、希望を失うたびに死んでしまうことはないとしても、延々とそれを繰り返していく人生となる。
文字通り、キリがないのだ。
強制収容所において、それでもなお生き残れた人たちは、「他者から与えられた目先の希望」ではなく「未来への揺るぎない希望や可能性」を信じることができたからだという。
それでは一体、未来への揺るぎない希望や可能性とは、どういうことなんだろう。
19世紀の哲学者・キェルケゴールは『死に至る病』において、死に至る病とは絶望であるとし、この病の対処法としてキリスト教の信仰を挙げている。
神の前に自己を捨てることが信仰であり、病の回復に繋がる――絶望から生き残ることができる――としている。
私のかつての主治医は、敬虔なクリスチャンだった。
退職される前、最後の受診の折りに私は、思い切って尋ねてみた。
「先生は、どのようにして入信されたんですか?」
神様や信仰について私は、ほんの子どもの頃からご縁があり、自分なりに常に考え続けてきた。
けれども頭でっかちで、猜疑心にまみれた私にはどうしても、ストンと信じることができず、今日に至るまで、どの宗教にも入信することはできていない。
イエス・キリストも、アラーも、仏陀や阿弥陀如来も、それぞれ知的に理解はできても、盲目的に信じきることが叶わない。
だからそれは私にとって、積年の疑問であった。
老齢の医師は、薄い笑みを浮かべて淡々と話してくれた。
「二十歳の時、とても辛いことがありました。
あれほどの体験は、後にも先にもありません。
人生最大の困難でした。
その時、神様が救ってくださったんです。
……そうとしか言えません。
だから本当に、ごく自然に……という感じなんですよ」
なるほど。
そういうことなんだろうな、と私は素直に思った。
全然わからないけれど、一方で、とても良くわかった。
理屈じゃない。
ジャンプ、である。
つべこべ言わず、飛び込め。
……私には、できそうにないけれど。
そんな私も近年になり、トラウマ治療を専門とするカウンセリングを受けはじめて、ようやく気付いたことがある。
それは、過去や現在の耐え難い苦しみが、一瞬で消えて無くなる特効薬などあり得ないということ。
そんな魔法の(心理療法も含めて)薬は、どこを尋ねても存在しない。
……この、あまりに救いのない結論に至った時、私は思わず途中で、カウンセリングを放棄したくなった。
私はそれまで心のどこかで、カウンセラー(他者)からの一方的な救済を求めていたのかもしれない。
心の苦しみを、手足や胃腸の痛みと同様に医療者(他者)が、例えば薬や何かを使って取り除いてくれて、救ってくれるんじゃないか、と。
もちろん人は、他者との関係性の中でしか生きられない。
そうではあるけれど、他者頼みでいるうちは決して、回復へは繋がっていかない。
主体的に人生を生きたいと願うのなら、誰かに頼ったり、何かをしてもらおうと期待したり、人から与えられるのを待っていては実現しないのだ。
だから私たちは、出自も含めた境遇、現在の環境、生まれ持ったあり様を認めて受け入れ、主体的に人生を選び続けるしかない。
その上で、何でも支配できるなどと驕らず、すべてを神(宗教上の神様であってもいいし、そうでなくても構わない、自分を超えた存在)に委ねて手放す覚悟が必要だ。
私たちがコントロールできる領域なんて、実際、驚くほど少ない。
自分自身の体や心でさえ、思い通りにはならないのだから。
『夜と霧』でフランクルは、解放された日のことを印象深く記している。
収容所から生還したあるユダヤ人が、麦の植わっている畑を踏みつけながら歩いている。
それを咎めたところ、相手は謝罪の意を示さないどころか、反対に開き直ったのだという。
「なんだって? おれたちがこうむった損害はどうってことないのか? おれは女房と子どもをガス室で殺されたんだぞ。そのほかのことには目をつぶってもだ。なのに、ほんのちょっと麦を踏むのをいけないだなんて……」
そう言いたい気持ちは、誰しも理解できるだろう。
少しくらいの復讐が何だと言うのか! と。
苛酷な体験は、時には自身への甘やかしや、免責のための免罪符となる。
ひいては他者からの批判や、他者との対話さえ遠ざけるのかもしれない。
だけど、怨嗟の連鎖は何も生み出さない。
それは、イスラエルの事例を見れば明らかだ。
良くも悪くも、私たちはもう、そのことを知っている。
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