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見つけられた勇気

序章

 ずっと読もうか、もう敢えて読まずに欲しいものリストにいれたままにしておいてやろうか、そう思っていた本が実は私のAmamzonの欲しいものリストには存在する。最近はそういった本たちに対して立ち向かう姿勢をとっている。そしてまた新たにそのほしいものリストに眠っていたとある本に目を付けた。こちらだ。

 福田萌。私は彼女のファン、というわけではなく実は私は中田敦彦のファン?とも言えるべきか否か。まぁしっかりと正確なことを言うと私は中田敦彦のYoutube大学が好きで一時期ハマって見ていた時期がある。それは3年くらい前だろうか。そのときに中田敦彦の妻が本書著者:福田萌であることを知ったのだと思う。ちょくちょくYoutube大学に福田萌も出てくることがあり、夫婦でやっている企画ーー番組などもあり好いてみていた。
 ちょうどその時期にこの本を出版されたのだと記憶している。脂の乗っている時期、それは中田夫婦という意味でも読書に目覚めたという意味でもこの本が出たのは個人的に注目の的になっていた。しかし、一旦彼らへの熱が落ちていった時期もある。当時もまた別の本を読んでおり私はこの本までに手が回らなかった。そして興味の方向は変わってしまいーーーーーーー。
 実はなんどか読もうかなというタイミングもあったがスルー。そんなことを繰り返して早3年が経っただろう。そして昨年の11月、12月あたり。とあることがきっかけで今こそ読むべきだと脳に刺激が走ったのを覚えている。別の本がそろそろ読み終わりそうなタイミングでもあったのでポチる以外の理由は当時なかった。

本章

初発の感想

 新作単行本はいつぶりだろうか。本アカウントの単行本感想記事を遡ったところ9か月前(執筆時)のJA解体以来だった。

 相変わらずの新書好きが過去の記事を見て見えたのは置いておいて、非常に読みやすい。特にYoutube大学、なんなら福田萌のYoutubeチャンネルをしっかり追っていた時期があったおかげか、事前情報もしっかり持ったうえで読めたので内容も結構入ってきやすかった。何年かぶりに本編のミッシリングを描いた的なよさが私のなかで勝手に芽生えた。なんなら双方のYoutubeチャンネルの動画のお話などもあり、「あ、この動画みたわ笑」みたいなのもありちょっと喜びの気分に。
 途中コラムという形で中田敦彦からみる福田萌のお話。即ち中田敦彦の言葉も記されているのもよかった。最終章には夫婦対談、更には長女からみる夫婦のお話やシンガポール生活でのお話ーー中田一家は2021年シンガポールに移住し今もそこで生活している。本書でもそこが大きく触れられているーー。夫婦対談ってやっぱりよきだなぁ。youtubeを追っていた時期に夫婦対談動画も見ていたのだが、その頃のよさを思い出したりもした。あと夫妻双方の言葉を見てなんやかんや愛し合ってるんだなぁというのは微笑ましい。 

脳が刺激を受けてしまった理由

 改めて本書のタイトルをご覧いただきたい。
「『中田敦彦の妻』になって分かった、自分らしい生き方」
 自分らしい生き方。突発だが自分らしい生き方ーー正確には生き様がわからなくなっていた時期があった。つい最近だ。つい最近。なんならつい1週間くらい前までこんなんだったかもしれない。
 そもそも自分らしいなんて存在していいのか。そんな問いから私は始まった。私自身かなり我が強く、自分らしさという言葉は本当は好きで常にオリジナルを求めたくなるは言い過ぎかもしれないがそういうタイプの人間だ。そもそも素質として癖の強い部類らしい。大衆的に生きるよりこのスタンスのが楽だったりする。
 しかしそんな内子でも時に学校教育的な発想が心の奥から聞こえてきてしまったりする。はみ出ることへの怯え。この程度は私の本能は死の瀬戸際だと勘違いしている。まぁ言わば孤独感である。ばからしい。理性ではそう言いたい。というか言っている。でも本能は相変わらずバカだ。そういうとこはうるさい。
 そしてそれに拍車をかける出来事がこの数ヶ月続いたりした。リアルの友人との疎遠感、Spoonでのお仲間とのノリ、スピード感についていけなかったりだとか。細かいことを言えば色々あった。それの蓄積だったのか自分らしさとはなんのかわからなくなった。そんなときにこのタイトル。脳に刺激が走るわけだ。

