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ウォーカブルは、暑さの前に無力なのか

最近、「ウォーカブル」という取り組みに呼ばれることが増えました。
歩いて楽しいまちをつくる。車中心から人中心へ。私自身、その方向は正しいと思っていますし、実際にいくつかの現場で関わっています。

そんな私が、2、3週間前、東京で友人と銀座、丸の内あたりを巡っていたときのことです。
歩き疲れて、二人でこう言い合って笑いました。

「普段ウォーカブルとか言ってるけど、暑すぎて商業施設と地下道を渡り歩いてるよね」

笑いながら、内心では本気で考えていました。
これからますます暑くなるであろうこの国で、思考停止のまま「ウォーカブル」と言い続けていていいのだろうか、と。

そんなことを考えていた今週、岩手県紫波町のオガールの岡崎正信さんが、まさにこの問題を正面から論じた記事を書かれていました。
激しくうなずいたので、今日はその話から書いてみます。


「マチはイエではなく、ヤネに負けている」

岡崎さんの指摘は、痛快でした。

国土交通省の資料に、外出率の低下を指して「マチがイエに負けている」という表現があった。それに対し、岡崎さんはこう言います。マチが負けた相手は、イエではない、と。

だってそうでしょう、と。人はちゃんと出かけている。ショッピングモールの駐車場は満車で、地下街は人で溢れ、フードコートは席が空いていない。みんな家にいるどころか、けっこうな距離を歩いている。
ただし、屋根の下しか歩いていない。

マチが負けているのは、イエではなくヤネである。

そして、ヤネの下には必ず空調がある。つまり、屋外が空調に負けたのだ、と。

診断を一文字書き換えると、処方が変わる。イエに負けたのなら、外出の動機づけの話になる。ヤネに負けたのなら、屋外の熱環境の話になる。

この指摘は、私が東京で感じた居心地の悪さを、正確に言い当てていました。
私たちは「歩きたくなるまち」を語りながら、その前提となる「歩ける気温」を、議論の外に置いてきたのではないか。

岡崎さんの答えは、樹冠だった

では、どうするのか。岡崎さんが示した答えは、樹木の陰、樹冠でした。

欧州では「3-30-300ルール」という経験則が広まっているそうです。窓から木が3本見えること、地域の樹冠被覆率が30%あること、300m以内に公園があること。
ここで数えているのは、緑の面積ではなく、樹冠——つまり日陰をつくっているものだけです。

日本の指標は違います。緑地の面積や水面まで含めて「みどり率」として数える。だから数字の上では緑豊かでも、実際に歩く人の頭上に日陰があるとは限らない。
測っていないものは目標にならず、目標にならないものには予算がつかない。

そして岡崎さんは、こう書いています。芝生は1年で絵になるが、木陰は20年かかる。単年度の予算の仕組みは、20年かかる資産を扱うのが構造的に苦手だ、と。
だからこそ、20年の計画を持てる主体——長くその場所で商いをする民間事業者を、はじめから当事者として引き込む必要がある。

まったくその通りだと思います。
そのうえで、私はもうひとつ、別の解を思い出していました。

台湾には、街路そのものに屋根がある

これも知人から聞いた話ですが、台湾を歩いたことのある方なら、ご存知だと思います。
台湾の街には、「騎楼(チーロウ)」と呼ばれる空間があります。

建物の1階部分が、通りに面して奥に引っ込んでいて、上階がその上に張り出している。柱が並び、屋根がかかり、店の前を歩行者が通れる連続した通路になっている。
強い日差しと、突然のスコール。その気候に対応するために生まれた、半屋外の歩行空間です。台湾では日本統治時代に建築のルールとして制度化され、いまも街のいたるところに残っています。

面白いのは、この空間の性格です。
騎楼は、建物所有者の私有地です。にもかかわらず、公共の歩道として開放され、法的にも「歩道」として扱われる。所有者であっても、そこを塞いではいけない。
私有地でありながら、公共空間。

