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やめたこと#4 すみませんと言わない

「すみません」

一日で一番たくさん使うことば。自分でも言うし、言われることも多い。耳にこびりつくほど浴びせられることば。ドアを開けてもらったとき、ランチの食堂で席をゆずってもらったとき、旅行のお土産をもらったとき、お先に退社するとき。「すみません」が積み重なるたび、心がゆっくりとしぼんでいくのに気づいた。

だって私、悪くないもの。ドアを開けていてくれたら入りやすくて助かるし、席が空いたらゆっくり座って休めるからうれしい。珍しいお菓子には心躍るし、仕事が終わったら帰るのは当然のことだ。なのにずっと誰かに謝っている気がして、辛かった。悪くも無いのに謝ることは、じぶんの心に嘘をついて傷つけること。もうやめよう。

手帳の8月のページを開く。今月の目標に「すみませんを、どうもありがとうに」と記入する。1回でも言えたら星マークを書き込む。一週間たった今、まっしろである。言えていないのだ。でも、「すみません」を発するのをやめた。代わりに微笑んだり、目配せをしたりして、じぶんなりに置き換えが出来ている。とっさに起きることだから、意識していないと『どうもありがとう』が出てこない。

なぜ『どうもありがとう』なのかも理由があるので聞いてほしい。
ある涼しい秋の日、退勤時に見慣れぬ男性とエレベーターでご一緒した。彼は夜だというのにシワ1つないグレーのストライプのスーツに、ピンクのネクタイが鮮やかだった。穏やかだけれどオーラがあり、ただものではないと私にも分かった。地上階につき、私が先を促すと彼は私に体ごと向き直り、目を見て2秒黙った。「どうも、ありがとう。」と言われた私は、なんだかポーっとなってしまい、しばらく動けなかった。ありがとう、じゃなくて、どうもありがとうって言われたの初めてかもしれない。なんて美しいんだろう。後ろ姿を目で追う。刈り揃えられた白髪が光っていた。

先日、社長の訃報が届いた。まだ若く、急なことだったらしい。写真を見ると、そこにはエレベーターの紳士が映っていた。できればもっと話してみたかった。なにを大切にして生きているのかとか、社長になるってどういう気持ちですかとか、最近感動した映画はなんですかとか。あなたがわたしのお父さんだったら素敵だなとか、一緒に美術館に行きませんかとか。あぁ、もう叶わない。だから一度だけの交流の証として、わたしは『どうもありがとう』を身につけたい。

こんな風に一瞬でも、心をうばわれる出会いができたときに、人生って楽しいところなんだって思う。だから私はいいなと思う人がいたら、相手が何歳であれ誰にでも話しかける。目の前に出会いが転がっていて、わたしとぶつかることでどんな反応を見せるのか。その好奇心を抑えることはむつかしいのだ。


今日の気分:乳房の勾配 / KIRINJI

相手の体を知りたい・探検したいと思うことも、好奇心のひとつだと思う。


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青 石(せい せき)/ 文筆家・校正者・イラストレーター この記事を気に入ってくれたら、よければチップお願いします。一口100円から、何度でもOKです。いただいたお金は記事作成に使わせていただきます。