福田萌らしさとは

 本書は福田萌の本なので福田萌の"自分らしさ"が記されている。それについてみていこう。
 彼女はどうやらスリル好きらしい。ジェットコースターのように荒ぶる波風を感じてないと日頃の刺激として物足りないタイプなんだと。これはYoutube大学や福田萌のYoutubeチャンネルで言われていたことでもあり改めて読んでそういやと思い出した。
 そのスリル好きは実は旦那選出にも影響しており、中田敦彦にそのスリル的刺激的面白さを感じているらしい。中田敦彦自体"前言撤回"が座右の銘というくらい方向転換がすごいと自身でも言ってたが、福田萌はそういうめちゃくちゃさが逆に面白くて好きなのだそうだ。本書にも書かれていたが「あっちゃんの嫁さんって大変じゃないの?」的なことをよく聞かれるらしい。一般の女性はやはりもっと安定した人を求めるのかなぁと改めて思った。福田萌という人間はそういう意味では結構特殊な人間なのかもしれない。
 このスリル好きという性格。旦那を持ち、子を二人生み育児に奮闘していても消えていないらしいーー本書発売後に3人目を出産しているーー。年を取って落ち着いてきてもその気持ちは変わらず残っている。故彼女の性格、ある意味で本当に持つ気質なのかなぁと思ったりもする。
 もちろん一般の感覚がないわけではない。ある程度世間体も気にしてしまう側面もあるらしいし、また家族一緒にお正月過ごしたいなどそういう一面もある。私内子の所感としては型どおりと型外しの塩梅がちょうどいい印象だ。(人をそういう見方で見ない方がいいぞ

次いで内子らしさとは

 内子らしさ。自身のアイデンティティについて今度は語ってみよう。
先述で自分らしさがわからなくなっていると書いているものの大体こういう人間だというのは昔から思っている節が何個かある。いくつか列挙してみよう。

・安易に流行りには乗らない
・人がやってないことをやっていく
・東映特撮が長年好きだ
・ジャズ・フュージョン音楽を愛し演奏したりする

我が脳みそより

 大体こんな感じだ。昔から本当にここ21年大筋を語ればこれで内子は説明できる。あとはちょっと髪が長いことにこだわっているくらいだろうか。
 もう少し上記4つを抽象的にまとめると、前者二つが逆張り、後者二つは(惚れたものには)一途。こういう風に解釈できよう。逆張りと一途、まぁすべての事例に当てはまるわけではないが過半数の割合でこの傾向が見受けられるように思う。
 このおかげで私は若干ではあるが人と違うことで色々面白いことができていたりする。
(そのうちの一つがSpoon Radio Happy Happy Weekends♪だと認識している)

Spoonでやってるよ

謎の否定衝動

 私自身、こういう己の側面というのは結構好きだったりする。上の4要素に関わることをやっているときは本当に心底我らしさとはこういうことだと感じることは多々ある。
 だがしかし、ここ数年私の心ーー脳みそのどこかは私のこういうところを否定しようとしてくる節がある。というか今まで全体的に愛していた、いいなと思っていたことに対して批判的な姿勢を取り出しているのだ。これは意図してではない。半自動的な新たなアルゴリズムである。(だがなんとなく何が影響してそうなったかはちょっと察しがつく)この衝動は実は2024年頃から始まっており、今思えばこれによって私は少しずつ自分が分からなくなっていった兆しがもう出ていたように思う。
 だがなんとなくをの理由はわかる。己に対する飽きだ。「今の自分のままで本当にいいのか?」そう思う時があった。特には長年同じことをやっていること。もっといえばそれ以外していきていない。もっと正確に言うと皆ほど人生経験の幅広さは狭い。
 そういうその分の深みがあるとは言えるがやはりそこには狭窄感も感じてしまってもおり、新しい自分への冒険欲が高まっていたように思う。なのでそこを受け入れて新しいことに目を向けるようにしている。
 大抵人の趣味に寄り添って見ると結構いい刺激をもらえたりする。私のやっていることは大抵の人はやっていない。裏を返せば私がやってないことを皆様は培ってきている。だから現在だとspoonの方々から色々聞き回って色々試して見ている。実際結構面白い。本当は一つエピソードを書きたいくらいだが本記事では長くなるので省略させていただく。

新しい刺激を受けたら...?