そして、ここが決定的なのですが、騎楼には店先の活動がにじみ出てきます。
商品が並び、椅子が出され、店の人が座っている。屋根があるから、商いが外へ出られる。歩く人は日差しを避けながら、その気配の中を通り抜けていく。

つまり騎楼は、暑さ対策であると同時に、賑わいの装置でもあるのです。

モールの屋根と、騎楼の屋根は何が違うのか

ここで、はっきりさせておきたいことがあります。
「屋根をかければいい」という単純な話ではない、ということです。

ショッピングモールにも屋根があります。地下街にも屋根があります。快適です。でも、あの空間には、まちがありません。
テナントの配置は運営者が決め、通路の使い方は管理され、外の気配は遮断されています。快適だけれど、均質で、どこの都市でも同じ風景です。

騎楼は違います。
屋根はあるけれど、外に開いている。風が抜け、音が聞こえ、雨の匂いがする。そして何より、一軒一軒の店主が、自分の店先を好きに使っている。だから、歩いていて表情が変わります。
同じ屋根の下でも、管理された屋根と、まちが染み出す屋根では、まったく別のものになる。

岡崎さんは、居心地の良さとは日陰だけでなく「日陰と陽射しの落差」だと書いていました。全面が日向では歩けないが、全面が日陰でも人は長くいたくならない。
騎楼を歩いていると、まさにそれを体感します。柱の間から光が差し込み、通りを渡れば日向に出る。閉じきっていないからこそ、落差が生まれるのです。

日本のまちに、これをどう持ち込むか

もちろん、台湾の制度をそのまま持ち込めるとは思いません。
日本にも、雁木やアーケードという蓄積はありますが、騎楼のように「建物の私有地を歩道として開放する」ルールは根づいていません。

それでも、ここから学べることはあります。

ひとつは、暑さ対策を、建築の側からも考えるということ。
道路を広げる、緑を植える——それらは行政の仕事です。でも、建物の1階をどう作るかは、民間の仕事です。庇を深くする、1階を少し引っ込める、店先に人がいられる余地をつくる。一軒一軒のそういう積み重ねが、まちの歩きやすさを変えていきます。

もうひとつは、日陰をつくることと、賑わいをつくることを、別の仕事にしないということ。
騎楼が優れているのは、暑さ対策が、そのまま店先の商いの場になっている点です。日陰のために日陰をつくるのではなく、人がそこに居られる理由とセットで日陰をつくる。

そして、これは私がずっと考えてきたことにつながります。
日陰をつくるのは、行政だけの仕事ではありません。20年かけて木を育てるのも、店先を開くのも、そこで長く商いを続ける人がいてこそです。
岡崎さんが「20年に付き合う覚悟のある事業者を引き込みたい」と書いていたのは、まさにそういうことなのだと思います。

歩ける気温を、議論の前提に

私はこれからも、ウォーカブルの仕事に関わっていきます。
その方向は間違っていないと、いまも思っています。

ただ、これからは、こう問うようにしたいのです。
このまちは、真夏の午後に、歩けるのか。

歩道を広げる前に。回遊動線を描く前に。まず、その道が7月の午後に歩ける道なのかどうか。
樹冠でも、庇でも、騎楼のような半屋外空間でも、方法は何でもいい。要は、人が屋外にいられる状態をつくれているか。

暑くて歩けない道に、いくら「歩きたくなる仕掛け」を置いても、人は来ません。
逆に、歩ける気温さえあれば、人はちゃんと外に出てくる。岡崎さんが祭りの日程を3週間動かしただけで売上が1.85倍になったという話は、それを証明しています。

思考停止で「ウォーカブル」と唱えるのは、もうやめようと思います。
暑い国で歩けるまちをつくる。その具体的な方法を、一つずつ実装していくこと。それが、これからのウォーカブルの本題なのだと思っています。

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