 多少ではあるが色々と刺激を受け私も少し変わっているところはある。正直怖いところもある。今までの自分が崩壊しないか....。そんなことを思うこともある。特には流される可能性もあるだろう。(流されるにも種類は一応ある)
 もちろん価値観は変化した。代表的なもので言うと仲良くするということに少し寛容になったことだろう。私は結構人にストレスを感じやすいタイプ。あんまり誰とでも仲良さそうにするのはあまり好かないタイプだったが、最近は結構そういう素振りを見せているところもある。内子自身そのスタンスで大丈夫なのかという問いは生まれるかもしれないが、信頼できる人はまた別に形で特別扱いしている。本当の友でないとそういうことはしてはいけないは言い過ぎだが、仲良くできなさそうな人にそういう素振りをして期待させるのは逆に失礼なんじゃないか思っていた。というか今それは思っている。でも期待させるという意味では私の普段の行動の方がひどい。元から謎の期待をさせるタイプだ。注意を引くタイプだ。だから期待に期待を重ね、面白い形で落とす(オチ作る)方がいいのではないか。そう思ったりもしている。こう思うとニヤケが止まらない。ふふふふ。

新しい刺激を受けても...? 

 新たに友を作らなければならない。そう思ったのは実は前回の読書感想文で記している。孤独感も行きすぎると辛い。私はまだ耐性がある方だが耐えられない人もまぁ山のようにいるだろう。そういう人が大半だと思っている。
 新たに友達を作る、または仲良さそうにする。そういう行動をするとどうしても人の影響を受けてしまう。そうするとよくも悪くも新しい自分になる。新しい刺激を受けることは楽しいし、ワクワクする面もある。しかし本当の自分を見失うのではないか。その恐怖は自分にはあった。本質的な自分を見失う。こうありたいという己の芯を崩してしまうのではないか。私が本当の意味で避けたかった結果になるのではないか。そういう怖さが正直私の中であった。ずっと群れてるだけの人間となり、人のやらないことをやり続ける魂を失ってしまうのではないか。東映特撮を楽しめなくなるのではないか。見せかけの愛で人を落胆させることになるのではないか。色々思った。
 しかし今、私はこの3つを失っているという風には思っていない。維持しながら適応できたのでは、そう思っている。人がやらないことは色々思いつきはするし、1匹狼なところは結局変わってない。なんなら多少親しい人たちが増えて安心して1匹狼ムーヴを噛ませる。見せかけの愛で落胆させる。仮に落胆させてもそれを不利にして伏線回収で落とせばいい。全てにおいて考え方や少しの勇気でどうにでもなった。私は人安心した。そして何よりやはり少数の親しくできそうな人が増えて私は少しメンタルも安定したように思う。

 こういう風に行動できたのは実は本書著者:福田萌のおかげだ。彼女はどの年齢になっても、母親になっても、スリルが大好きなのだ。昔から変わらないところは変わらない。なんなら彼女の場合はスリルがなくて恋しくなっている。私もやはり変わらないところは変わらない。なんならそういうところは基本変えたくない。こうありたいという側面も強いが、気質にはあってると思うので多分未来の内子も体力があり限りは変わらないだろう。
 そして変わる部分があるからこそ、変わらない部分が輝く。それを強く思っている。学生時代と母親では変わっている部分はあるだろう。これは本書の福田萌である。私の場合だとSpoonをやっている今とまだSpoon未知の時代の過去。年齢加えて環境の変化に影響を受けて必ず人は微々たる変化が起きる。その変化に着目して変わってないところがあればそれは自身アイデンティティ--人格の本質と言えよう。
 一旦自身が変化して見ないとわからないここはわからない。自身のアイデンティティは色々変化して見ないとわからない。これはあるなと思った。

終章

 本書は中田夫妻のシンガポール生活の苦悩やママとしても苦悩も書かれている。世間体に振り回されるママにもおすすめの本だ。というかそういう人に1番刺さるかもしれない。
 改めてこの本に目をつけてよかった。少し勇気をくれたそんな本だ。そして今これを機に私はまたYoutube大学にまたハマり出している。また奥さんも出てくる日を私は楽しみにしている。

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